これまでの活動(2010年度)

2010年度HINDAS第6回研究集会

主催:研究ユニット1・2合同


報 告

日時:2010年12月25日(土)13:00-17:00
場所:広島大学大学院文学研究科 1階 B153講義室(東広島キャンパス)



第1報告:安野早己(山口県立大学)
タイトル:マオイスト人民戦争と国内避難民


<発表内容>
 マオイスト人民戦争は1996年に始まり,2006年11月のネパール政府との包括的和平協定によって終結した。報告者は,かつて人類学的調査を行ってきたジュムラ郡シンジャ峡谷ルルク村とその近辺に暮らす人々と2006年夏に,戦争勃発後初めて再会した。驚いたことに旧知の人々の多くは,避難民となって村を離れ,タライやダンで暮らしていた。これはこの地域に限られたことではなく,避難民の定義の曖昧さや登録の不備を考慮しても,人民戦争によって全国で少なくとも7万人以上の避難民が出たとみなされる。
 難民になった人々は,三つのグループに大別されるであろう。①地方の政党員,政治家(ネタ),伝統的首長(ムッキャ)で,マオイストから封建的搾取者と敵視され,家財の略奪,寄付の強制,拷問を受けて,村を離れ者。②学校教員,政府役人,ヘルス・ポスト職員など給与所得者で,マオイストからの度重なる寄付の要求に応じきれずに村を離れた者。③ふつうの村人で,マオイストへのリクルートを強制され,またマオイストへの食事や宿泊の提供・諸プログラムへの参加を強制されて避難した者。
 本報告では特に③グループのうち,村をあげて避難した3例を検討する。2004年9月8日に同時に流出したのは,サニ・ガオンVDCカダ村25家族と,ビラトVDCのマジ・ブドゥ村とゴテヤルワラ村の38家族250人である。前者は,ジュムラDHQで2週間を過ごし,村に帰還した。後者は,ムグ郡DHQへ流出し,のちにスルケットで難民キャンプ生活を余儀なくされ,INSECの仲介で2005年5月27日に29家族111人が帰還した。最後に,ムグ郡コマレVDCからUML党員であるがゆえにマオイストから攻撃されて流出し,ネパールガンジ近郊のキラナラ難民キャンプを形成した人々がいる。同キャンプには最盛期216世帯がいたが,2006年現在では全部で50~60世帯で,そのうちコマレVDC出身者は14,15世帯であった。これらの人々は2006年12月に帰還を果たした。
 3例の集団的難民に共通するのは,「インドで働く」という動機である。避難先で政府などから支援を受けられないとき,支えになったのはインドで働いて生きるという覚悟であった。実際,キラナラ・キャンプでは難民の男性たちは国境を往復してインドで働くことが日常化し,キャンプを管理するINSECもこれを公認していた。
 政府は,当初マオイストから被害を受けた者のみを「難民」とみなし,具体的に補償を得たのは,政府とコネのある政治家のみであった。2007年以降,治安部隊からの被害者も難民に含められたが,補償は進んでおらず,帰還のめどがたたない者も多い。(安野早己)

<討論内容・座長所見>
 安野発表は,11年にわたる内戦の中で生じた国内避難民の避難の実態やその暮らしぶりに焦点を当てたものであった。
 出席者からは,国内避難民を支援するNGOの資金源や,内戦に起因する地域住民の分断や対立,差別,制憲議会選挙におけるマオイストの勝利の要因,内戦の地理的展開や戦闘状況などについて質問があり,活発な議論が交わされた。また,国内避難民が国境を越えてインドに頻繁に出稼ぎに出ていることから,インド政府の対応の有無についても質問が出た。
 文化人類学では1990年代半ば以降,スーダンや旧ユーゴスラヴィアなどを対象とした,紛争下の人々の暮らしや文化変容などについての研究が関心を集めている。安野発表もそうした研究の系譜の中に位置づけることができよう。発表は同時に,国内避難民のトランスナショナリズム(国境をまたいで多様な紐帯や相互作用が形成・維持される過程ないし現象)や,援助・国家補償をめぐるせめぎ合い等,人々のしたたかな生活戦略にも焦点を当てていた。これは,紛争についての先行研究ではあまり追究されることのなかった事象である。当日に議論された事柄とともに,このことについても,今後の研究の進展が大いに期待されよう。
(上杉妙子)






