2012年度HINDAS第1回研究集会 報告

2012年度HINDAS第1回研究集会
日時:2012年7月7日(土)13:30-18:30
場所:広島大学大学院文学研究科 1階B153講義室





<報告1>
岡橋秀典(広島大学) 現代インドの大都市をめぐる研究動向―メガ・リージョン研究に向けて

 急速な経済成長をとげている現代インドについては,その成長のメカニズム,さらに成長に伴う構造変動や諸問題を明らかにすることが求められる。その際,空間構造からのアプローチ,とりわけ成長の核となっている大都市に焦点を当てた研究が重要である。インドの大都市研究は,東アジア,東南アジアと比べて少なかったが,2000年代に入って顕著に増加している。ここでは,それらの新しい文献をレビューし,主要な論点を紹介しようとした。都市化については,中国に比して都市人口率の低さが注目されるが,それは何によるのか,今後の大きな検討課題であろう。都市システムにおいては,投資が少数のメガシティとその集積地域に集中していることが注目される。この点で,ローカルおよびグローバルな主体のあり方から都市による差異を説明したShawの研究が興味深い。大都市の構造変動については,首都をグローバル都市に変えるプロセスを詳細に検討したDupontの研究が2000年代の新たな状況をよく説明している。このような大都市研究をふまえつつも,インド西部に出現しつつある成長地域については,メガ・リージョンという新たな概念で捉えることを提起した。(岡橋秀典)

<討論内容と座長所見>
 岡橋報告は,近年のインドの大都市研究の動向をレビューすることを目的にしたものであったが,それに先だってインドの国土構造の理解において,大都市に焦点を当てた分析の必要性と空間構造の形成における地域性の問題について言及し,独自の見解を提示した。現代インドの大都市研究の必要性に関して,インドの空間構造の編成は従来の都市/農村の対立的な構図から,大都市を核とした求心的構造へと移行しつつあり,経済自由化後の経済発展に伴う空間構造の変化の理解に当って,大都市に注目する必要があると説明した。同時に,大都市のあり方が地域的再生産構造の違いを包含していることから,地域性に着目することも重要であるとした。
 最近のインド大都市の研究成果として,デリーの変容を考察したDupontの研究が紹介された。デリーもすでにグローバル都市を標榜するところがあり,すでにそれを体現した郊外景観が出現している。その背後にネオリベラリズムが大きく影響している。同時に,その裏面として社会的排除と労働力のインフォーマル化が進行している。Dupontのこうした指摘は新鮮で,しかもグローバルな文脈でデリーを捉える観点を教えるものであり,彼女の研究紹介は興味深く,参加者の認識を改めさせるところがあった。
 報告後,デリーの開発実態を踏まえた質問があり,デリー郊外の変貌にも地域性が認められ,その地域性の解明もデリー研究にとって重要な課題になることが確認された。(日野正輝)


