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2004年の映画採点簿

2004年のベストワンは是枝裕和監督の『誰も知らない Nobody knows』です。

子供の捉える丁寧なカメラと脚本の力は圧倒的。それに悲惨なエピソードの中に「生きる力」をやさしく見る眼が何よりもよい。



12月26日広島東映 Robert ZEMECKIS『ポーラー・エクスプレス』The polar expres

「パフォーマンス・キャプチャー」なんて難しいもので作ったファンタジッジッジッ・アニメですって、これ、美しいですかあ。気持ち悪くて見てられませ〜ん。第一なんですか、あの小サンタもどきのお群は? これで何が嬉しいですかあ。よくもまあ、吐き気を催さないもんです。へえ〜、トム・ハンクスが一人五役したんですか、それがどうかしたんですか? だって、ボク、トム・ハンクスなんてまともな俳優とは思っていませ〜ん。まあ、この映画、嫌な予感はしてたんです。そんなこと分かってんだったら何で見に来たんだよと言われちゃいそうですが、まあ色々あるんで〜す。最後も格好いい科白で決めちゃおうとしてますよね、「僕には今でもその鈴の音は聞こえる」 でも、これやっぱりいつものゴーマンじゃないんですか。それに、これで何が言いたいんですか。なるほどまだお子さんなんでしたね。ごめんなさ〜い、お子さまの映画でしたね(それにしてはカップルや大人が多かったぞ)。でも、かっこうや刺激ばっかり気にしてはダメですよ〜。お内容もしっかりとね。しかし、ここまで良いところが見つからない映画も珍しいが、隣で観ていた「小さな仲間」に免じてこの辺りで止めましょう。2点


12月20日サロンシネマ Andrei ZVYAGINTSEV『父、帰る』Vozvrashcheniye

この作品を見れば誰もがもう一人のアンドレイを思い浮かべる。水、ガラスの水滴、壁の色、妻の顔、廃墟、カメラの動き…しかし、雨は違う。ここではいつも雨は激しく降る。それは弟イワンの怒りを表しているかのようだ。また、物語は説明を排除してフラッシュバックしない。従って「過去」と「記憶」の扱い方もタルコフスキーとは異なる。兄弟が急いで取り出す一枚の写真だけがこの親子の過去だ。たった一枚の静止画のみが存在する。そのことが逆に12年という時間の重みを表している。いるべきはずの父親。父と息子たちが互いに失われた時間を取り戻そうとする。しかし、それがうまく行かない。映画の冒頭で結末は予定されているが、その沈んだ船から塔の上のイワンまで一続きで描くところに、結果的には実現しなかった父の遙かな思いとその思いを求める息子の繋がりを読むのは私だけではあるまい。車に収められていた父の姿のない写真は、12年の不在を埋めなければならないという父親の気持ちと、他方で、始めから父親なぞはいなかったと思い込もうとする息子達の気持ち、その両者を巧みに描いている。また、父が廃墟の土の中から掘り出した鞄の中身は明らかにされることなく船とともに沈められるが、そこに収められていたのはおそらく何らかの悪事の遺産であったろう。しかし、そんな現実はどうでもよい。この映画の文脈では鞄の中身は最後に写し出される一連の写真群であったはずだ。そこには父が過去を取り戻そうとするつかの間の旅の間に自らの眼に焼き付けた二人の息子、そしてそのまま過去へ遡ってかつての幼い兄アンドレイと弟イワンが写し出されている。この父の思いが誰にも知られず水に消えていくラストの死は悲しい。画面の美しい「現在」と、その時間の流れと反するかのようなモノクロ写真が浮かびあげる「過去」が見事に響いた傑作である。9点