第2報告:渡辺和之(立命館大学)
タイトル:ネパール村落における農牧空間の変容ー海外出稼ぎの増加と耕作・放牧放棄地の発生

<発表内容>
 山地社会の研究は文化生態学からはじまり,近年では人と自然の非均衡的な関係に注目する政治生態学や歴史生態学へ関心が広がってきた。くわえて地理的な問題がある。1つの村を対象とする人類学的な調査においても,都市や海外への人口移動に伴い,調査対象とする村人が世界各地に広がってしまった。その影響は人と自然の関係にも大きな変化をもたらしている。このような問題意識から,発表では,21世紀になりネパールの農業と牧畜がいかに変化したのか,羊飼いの放牧地利用と彼らの村の土地利用の変化を報告した。
 結果として,次の点が明らかになった。まず,羊飼いの放牧地では,海外へ出稼ぎにゆく若者の増加で羊飼いと羊の飼養頭数が約1/3減少した。これに伴い,放牧放棄地が増加し,害虫や毒草の被害が増加している。羊飼いの村でも,比較的裕福な世帯を中心に首都カトマンズに移住する人が増加し,中東方面への出稼ぎも低カースト(ダリット)世帯まで拡大している。この結果,男性労働力の不足で村から遠い田畑で耕作放棄地が発生し,森林と化している。その一方で,耕作できない耕地を折半小作に出す世帯も増加しており,小作層の収穫量は増加している。つまり,かつては自作農だった世帯が労働力不足から農地を小作に出すようになったため,小作としては地主に収穫物の1/2を取られても,以前よりも取分が多くなっているのである。
以上の調査からわかるのは,人口移動の結果,低カースト層を中心に生活が向上していること,その一方で出稼ぎによるグローバルな資金にアクセスした人とそうでない人との間で格差も拡大しており,村に残った女性の負担はあまり変っていないことである。
 今後の課題は,村人の人口移動に伴う「村」社会の拡大を把握することである。中東の都市とネパール農村が直結し,出稼ぎ帰りの山地の村人が首都カトマンズに家を建てることで,カトマンズは産業集積がないまま,郊外にまで拡大し続けている。にもかかわらず,村出身者は首都で互助組織を創り,海外の出稼ぎ先までつながるネットワークを形成している。問題は,調査者の方が地域研究の枠に縛られ,グローバルな調査に対応できていないことにある。今後はマルチサイトな調査を実践し,拡大した村社会の現状を把握してゆきたい。(渡辺和之)

<討論内容・座長所見>
 発表で渡辺和之氏は,山岳地居住の男性の海外出稼ぎによって耕作放棄地の増加,一人当たりの小作人の借入地と収穫量の増加,女性負担の不変,カトマンドゥにおける海外出稼ぎ者の家屋の新築傾向などに代表される産業・社会構造の急激な変化を人類学の立場から調べている。結論で,今までのような山岳地内での伝統的社会関係から山岳地―首都―海外をつなぐ山岳地域出身者のネットワークが形成されたことも指摘しており,今日のグローバリゼーションの影響について非常に興味深い情報を提供してくれている。
 コメンテーターである筆者もバングラデシュの海外出稼ぎ労働を研究している。バングラデシュでも農村から数多くの海外出稼ぎ者を輩出しており,その際,同郷出身者を頼るといった同郷ネットワークを利用する出稼ぎ形態が大半である。通常,移動は,農村から都市,首都といった向都移動が中心であるが,首都を飛び越え,海外に収入先を選ぶというグローバリゼーションの影響が出ている。しかし,海外が永住地ではなく,出身農村に帰ったあと,最終就労地として首都ダカを選び,中には家を建てる者もいる。しかし,ダカでの家の新築は対象就労国での収入額の多さによる。出稼ぎ対象国が日本,韓国などの先進国の場合は,新築が可能であるが,中東やマレーシアでは難しい。また,首都に出てきた場合,新たな社会関係ができ,その分,出身農村との関係は薄れる。そのようなビルド&スクラップが絶えず繰り返されている。
 今後,渡辺氏の研究においてもネパールの山岳地でどのような社会経済的階層がどの国に出稼ぎに出かけ,どれぐらいの収入を得ているか,そしてカトマンドゥに居住した場合,新たな社会関係の構築の中において出身山村との関係がどう変わっていくかも調べてほしい。(三宅博之)