<報告2>
宇根義己(広島大学/NIHU)・鍬塚賢太郎(龍谷大学)
インド北部におけるメガ・リージョンの空間的形態―統計データと「夜の光」からのアプローチ―

 本報告では,インド北部のメガ・リージョン(以下,MR)の空間構造解明にむけて,MRの空間的範囲を衛星データ「夜の光」を用いて抽出するとともに,その内部における空間構造を社会経済的な統計データを用いて明らかにした。
 経済成長に伴って,インドでは大都市だけでなく中小都市も成長している。R.フロリダは,インド北部の都市分布に着目し,衛星データ「夜の光」に基づいて当該地域を「デリー=ラホール」MRと命名した。ただしフロリダのMRは,アメリカ合衆国の大都市を基準とした指標をグローバルに当てはめて抽出したものでしかない。個別のMRについて,その空間構造を詳細に検討するためには,地域の実状に即したMRの境界設定が必要である。そこで本発表では,まず,1)衛星データ「夜の光(DMSP-OLS)」を用いて,インドにおけるMRの空間的形態(境界)を抽出する手法やその結果について報告する。次いで,2)インド北部に着目し,抽出したMRの空間構造について,利用可能な経済・社会統計を用いて明らかにすることを試みた。
 第一の課題について,まず2010年のDMSP-OLSデータを用いて光量(DN値=80%)の多い範囲とその面積を算出し,「夜の光」からみたインドの都市域(Light City,LC)を741地区抽出した。次いで,LCの分布密度を算出し,それに基づいてMRの境界を示す地図を作成した。これらの過程から以下の4点が明らかとなった。1)インドにおいて最も面積の大きなLCは デリー首都地域であり,次いでバンガロール,ハイデラバードが続く。2)人口規模とLC面積とには緩やかな相関関係が見られるものの,人口規模に対してLC面積が小さな都市もあり,必ずしも人口の集積が「夜の光」から推定される経済活動の活発さと結びつかない都市がある。3)「夜の光」によって抽出されたLC数の最も多い州はタミルナードゥ州であり,次いでラージャスターン州,アーンドラ・プラデーシュ州が続く。ただし,4)州境を考慮せずにLCの分布密度を算出すると,デリー首都地域を核とするインド北部一帯,バンガロールとチェンナイを核とするインド南部一帯において密度の高い範囲が広がっている。以上を通じて,インド北部およびインド南部には,大都市を含め経済活動の活発な都市が密度高く分布していること,それに基づくMRの範囲が具体的に明らかとなった。
 第二の課題について,インド北部を対象に社会経済統計データの分析を行った。具体的には,人口,教育,社会,工業,サービス産業と網羅的に指標を取り上げ,それぞれについてGISを用いて検討した。その結果,多くの指標でパンジャーブ州とその周辺において他地域と異なった値を示していること,とりわけ国道1号線(デリー首都地域からパンジャーブ州方面)や8号線沿線(デリー首都地域からラージャスタン州方面)の地域が工業や教育指標などにおいて高い値が確認されたことなどがわかった。
 今後は,これらの空間分析をさらに推進するとともに,更にMRの内部構造を把握するために,成長の著しい産業の立地に関する研究を進める。「鳥の目」と「虫の目」といった複眼的な視点からインド経済および都市発展を把握していきたい。(宇根義己・鍬塚賢太郎)

<討論内容と座長所見>
 宇根・鍬塚報告は,インド北部のメガ・リージョンの空間的範囲を「夜の光」を用いて検出したうえで,その地域構造を社会経済的な統計データを用いてマクロに検討しようと試みている。
 メガ・リージョンは,アメリカの経済学者・フロリダがグローバル経済の成長の原動力となる新しい経済単位として提起したものであり,夜間の光が集中している場所に着目して,既存の行政界や国境を越えた空間的領域の重要性を指摘している。本報告は実際に,2010年の衛星データを用いて光量の多い範囲「夜の都市域」とその面積を算出し,メガ・リージョンの境界を示す地図を作成した。こうした手法を採用した背景には,インドにおける社会経済指標を示す統計データが十分に整備されていないことがある。
 宇根・鍬塚の報告では,インドにおいて最も面積の大きな「夜の都市域」はデリー首都圏であり,バンガロールやハイデラーバードがそれに続くこと,インド北部や南部では経済活動が活発な地域が多く分布していることなどを報告した。また,「夜の都市域」から推定される経済活動の活発さと人口の集中度に関しては,地域先進諸国のパターンとの比較で議論がなされた。
 今後は,空間分析とともにメガ・リージョンの地域構造の把握という,両者の視点からインドの経済地理学的分析が必要なことが確認された。 (中條曉仁)


<報告3>
友澤和夫(広島大学) インド工業空間論試論—メガ・リージョン研究の深化に向けて—


 本発表は,以下の3つの問題意識からインド工業空間論の構築を試みるものである。1)メガ・リージョン理解への寄与,2)それにおいて重要な場所である郊外(工業化が進展する場所)の把握方法の提示,3)インドが抱える社会問題を捉える分析視角の組み込み,である。ここでは工業空間を,①生産の空間,②労働の空間,③消費・生活の空間の三層からなるものとし,各層における主たる構成要素を提示した。そして,各構成要素の関係から,①生産の空間と②労働の空間を第1の工業空間として最初に把握すべきとした。次いで,第1の工業空間に③消費・生活の空間を併せたものを第2工業空間とし,それによって郊外の重層的あるいは分断的構造を射程に入れたアプローチが可能となることを論じた。発表の後半では,デリーNCRの自動車工業労働者の非正規化を対象として,工業空間論の立場からこれを構造的に捉える具体を述べた。