11月29日サロンシネマ Walter SALLES『モーターサイクル・ダイアリーズ』The motorcycle diaries

学生と接していてもその若さを羨むことは滅多にないが、このような作品を観ると自分も若い頃にこんなことをしておけばよかったと考えてしまう。それほど「冒険」という言葉が似合う南米バイク旅行なのだ。ついでに「もう若くはない」という勢いで話しを進めれば、このロードムービーから連想するのはジャームッシュやヴェンダースでさえなく、やはり私にとってはJ.フォードの『怒りの葡萄』であり、フェリーニの『道』ということになる。あのロード家やザンバノとジェルソミーナの「思い」と時代の重さをそのままおんぼろバスやスクータに乗せて走って行く姿を見せられるとたまらない。エルネストとアルベルトのタンデム旅行では、「思い」と時代の重さを美しい南米の大地とアンデスの山々の中で運ぶ。そしてその美しさの中で人々は暮らす。どう暮らすか。この旅はそれを確認し、ある確信を得るための旅でもある。ナレーションはしきりに「英雄的ではない」と言うが、この物語は私には十分英雄的だ。とりわけ癩病療養所での生活や旅立ちの「南米解放」演説は既にチェ・ゲバラではないか。しかし、逆にその直後に続く川渡りのシーンは「英雄的」に描かれ過ぎているような気もしないでない。また、銅山労働者の共産党員夫婦との一夜はエルネストをチェ・ゲバラに変える重要なエピソードのはずだが、ここでは会話がもう少し欲しかったような気もする。旅を終えた後、友人アルベルトが見守る中、エルネストは故郷ブエノスアイレスに帰るために飛行機に乗る。次のショットでは年老いたアルベルトがその飛行機を見守る姿が映し出されるが、それは飛び去ったチェ・ゲバラが時空を越えて今でも大空の上から私たちを見守ってくれることを祈るかのようなシーンでもある。以前、フランスのTV5のドキュメンタリーで1967年10月9日に自らが「獣性」(アルジェでの演説)と呼んで批判していた帝国主義の手によって殺されたチェ・ゲバラの遺体がビジャ・グランデの洗い場に見せしめとして置かれた場面を見たことがある。多くの市民が眼を見開いたまま無造作に置かれた英雄の姿を興味深そうに並んで眺め、マスコミ連中がこぞってシャッターを切っていたが、そのチェ・ゲバラの遺体はもう一つの「9.11」である1973年9月11日のアジェンデ大統領や歌手ビクトル・ハラの遺体、1997年4月22日のトゥパク・アマルーのゲリラ、セルパ容疑者らの射殺体(2002年の映画採点簿『国労冬物語 人らしく生きよう』の項参照)にも重なる。しかし、ビジャ・グランデの水飲み場の壁にはやがて赤い星が刻まれ、飛び立ったエルネストがいつしか「私たちの現実」にチェ・ゲバラとなって降り立つことを多くの人々は待ち望む。というか待ち望まなければなるまい。映画のラストで出演した南米の人々をその顔に刻まれた歴史とともに次々と映し出すところにSALLES監督のその思いは現れている。コンパニエロ・エルネスト・チェ・ゲバラ!8点


11月22日シネツイン1 パク・チャヌク『オールド・ボーイ』Oldboy

原作が劇画ということもあって登場人物のアクションを止めた構図には凄まじい迫力がある。特に冒頭のビル屋上シーン、オ・デスが自殺志願者をネクタイで宙に支えるところは力強い緊迫感を感じさせ、それは同時にラスト近くのイ・ウジンが姉を橋の上から支える悲しいシーンと重なって物語全体を象徴的に支える。この物語をオイディプス的寓話と見れば、「両眼」をつぶすということになろうが、そうではなくて「口は災いのもと」と言わんばかりに「舌」を切り取った。私は「両眼」の方が滅びの美学として美しいと思うが、しかしここはアジア。地中海ではない。「舌」の方が圧倒的に泥臭く、しかも血の味がする。物語の展開もパワフルで面白く、印象的なシーンも多いのだが、ところどころ挿入されるオ・デスのユーモアが私にはよく分からない。警察署での暴れ方、ミドとの接し方、少年グループとの喧嘩。これらは見ていてこちらが恥ずかしい。やはり劇画とは異なる科白のタイミングの問題なのだろうか。このようにユーモアという逸脱を敢えて意図的に行っている反面、エピソードの整合性にはひどく敏感で、これが逆に意図しない逸脱を招いている。ラストの術を解くシーンは今更必要なのだろうか。「孤独な蟻」も体から蟻が這い出てくるところまでは面白いが、車内の孤独な女性が見る巨大な蟻はどうであろうか。これはいささか陳腐である。パワーは認めるが、バランスに難あり。5点


9月27日シネツイン1 黒木和雄『父と暮せば』

これは原田芳雄の映画である。間違ってはいけない。たとえ、宮沢りえの「おとったん」の声が(チェ・ジユの低く乾いた恐れを知らない声と同じように)可愛くても、彼女の笑顔がどう見てもtristeで不幸の魅力を生まれながらに備えているとしても、更に言えば、彼女の視線のそらし方が不器用で思わず走り寄って助けたくなっても、これは原田の映画である。なぜか。それは原爆資料で詠うエプロン劇場「広島の一寸法師」があまりにも感動的だからだ。鬼の体内に入り込んだ広島の一寸法師は、原爆瓦、ぐにゃりと曲がった水差し、体内部に突き刺さっていたガラスの破片を次々と使ってブッシュを退治する。この「詠い」の迫力と原爆の悲惨、その苛立たしさと悔しさ、そういったものが一気に吹き出る。「おとったん」が詠っているのか、原田が演じているのか。もはやそこを区別することは容易ではない。ここは思い出しても涙が出てくる。ところで、彼の劇中劇にはもう一つ忘れてはいけない感動的なシーンがあった。それは若松孝二監督の『寝盗られ宗介』で原田が歌う「バラ色の人生」(だったか、それとも「愛の讃歌」だったろうか。あ〜、もうだめだ、思い出せない。映像では覚えているのですが、音がついてこない)だ。これも観る者を魅了して、涙が出てくるまで捉えて離さない。こういう父親が原爆で亡くなったことが惜しい。もっと多くの原田やナンニ・モレッティがいればと願うばかりだ。しかし、こんなに怒りを絞り出して「詠う」原田に比べて、我が国の首相の広島平和祈念式典のあの挨拶は何だ!いい加減にしろ!なめるんじゃない!言葉を本気で選んで平和を「祈念」しとるんかい!これじゃ単なる「記念」だろうが、ボンクラ!どうせブッシュの蠅なら、汚い唾で髪の毛を整えて出直せ!(Michael MOORE『華氏911』の項参照)8点


