活動状況

2016年度 HINDAS 第2回 研究集会 報告

【主催】南アジア地域研究 広島大学拠点(HINDAS)【協賛】国際地球理解年(IYGU)

【日時】2016年7月30日(土)14:00〜17:20

【場所】広島大学 文学研究科 1階 大会議室(東広島キャンパス)

【報告】共通テーマ 「ネパール地域研究の新たな地平」

  別所裕介(広島大学)
 「中国のネパール向け越境開発資本とエスノスケープの動態―国境地帯のチベット系住民を
事例とした予備的考察」

王政崩壊と中国の経済進出という新たな動態に直面するネパール北部のヒマラヤ仏教徒社会を対象に、日常的文化実践と集団的政治参加のはざまに確立されていく「国民的チベット性」を検討した。従来、ヒンドゥー的秩序観に基づく集権国家体制の構築が目指されてきた近代ネパールにおけるTibetanisationとは、ヒマラヤ山中に土着した諸民族集団が国王や欧米ドナーの目線を意識しながら、自らの土着性を払拭してチベット本土の文化に接近していく内的な普遍化の過程を指す。だが、国王が去り、「包摂民主制」が唱えられる現在、カトマンズの仏教僧院ではヒマラヤ仏教徒の子弟がエリート集団として政治運動を率い、民間では老若男女の社会人学習者が「真正な仏教」を求めて文化スクールに通うなど、チベット仏教をめぐる実践が社会的に拡大されている。本発表では、現代ネパールにおけるチベット仏教教団の新たな社会進出ともいえるこうした状況を、ヒマラヤの民族集団が新たに国民的アイデンティティを創出しようとする“Neo-Tibetanisation”の運動と位置付け、①ルンビニ開発をめぐる政治運動、②チベット仏教僧院の機能変化、③民間で高まる仏教学習熱とその需要に応える草の根スクールの拡大、という3つの事例を取り上げて分析した。この結果、現代ネパール政治の流動化の元で、仏教をめぐる先鋭的な政治運動と大衆的な文化実践が同時並行的に社会表面へと押し広げられていく具体的な様態が明らかとなった。

  

 

 橘 健一(立命館大学)・渡辺和之(阪南大学)
 「ネパール中部地震の被災・復興状況:おもにカトマンズ、オカルドゥンガ、チトワンの事例から」

2015年4月25日と5月12日のネパール大地震は、中部ネパールを中心に甚大な被害をもたらした。発表では、昨年度の調査をもとに、震災被害を報告する。
4月の本震の直後、カトマンズでは、余震の恐怖から屋外避難をする人が多かった。避難者数は全半壊世帯よりも多く、軽微なヒビ割れで済んだ人でも、仮設テントで避難していた。オカルドゥンガ郡でも、全半壊に相当する被害を受けたのは32世帯中2世帯だけだが、ほぼすべての世帯が家に大なり小なりのヒビが入り、屋外に避難した。
 住宅再建が困難な背景には、資金的な問題がある。政府は被災直後に全半壊世帯を対象に救援物資を配布した。だが、オカルドゥンガ郡で調べた所、受け取ったのは32世帯中2世帯だけだった。また、政府は全半壊の世帯を対象に1世帯あたり20万ルピー支給するというが、どの世帯も一時金1万5千ルピーしか受け取っていない。現在では村の住宅価格も高騰し、1戸建の家は安くても100万ルピーから200万ルピーかかる(1ルピーは1.2円)。このため、仮に補償をもらえても、建設資金の一部がまかなえるに過ぎない。
 チトワンの先住民山村でも、全半壊からヒビ割れまで、多様な被害が見られたが、村の森林組合で維持管理されている比較的安価な材木を用いた、簡易的な新しいスタイルの木造住居への改築が、互酬的な労働によって、進められていた。
震災の被害は、さまざまな地域格差が錯綜し、複雑化している。地震そのもののもたらした地域差もあれば、住民の生活スタンダードによっても違う。また、政府の援助に限界があるなか、海外からの援助が得やすい地域もあれば、そうでない地域もある。さらに過疎など、もともとあった問題を震災が加速した部分もある。
 地震発生後1年がたち、震災被害が見えなくなるなか、義援金を不正に得た避難者に対する風当たりが強くなるなど、分配をめぐる社会問題も出てきている。震災により人々が抱えた境遇はそれぞれに異なっており、その相互理解が震災からの復興に必要なのだろう。

 

  

 

 

 安野早己(山口県立大学)
 「包摂的代議制に向けた選挙システムの構築:紛争後ネパールの試み
 

10年に及ぶ人民戦争後の課題の一つは、新憲法を作ることであり、まず制憲議会選挙が行われねばならなかった。ネパールに安定した和平をもたらす上でその選挙は失敗を許されないと同時に、どのような方法で行うかが焦点となった。武装勢力から議会政党への変身を余儀なくされるマオイストが完全な比例代表制を主張する一方、既存の議会政党は、個々の政治家の影響力を発揮できる、従来の小選挙区制を支持した。この両者を折衷するかたちで、制憲議会選挙は比例代表制と小選挙区制の混合システムで行うことがまず合意され、のちの綱引きで、比例代表の議席が増大した。次に、90年代から派生してきたジャナジャーティ、ダリットおよびマデシの正義、平等と包摂を求める運動は、それぞれの代表の制憲議会への参加を要求した。選挙委員会は、包摂の具現のため、比例代表制の候補者リストにそれぞれの集団と女性のクォータを設けた。ところが、クォータの「その他」の範疇にあたるのは、高カーストのバフン・チェトリ(のちにカス・アーリヤ)であると暫定議会で修正された。当初、周縁化された集団の参加を保証するために設けられたクォータは、単なる民族別人口の比例代表制へと変質してしまったのである。クォータの割合は、1991年から10年ごとに実施される国勢調査の結果が反映された。2008年4月に実施された第一次制憲議会選挙は、マオイストに勝利をもたらし、議会の構成はネパール史上初の包摂的なものとなった。同議会解散後の2013年11月に同じ方法で実施された第2次制憲議会選挙は、包摂において後退し、コングレス党とUML党がマオイストを逆転した。この議会で2015年に制定された新憲法は、カス・アーリヤも「包摂」の対象としている。

  

 

 

  

                  

 

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