<討論内容と座長所見>
 友澤和夫氏は自動車産業と同部品産業に関して豊富な現地調査を含む長年の研究を通じてインド工業空間論の議論に貢献してきた。本報告は工業空間を三層構造としてとらえ,その中で特に3番目に消費・生活の空間を設定し,これを第2工業空間として議論の枠組みを提示したところに特徴がある。フロアーからはこれ(消費・生活の空間)を工業空間と呼ぶことへの疑問も提出された。友澤氏は報告の後段でデリーNCRの自動車工業労働者の非正規化について述べたが,コントラクトワーカーを主とした非正規化は驚くほどに進んでいる。今後,工場内における労働者のカテゴリーの多様化(有体に言えば非正規化の進展)の社会経済的基礎を工業空間論の中で説いてゆくということも友澤氏の課題であるようだ。また,州ごとに異なる産業政策(労働関連法などを含め)についても研究会全体として理解を深化させ,検討する必要性が指摘された。
 折しも本研究会終了後の7月後半にはマルチ・スズキ社のマネサール工場(ハリアーナー州)における労働者の大規模な暴動が発生し,さらにその直後に訪日したグジャラート州N.モディ首相は「わが州のインフラ・事業環境は良く,労使紛争に州政府が関わる用意がある」といった趣旨のメッセージを述べ,日本からの企業誘致に積極的な姿勢を示した。それぞれ独自のビジネス環境をもつ各州は第4の工業空間と呼ぶべきであろうか。工場内の組織から州という上位の空間に至るまで検討すべき課題は大きいことを実感した。この日は幸い岡橋報告,鍬塚・宇根報告ともに友澤報告と通底する問題意識があり,この大きな課題に向かって研究が今後少しずつ前進することを予感させた。(石上悦朗)

<報告4>
梅田克樹(千葉大学) インド・NCRにおける酪農・乳業の分布にみられる地域的特徴


 インドは世界一の酪農大国である。本報告では,インド酪農の最新動向について整理するとともに,生乳流通の地域的多様性について概観した。また,最大の消費地であるNCR(デリー首都圏地域)におけるミルク供給システムの特徴を明らかにした。
 宗教的・文化的理由から食肉消費が少ないインドでは,乳食文化が定着しており,畜産生産額の7割を乳が占める。生乳生産量の増加率は人口増加率を上回っているものの,生乳需要量の増加率には及んでいない。急速な経済成長による生活水準の向上もあって,生乳不足は年々深刻化しており,2020年までに5,000万t以上の増産が必要とされている。
 牛は暑さに弱く,特に高泌乳牛は暑期の乳量低下傾向が顕著である。また,牧草や雑草に飼料を依存しているため,草地生産力が低い乾燥地域では牛を飼いづらい。そのため,牛の飼養に適した気候である北部に,インドの生乳生産量の45%が集中している。また,冷蔵輸送システムが整っていないため,生乳流通の範囲はおおむね隣州内で完結している。このことが,東部などにおける生乳不足の一因になっている。
 デリーは,都市圏人口2,136万を擁する世界有数のメガシティである。デリーにおけるpackaged milkの供給は,Delhi Milk Scheme(DMS)に基づいて行われており,日量380万リットルにも達する。DMSは,近隣州の酪農連合会や酪農協から生乳を買い取り,乳業会社に販売している。デリー最大の乳業会社はMother Dairyであり,その市場シェアは66%に達する。Operation Flood計画に基づいて設立されたMother Dairyは,インド酪農開発委員会(NDDB)が全額出資する国営企業である。DMSとMother Dairyを介したミルク供給システムを確立するによって,NCRの生乳供給システムを連邦政府が直接管理することに成功したと言える。

<討論内容と座長所見>
 本報告は,経済成長に伴い,食生活・文化の変容著しいインドNCRを中心に,インドの酪農の生産・消費の現状と今後の課題についてまとめられたものである。乳牛飼養頭数,生乳生産量・消費量ともに世界第一位にあるインドにおいて,酪農研究の蓄積が未だ手薄な状況にあることを勘案すると,本研究の重要性は一目瞭然である。
 発表後の質疑応答では,インドを含む南アジア地域での生乳の流通,特にNCR等の都市部で流通する生乳の約8割多くが,生産農家自らバケツで運ぶホームデリバリー型の伝統的な生乳供給であり,そのデータが無い状況をどのように研究に反映するかという点に焦点が集まった。
 また,生乳の量の不足に加え,高騰し続ける価格ゆえに,オペレーションフラッドによる流通に支障が出始めている昨今,ソーシャルビジネスとして乳製品流通を進めるバングラデシュの事例を参照しながら,貧困層等の社会的弱者への供給状況への議論が交わされた。
 今後の課題は,生活スタイルの変化がもたらす市乳不足と乳価高騰が,誰にどのような影響を及ぼしているのかを明らかにすると共に,それに対して,インドの酪農・乳業はどこへ向かいつつあるのかを,豊富なデータをもとに明らかにすることだろう。酪農の伝統的象徴的意味合いをベースに,近隣諸国同様にソーシャルビジネスとして発展するのか等,インドの酪農を取り巻くアクターの動向分析に,本研究の続編を期待したい。(幅崎麻紀子)





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