9月6日シネツイン2 Michael MOORE『華氏911』 Fahrenheit 9/11

全体に散漫である。粘りが不十分。これでは二重丸はもらえません。『ボウリング・フォー・コロンバイン』の粘り腰はどこに行ったのだろうか。今回は粘りではなくむしろ「執着」と言った方がよいかもしれない。ブッシュ周辺とサウジとの関係に異様なまでの執着を見せている。確かにそれは怪しいが、田中宇が言うようにユダヤとの繋がりも無視するわけにはいかないだろう。それに、MOOREのひとつ一つの「攻撃」は長続きしないし、その後に展開もしていかない。つまり展望が開けないから、闇雲の単発連続攻撃になってしまう。結果、見る者は『ボウリング・フォー・コロンバイン』のような活路を見出せないでいる。確かに、9月11日のあの「事件」直後の様子を、まずは映像のない音だけで、続いて音のない映像だけで提示し、見る者の想像力を恐ろしいまでに刺激したり、他方で、テレビ出演本番直前のブッシュやその取り巻き蠅達がその準備に励む姿をじっと執拗に追うことで、彼らのガラスの「仮面」を剥ぎ取ろうとする手腕には脱帽する。それに、何でしたっけ、「枢軸?友人連合」(それとも「有死連合」でしたっけ?)の「仲良しナガイモノニハマカロニ国家」を「ル〜マニィ〜ア」とか「モロッコ〜」(これはモロッコが可哀相だろ、と最近マラケシュがいたく気に入っている私)等々と紹介する悪乗りユーモアも面白い。でも、結局これは一つのプロバガンダでしょう。そりゃ勿論、このプロパガンダの趣旨には基本的に賛同しますよ。でも、映画としては粘りが足らん。6点


9月1日サロンシネマ 是枝裕和『誰も知らない Nobody knows』

大東京の真ん中で社会から切り離されてもたくましく生きる子ども達。使い古された「都会のジャングル」という言葉さえ浮かぶ。この事態を生んだ母親の無責任にも困ったものだが、その悪ぶれない軽さをYOUが見事に演じている。このキャスティングは素晴らしい。勿論、明役の柳楽優弥も、苦しい状況を一人で抱え込むその重い孤独感と生命力を画面全体から滲ませている。カメラは「何してるの?」と聞かんばかりに子ども達の中にそっと分け入り、その自然な姿をたっぷりと映し出す。とりわけ、彼女ら彼らの手と足に向けられた視線はやさしい。手は人を繋ぐものであり、足は生活を結びつける。今までの重みから解放されて4人の足は揃って靴を履き、狭く閉じられた部屋から堰を切ったように飛び出す時の笑顔を見るとこちらまで嬉しい。仲間を渇望していた明の手はバットを握ることで救われ、他方、京子の手はその指にマニキュアを塗ることで大人への憧憬を保ち続ける。また、無邪気なゆきの指は、G.R. HILLの映画では描かれなかったアーヴィングの『ガープの世界』(講義でも繰り返して言うのですが、これは必見です、直ぐにでもレンタル店に走って下さい)に登場するウォルトのお風呂の描写を不思議に思い起こさせる。この不幸な息子とゆきの指の動きは可愛く、そして無限にいとおしい。そのゆきが最後まで気にしていたのが、同級生にいじめられる「おねえちゃん」だ。また、子ども達を助けるのはいつも店長の命令の下で働くコンビニの若者達である。この弱き者、小さき者の連帯がよい。しかし、それにしても何という細やかでやさしい眼差しなのだろうか。9点