第3報告:橘 健一(立命館大学)
タイトル:ネパール先住民チェパンの経済空間の多層性


<発表内容>
 本報告は,ネパール中間山地の先住民チェパンを事例として,その生業活動の歴史から経済空間の多層性を明らかにすることを試みた。
 1950年代のラナ家専政時代まで,チェパン社会では農具の所有本数が徴税の単位とされ,農業の進展は抑圧され,イモ採集が生業経済の中心であった。1960年代に体制が変わって土地への徴税になると,急激に犁耕による常畑が広がり,農地の所有面積が生活上重要となった。所有農地で自給不可能な所帯は,姻戚から農地を借り,常畑や焼畑を耕作して苦境をしのいだ。姻戚の農地は女性を通じた「愛」の名のもとに無償で貸し付けられ,村内の経済格差の拡大は抑制された。
 チェパン社会は,低地の先住民タルーと伝統的に交易を行ってきた。チェパンとタルーは儀礼的な兄弟関係を個人的に結び,低地のコメと山の竹細工との交換などをおこなうが,その際,タルーは肉料理や酒などでチェパンを歓待する。チェパンはそれをタルーの兄弟的な「愛」によるものとし,タルーは「客人=異人」への歓待とする。
 チェパンは,カトマンズや近隣のバザールの商店主とも有用樹の油脂の販売などで関係を築いてきた。商店主は交易の際,パトロンとしてチェパンに宿泊場所を提供し,チェパン社会より安い金利で現金を貸し付けるなどして,チェパンに便宜を与え,チェパンはそれを「気前がよい」として評価,関係を維持してきた。
近年,村内の人口が急増するなか,姻戚からの農地借り受けは困難になり,貸して利子を取る例も現れた。村内での自給が難しく低地へ移住する所帯も後を絶たない。また,交通網の発達により商店が増加することで個別の商店主との関係も薄れている。それと並行して国際的な援助により,チェパン生協が運営されるなど様々な局面でチェパンの「自己開発」が求められるようになった。
 チェパンの経済空間は,親族関係を中心とした「愛」の空間,パトロン・クライアント的な空間,国際援助が結びついた自助努力の空間といった多層性を持ち,歴史的には前者から後者の比重が増している,といえる。(橘 健一)

<討論内容・座長所見>
 橘氏は,ネパールの先住民チェパンについて長年に亘る研究蓄積を有し,今回の発表はその実績の骨格を示すとともに,空間論を組み込んだ新しい研究の方向性を提示した意欲的な内容であったと評価されよう。フロアーから幾つかの質問やコメントが出されたが,それらは①チェパンの政策的位置づけ,②チェパンにおける女性,③チェパンの経済活動,の3つにまとめられよう。①は隣国のインドが自国の少数民族を「指定部族」とし,その地位の向上を図っていることに鑑み,ネパールにおける同種の制度の存在を確認するものであった。②は,男性が避妊手術を受ける,あるいは土地の貸借が女性を通じて行われていることから,一見すれば女性優位の社会関係が見出されるが,それがネパールの一般的な実情とは異なることへの疑義であった。これらについて,前者は,女性は村から外には出ないこと(したがって村外で手術を受けるはずもないこと),また女性は土地の相続権を有さないことの裏返しであり,女性が優位性を持つものではないことが説明された。③では,土地の取引や貸借における変化について突っ込んだ意見交換がなされた。また,チェパンの「自己開発」により,元々経済的には平等であったチェパンの中に格差を生まれているのではという質問に対しては,その段階にまで至っていないとの回答が得られた。その他,マオイスト運動との関わりや,居住区の観光化についても議論がなされた。座長個人としては,現代の南アジアではインドを中心に経済の高度成長が注目されているが,その波及がどのように同地域の末端部分にまで及ぶのか,そうした枠組みの中でも捉えられる対象ではないかと思われた。橘氏の研究のさらなる発展に期待したい。(友澤和夫)




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