8月30日サロンシネマ Francois OZON『スイミング・プール』Swimming pool

今回のシャーロット・ランプリングもしっかりと口を閉じて、遠いところを見ている。しかし、張りつめた孤独というものを前作の『まぼろし』ほど感じさせない。それはこの作品では「若さへの嫉妬」という明瞭なテーマが彼女に与えられているからではないだろうか。映像は時にするりと彼女の欲望(見る者と見られる者としての欲望)に切り替わり、未知から生じるサスペンスの通奏低音にその彼女の欲望が現れ、交差しながら物語は進む。余分な説明は排除され、ショットの断片性で迫ることでサスペンスには厚みが付けられる。その細部も見事で、サラの禁欲的な食事、番人マルセルの娘と称する不気味な老婆、プールに浮かび死を予感させる枯れ葉と黒いシート、そしてこれらを逆説的に照らし出す南フランスの太陽光線。この太陽の光が美しい。昨夏、この舞台となったLacosteとBonnieuxの近くの村で一週間ほど過ごした私にはこの自然の美しさは身にしみる(サスペンスが付いていれば尚更よかったが)。ラストにサラの作品が『スイミング・プール』となって現れることは比較的容易に予想できるが、OZON監督はもう一捻り効かせて、あの夏の出来事そのものをサラの空想の世界に投げ返した。これはうまいとは思うが、少し苦し紛れというか他人任せのような気もしないでもない。だからといってジョンに『スイミング・プール』を献本するところで終わるわけにもいくまい。それではあまりにも月並みだ。このサスペンスを若者の乱入、秩序の崩壊と考えれば、さしずめOZON流の『家族の肖像』となるが、それでも演出力はヴィスコンティにはまだ及ばない。7点


8月29日サロンシネマ 福富博『ドラえもん のび太の恐竜』

最近のドラえもんとは違って、画面はしっとりした色調でなかなか良い。1980年の作品ということはもう四半世紀前の作品か。のび太も心なしかのびのびしている。恐竜が登場するたびに、画面下にスーパーインポーズで怪獣名が入っていることを考えると、70年代末には恐竜ブームがあったのか。古代への郷愁、いいですね。最近のドラえもんはいやにガチャガチャしていますから。物語の展開もこのところの『ドラえもん』に比べれば、より大胆で、せこせこしたところがなくてよろしい。夜中の町を無遠慮に恐竜がドスン、ドスンと野比家にやって来たり、その肝心の恐竜の声はと言えばこれがいつまでも可愛かったり。思い切っています。夢多き子供に見せるならこれでなくっちゃ。5点


8月27日ソウル発パリ行きKE901便 Roland EMMERICH『デイ・アフター・トゥモロー』The day after tomorrow

『明後日』だって!ひぇ〜、一体全体どんなことが起こるのですか?こわ〜い!地球温暖化をまっ正面に取り上げた大スペスペクタクルクル映画!こういうのを極め付きの五流映画と言う。いくら科学的データ(これも怪しそう)を用いて映画を作ってみても、作品としての面白みは哀れなほど欠ける。やたらめったら圧倒的な(そしてちゃちな)迫力で押すが、見事と言うほど物語そのものはひどい。その昔、パニック映画の走りとしてR.Neame監督の『ポセイドン・アドベンチャー』という映画があったが、これと同じように選ばれた少数の者が『明後日』に生き残る。それも多数の流れに抗して少数が「正しい道」を行くシーンまでそっくりだ。この延長線上にアメリカの精神構造を見るのは私だけだろうか。たとえ少数であっても正しい道を行っているのだから、多少(どころか滅茶苦茶に)他を傷つけても構わないという猿とライオンの論理(さてここで問題です、この一見仲良しの「猿」と「ライオン」とは誰でしょう?)である。いつまでも変わらないこの愚かしさ。何とかならんもんですか。とにかくこの『明後日』、救いようのないゴミです。このところただでさえ衰えた視力を損した。弁償してほしいくらいだ。無論0点


8月9日サロンシネマ Nicolas PHILIBERT『パリ・ルーブル美術館の秘密』La ville Louvre

Davidに代表されるあの大きな絵をどのようにしてルーブル宮に入れたのかと以前から疑問に思っていましたが、balconの石が割れたり、絵を絨毯のように丸めたりしているのですね。驚きましたが、考えてみれば当然です。他には方法がありません。原題が「都市ルーブル」とあるようにルーブル美術館を一つの都市と見立てて、そこで仕事をする様々な人々に焦点を当てていますが、これがいいですね。面白いと思います。えっ、こんなことをしている人もいるの? と驚きの連続です。こんな風に次々と紹介されれば画面に引きつけられることは間違いないのですが、Nicolas PHILIBERTの面白さはそれだけではありません。この「都市」に置かれた彫刻や絵画を捉えるカメラが良いのです。見る者の想像力をしっかりと刺激して、それらがあたかも動きだし、このルーブルという都市空間の中で時空を越えたコミュニケーションを行うかのようです。それは最後のシーンで一人一人じっくりと映し出される「都市ルーブル」の住人達と呼応しているのですね。こんなに柔らかく想像力に満ちた美しい画面はどのように生み出されるのでしょうか。それにカメラの魅力が発揮されるのは止まっている時だけではありません。動いている時もなのです。私が特に好きなのは、歩いている人を後から追うカメラなのですが、これは都市空間を思索しながら彷徨う心地よさを味わせてくれます。哲学のカメラです。7点


8月1日広島ルーブル東映 李相日『69 sixty nine

やっぱり期待したほどではなかった。確かにそれぞれのシーンは面白い。妻夫木はいつもながら乗っているし、アダマの方言もその美形との落差が面白く、スカトロジーもあればレディー・ジェーンとの耽美的な邂逅もある。しかし、カナヅチのアダマとともに橋から飛び降りて危機を脱したケンが大笑いしながら「人生は楽しまなきゃ」らしきことを言うが、映像は原作の楽しさと笑いを追うばかりで、登場人物の細部が十分に描かれていない。まあ「お祭り男の波乱に満ちた高校時代」としては十分なのかもしれないが物足りない。レディー・ジェーンとの邂逅も薔薇の絨毯は不完全だし、肝心のレディー・ジェーンは私には魅力的には写らない。それにせっかくフジカシングルエイト(懐かしい!)で8mmを撮っているんだから、なぜその映像を見せてくれないの?冒頭はなぜフッシュバックなの?溶けるアイスクリームの間は中途半端では?読み返していないけど村上龍の原作は圧倒的に面白かったよね。嶋田久作先生にcontestationをすることでメリハリをつけたつもりかもしれないが、単に原作の面白いところを少し気を利かせてなぞったに過ぎない。ところで話は変わるが、この作品を上映した広島ルーブル東映も何を考えてるのか分からない。「カップルのどちらかが50歳以上でしたら、お二人で2000円で映画をご覧になれま〜す」などと言っておいて、ガッチャマンを始めとするガチャガチャ映画の予告編やオモチャのチャチャチャ広告はないだろう。何がしたいのか、そのためにはどうしたらいいのかぐらいは少し考えてもいいのではないか。ガチャガチャ映画で周りはイチャイチャでは本当の「大人」は映画を楽しめない。更に言わせてもらえば、上映中最終巻の画面焦点が合っていなかったが、これ恥ずかしくないのですかね。パリはダンフェール・ロシュローの映画館でロブ・グリエの映画を観ていた時に同じようなことがあったが、その時は観客の一人が"mise au point!"と叫んで画面の焦点が合った。なるほどこんな時にもmise au pointが使えることを学んだが、これをルーブル東映へ翻訳すればさしずめ「画面がボケとるやないか、このボケ!」といったところか。本題に戻れば、毒がありそうで毒がない軽佻浮薄、そして監督の力量不足で5点


6月14日サロンシネマ Gus VAN SANT『エレファント』Elephant

二人の少年の動機を明確にしなかったのは、それはそうするだけの情報が十分に無かったからではないだろう。物語上の脚色(いじめや銃)によって彼らの内心を描き出すことはできたかもしれないが、そうはしなかった。それは多分に意図的である。どう意図的なのか。アレックスとエリックの性格だけがこの事件の「原因」ではないと考えたからだ。彼らは他の高校生と変わらない。父親がアル中で自分が車を運転しなければならない男の子、ダイエットのために食べたばかりの食事をトイレでもどす女子校生、とにかくポートレート作りに熱中する子、デートのために学校を抜け出すカップル、いつも先生や同級生のプレッシャーを感じて学校にいる女の子。ずれていると言えば軽いが、何かが少しずつ、そして全体が崩れている。そういった様々な「要因」を提示しつつ、その原因がどこのあるのかまでは掘り下げない。むしろ全体を淡々と描く。カメラと叙述の手法がそれを補強する。カメラは時に固定されて対象をフレームから外す。そうすることで、その斜に構えたカメラの冷たさはこの物語の「ずれ」や「崩れ」を象徴的に語っているようにも思われる。また、カメラは一度動き出せばひたすら人物を追って、その人物の行動圏を描く。そうかと思えば、同じシーンを幾つかのパターンで繋ぎ合わせ、一つの行為を様々な視点で見ることを私たちに要求する。これらを巧みに組み合わせ、間には高校生の名前を入れることで緊張感あるリズムを築く。この全体からわき上がる淡々とした怖さは柳町光男の『火まつり』(中上健次原作)にも何か通じるものがある。熊野の山とアメリカ社会、場所は違うが人はそこで変貌する。7点


5月24日サロンシネマ 『10ミニッツ・オールダー イデアの森』Ten Minutes Older: The Cello

Bernardo BERTOLUCCI『水の寓話』Histoire D'eaux もっと思いっきり「水」を使ってもよかったのでは 6点
Mike FIGGIS『時代×4』About Times 2 手法としては使い古されているし、イメージ展開にもう一工夫ほしい 2点
Jiri MENZEL『老優の一瞬』One Moment 映画では一瞬(10分)だが人には歴史がある。R.フルシンスキー、いい顔だ 6点
Istvan SZABO『10分後』Ten Minutes After たった10分でも人生は大きく変わる。3点
Claire DENIS『ジャン=リュック・ナンシーとの対話』Vers Nancy この対話は10分では短すぎないか。物足りない。3点
Volker SCHLONDORFF『啓示されし者』The Enligntenment 面白さがよく分からない。1点
Michael RADFORD『星に魅せられて』Addicted To The Stars よく知られたテーマを10分にまとめて面白いのかしら 4点
Jean-Luc GODARD『時間の闇の中で』Dans Le Noir Du Temps いつもながらの鋭いモンタージュ。パゾリーニの『奇跡の丘』が出てきたのには参った。6点
総合点に反映されている通り全体を通してイマイチ。そもそもゴダールが10分である必然性は何だろう。テーマが「10分」であることはよく分かるが、実時間(映写時間)も10分であって、この時間の使い方にもう一工夫あってもよいのではないでしょうか。総合4点


5月24日サロンシネマ 『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』Ten Minutes Older: The Trumpet

Aki KAURISMAKI『結婚は10分で決める』Dogs Have No Hell 言葉少ないあの顔の演技だけで満足できるカウリスマキ。 5点
Victor ERICE『ライフライン』Lifeline 映像、カメラ、編集、リズム、演出、役者の顔、全てにおいてparfait! 10点
Werner HERZOG『失われた一万年』Ten Thousand Years Older 表面的な時間の経過だけで終わった感がする。これまた10分では短かい。4点
Jim JARMUSCH『女優のブレイクタイム』Int. Trailer Night グールドのゴールドベルグに合わせてブレイクタイムの緊張感をうまく引き出す。8点
Wim WENDERS『トローナからの12マイル』Twelves Miles To Trona ヴェンダースは本当にこういう映像が好きですね。でも短編としてツボを押さえているところはさすが。7点
Spike LEE『ゴアVSブッシュ』We Wuz Robbed そんな過去の話はどうでもよい。要は次の選挙でサルを落とすだけだ。3点
Chen KAIGE『夢幻百花』100 Flowers Hidden Deep このユーモアもよく分からない。単純すぎないか。4点
とにかく『ライフライン』がダントツで素晴らしい。10分の中に事件とその解決を巧みに込める。総合6点


5月10日サロンシネマ Francis VEBER『ルビー&カンタン』Tais toi!

この日本語タイトルも芸がないね。原題は広島弁ならさしずめ「だまりんさい!」というところだろ?タイトルのやる気のなさもさることながら、内容の方もFrancis VEBERのいつものスピード感がなく、切れも悪くて期待したほどではない。その原因はひとえにJean RENOにある。DEPARDIEUが捨て身であんなに頑張っているのに、Jean、しっかりしんさい!でもシナリオも悪すぎるな。だってLe diner de consやLe Placardに比べて詰めが甘すぎるだもん。Francis、ええころかげん(これ名古屋弁です)なことやっとてはおえん(!?) たちまち役者の色を意識しすぎたり、ご都合主義のカンタンシナリオは止めんさい!じゃけえ、「Tais toi!」のセリフももう少しうまく使いんさい!3点


5月5日サロンシネマ Wolfgang BECKER『グッバイ、レーニン!』Goog bye, Lenin!

『アメリ』とよく似ている。世界を揺るがす大きな出来事のすぐ横で、小さな個人的出来事が起こる。でもそれは彼女や彼にとっては決して小さくはない。殆ど「世界」のすべてと言ってもよい。物語ばかりでなく、音楽もYann TIERSENTが担当することでベルリンとパリとの違いはあるものの、よく似た雰囲気を作り出す。ただ、完璧主義者Jean-Pierre JEUNETが彼独特の映像美で迫るとすれば、BECKERの方は主人公アレックスの友人「映像作家」デニスに投影されているようで、キューブリック(実際に名前が出てくる)やフェリーニ(La Dolce Vitaの冒頭を思い起こそう)のオーバーラップや8ミリ映像を巧みに使って軽快で小気味よい世界を仕上げる。何気ないシーンだが、ヤンキーCoca Colaの会社前の撮影では、警備員がやがて排除にやってくることを知りつつも、「夕方の方が光がいいから」との理由でカメラを回すのを遅らせるところはとてもよい。権力よりも映像美を!しかし、何よりも、何よりも何よりも見事なのは図書館の中で「東ドイツ国民のみんなさん!」と呼びかける元宇宙飛行士の演説である。アレックス自身が告白するように以前の「東ドイツ」の再現は徐々に自分自身の(あるいは東ドイツの)理想を作り上げることになるのだが、この演説がその到達点でもあろう。西ドイツから難民が大量に押し寄せるという逆説を用いることで、競争原理のみが支配し動脈硬化に陥った資本主義を焙り出す。東西ドイツの壁の解体(あるいは崩壊)とは一体なんだったのか。9点


4月26日サロンシネマ 行定勲『きょうのできごと a day on the Planet』

まったくつまらない。確かに「きょうのできごと」を受け入れて、「明日」を迎えようというテーマは見えてはくる。しかし、全体からは「待ち」のもどかしさしか伝わってこない。こういっちゃ何だが、ああいうクジラの使い方はもういいんじゃないんですか。役者の演技に面白さがないわけではないが(たのしいかわちとちよ、けいとがきゅーと)、テレビを見ながら「いろいろな場所でいろいろなことが起きているんだ」みたいな答えを言わせて一体どうしたいんだろう。3点


4月5日サロンシネマ Lars von TRIER『ドッグヴィル』Dogville

傑作である。John HURTのナレーションが畳み掛けるようなリズムを刻む。TRIER監督は、偽善の裏側に隠れる「傲慢」を『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の時と同じように鋭くえぐり出し、告発する。ほとんどが手持ちカメラで撮影された『ダンサー』は、そのカメラのリアルさと目の悪いセルマの夢想で展開される歌と踊りで見事なバランスを作っていたが、今回は極めて形式的な劇場空間に手持ちカメラで分け入りながらも、その形式を忘れるほどの恐ろしい臨場感を生み出す。観る者の想像力とカメラの動きがドッグヴィルへの参加をかき立てるのだ。例えばグレースがチャックに犯されるシーンは、あるはずの壁を取り払うことで、日常の偽善のすぐ横に「傲慢」が渦巻いていることを見せつける。そうかと思えば、禁断の実のリンゴを食べるグレースを固定されたカメラが真上からシート越しに捉えるショットなどは驚くほど美しい。ドックヴィルの村全体の様子を固定カメラが真上から捉えたところも幾何学的で見事だ。細かいところを言えば、グレースに付けられた首輪とおもりにさえも不思議な美的センスを感じさせる。また『ゴッドファーザー』では蜂の巣にされたJames CAANはここではほとんど顔だけしか登場しないが、そのギョロとした目と落ち着いたセリフ回しで、凄まじい迫力を出す。ここまでやるのかという容赦のない突っ込みとこの美学にただ驚くばかりだ。どれもこれも完成度が高い。しかしながら、私の精神の
半分はフランス野郎なので、どうしても批判なしでは済ますことができない。それは最後の犬の登場である。これには納得できない。なぜ本物のdogを登場させて吠えさせるのだろうか。解放されたとでも言いたいのだろうか。たとえそうだとしても、最後まで姿を見せない方が怖いのに。9点


4月3日広島宝塚 芝山努『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』、渡辺歩『ザ・ムービー パーマン タコDEポン! アシHAポン!』

今回のドラえもんは週末とあって子どもが多く、開演前からワイワイがやがや。予告編が始まると、「ゴジラだ!」とか「コナン、コナン!」などの言葉があちこちから飛んで、館内は本編前から盛り上がる。私も「暗くなるまで待てない」という点では同じだが、もう少し穏やかに気持ちを溜めながら上映を待ちたい方なので(それほどたいそうなことではないと言われればそれまでだが)少々複雑な思いだ。今回の『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』のテーマは「約束」である。時空を越えて「約束」を果たそうとするところから物語は始まる。やっぱり時空というハードルを設定しないともはや現代では「約束」は見えにくいのだろうか。どうも映画版『ドラえもん』では設定が大げさで、最近はどの物語でも「危機」が待ちかまえ、のび太君達はいつも重大な「使命」を帯びることになるような気がしてならない。まあ、お上のためなら殺人までしてしまう組織を時代錯誤的な演出でここぞとばかりに巧みに流し込む国策放送局の「誠ちゃん」たちの「使命」よりはいいかな。ところで今回は『パーマン』が併映で、ここに収穫があった。悪役がフランス野郎で、彼が使うフランス語もどきが面白い。「タコデポ〜ン」、「アシハッポ〜ン」、「麻布ジュウバ〜ン」、「十と十でニジュウ〜」、「シメサバ〜」などと次からつぎと面白い言葉が出て来て、タイトルバックの歌ではこれらが炸裂する。私は思わず暗闇で万年筆を探し、メモを取ろうとした。4点


3月22日サロンシネマ 荒戸源次郎『赤目四十八瀧心中未遂』

これが傑作か?確かに寺島しのぶはいい。食事シーンの彼女の妖艶さは食べられてしまいそうな不気味な迫力がある。また、幾つかのイメージと映像(冒頭の蝶を追う少年、寺島が傘をさして歩む後ろ姿、水に浮く彼女の死など)は魅惑的である。しかし、多くのイメージの冒険は唐突で、白々しく、つまらない。また、スローモーションの使い方(意味は?演技者の視線が抜けるところはダメ出ししないの?)、コンクリート詰めのコミカルなシーン(笑いを取れないコミカルって何?)、東京からの知人の来訪(このエピソードの位置づけは?演技はこれでいいの?)、極め付きは最後の「合掌」(「なんじゃこりゃ〜?」)。これらは既にシナリオの段階で詰めが甘いし、出てきたものははっきり言ってクサイ。内田裕也もなるほどコワイ。大楠道代も悪くはない、悪くはないが荒戸源次郎自身がプロデュースした清順の『チゴイネルワイゼン』には遠く及ばない。そう、この映画は清順の亜流である。期待はずれ。寺島しのぶだけの4点。


3月8日サロンシネマ Coline SERREAU『女はみんな生きている』Chaos

主演のCatherine FROTが可愛い。最初はたどたどしい一つひとつの所作が、少しずつ自信を帯びてやがて晩のおかずから「全面戦争」la guerre totaleへと爆発する。それでも可愛さが残るのは彼女が完全な変貌を遂げていないからであろう。Coline SERREAUのコメディーはいつも(意図的ではないと思うが)スキがあって、これが物語に弾力性を生む。Francis VEBERの喜劇がTGVなら、Colineのそれは野に吹く柔らかい風のようである。ラストでは「混沌」から秩序が再生されたのだろうか。キャンバスの枠に収まった彼女たちの恍惚に満ちた顔に浮かぶものは「勝利」なのか「空しさ」なのか。この気だるさと、所どころ音の抜けたゴールドベルクから、彼女たちが海の先に見ようとしているものがはやり「男」であると感じるのは私だけではないだろう。6点。


1月19日ツインシネマ 犬童一心 『ジョゼと虎と魚たち』

何と言ってもタイトルがいい。勿論これは田辺聖子の原作に負うわけだが、「ジョゼ」という音の響きと「虎」と「魚」のイメージに惹かれる。こんな素敵なタイトルはそう滅多にない。市川準の『東京マリーゴールド』以来だ(こちらの原作者林真理子はダイキライだが)。ヤンキーゴーホーム映画に代表されるカタカナタイトルがゴミのように並べられている新聞の映画欄を見るにつけ(この点は先に書いた『ブレッド&ローズ』の項を参照)、救いとも写るこれらの邦画タイトル。音楽業界と同じく、これからは日本映画がきっと幅を効かせますね、きっと。さて、肝心の映画だが、これがタイトルに負けず劣らず出来が良いのである。妻夫木が突出することもなく、渡辺あやの脚本も丁寧で、おまけに場所を選んで挿入されるくるりの音楽も単なるBGMに堕することなく見事。物語の結末(これは冒頭で既に予想できるが)、恒夫がナレーションでジョゼから「逃げた」ことを淡々と語った後、カメラが「恋人」と歩道を歩むその彼の姿を車やトラックが疾走する道路越しに追う。二人は黙ったまま歩んで、しばらくしたところで彼は突然立ち止まり、号泣する。カメラはカットもズームもすることなく、疾走する車やトラックの音とともに彼の号泣を捉える。そしてラストはジョゼのたった一人のパワフルな生活で終わるのである。このラストシーンはいい。このシーンもいいのだが、物語の転換となる二人の旅の中にも印象的なシーンがある。将来を約束するために出かけた旅だが、それが別れの自覚となる。今までは現在しか見ていなかった恒夫が、ジョゼの体を背負いながら将来を語るとき、その彼女の重さは突如将来への重みとなって彼は「ひよる」(弟の言葉「ひよったと」は鋭い!)。これを察知したジョゼの顔は暗いのだが、彼女を背負う彼にはその顔が見えない。そこのところを浜辺のサーファーに撮ってもらう写真で焙り出す。心憎い演出である。そうそう、この第三者の使い方もうまくて、老婆がしばしば繰り返す「世間」という言葉の照り返しのように、第三者がいつも彼とジョゼの二人を見ている。こんな具合に細部にも注意が行き届いた傑作なのだが、一点のみ注文。ラストの彼の号泣である。泣き出すまでもうすこし待ってほしかった。こちらとしてはまだ「号泣する準備はできて」いないからである。犬童一心と言えば、私たちが学生時代に8ミリで作品を撮っていた「同期生」、今後が楽しみである。最後に作品の出来とは関係ないが、これは言っておかなければならない。真理アンヌはやっぱり美しいなあ。清順美学の頂点『殺しの烙印』ではその美しさに「はっ」としたが、今回は場末の雀荘で「どきっ」とした。今年さい先よく9点

2002年の映画採点簿

2001年の映画採点簿

2000年の映画採点簿


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