正負のイオンを含む溶液に直流電圧をかけると、イオンは極性に応じて対極に向かって移動します。この現象を電気泳動と言い、古く19世紀半ばから知られている現象です。20世紀半ばには装置化され、タンパク質に代表される生体高分子イオンや無機イオンまで、イオン性物質の分離・精製や分析などに広く利用されてきました。
この歴史的な技術が、キャピラリー電気泳動と呼ばれる新しい分析技術の進歩と共に、再び脚光をあびるようになってきています。この技術の原理を図1に示しました(図1 キャピラリー電気泳動の原理(16.8kB))。1m程度の長さの細い石英製分離管(キャピラリー)に、分離に有効な電解液(支持電解液)を充填した後、キャピラリーの一端に試料を充填し、両端に直流の高電圧をかけます。イオンの動き易さは単位長さあたりの電圧(電位勾配)に比例します。石英キャピラリーは丈夫ですから、300V/cm程度までのかなり高い電位勾配を簡単に発生させる事ができるので、安全に迅速分離が可能になります(この時、1mのキャピラリーを使用すると両端で30,000Vになります)。
キャピラリーは内径が100μm程度と極めて小さいため、内部に充填された支持電解液の中心部と壁面の温度差が小さく、従って熱対流が生じにくくなり、良好な分離が得られる特徴があります。さらに分析にはごくわずかの量の試料(〜10nlつまり1億分の1リットル)があれば良く、また分析に使う支持電解液も1度に1ml程度しか必要としません。その結果、分析操作により廃棄物がごくわずかしか発生しないため、環境にやさしい(いわゆるゼロエミッションに近い)分析法として注目を集めています。この方法は、極微量のイオン性試料の分析に適しており、通常の分析の他、例えば細胞液を直接細胞から取り込んで分析したり、雨粒を一滴ずつ成分分析したり、本法ならではの応用例が報告されています。
どのような方法にも欠点はあるものですが、同じような試料を対象とするイオンクロマトグラフ法に比べると、イオンの移動に高精度のポンプを使用しない分、再現性などに多少問題があります。そのため、今までの所JIS規格に採用された例はありません。環境にやさしい分析法であるという利点を活かすためには、この方法を高精度な分析法として確立させる必要があります。我々の研究室では精度を悪化させる原因を明らかにする実験やシミュレーション技法(計算機実験)を使用する解析により原理的な観点から高精度化の研究を進め、成果をあげています。さらに電気泳動現象は複雑な要因によって影響を受けるため、良好な分離を得るには試料に応じて適当な支持電解液を使用する必要がありますが、この条件設定にも理論的予測が有効に利用でき、そのためのソフトウエアの開発なども行なっています。
さて、キャピラリー電気泳動は、極微量を扱う分析技術として重要ですが、逆に言うと試料を分け取ったり、多量の試料の精製などには不適当です。このような目的には図2のようなフリーフロー電気泳動法という方法が使用されます(図2 フリーフロー電気泳動法の原理(32kB))。分離は厚さ0.5mm程度の薄い分離槽で行われます。試料と分離用電解液を分離槽上部からポンプで連続的に供給し、その流れ(層流)に直角に電場をかけると、試料が上から下へと移動する間に電気泳動して分離されます。分離された試料は下端に並べられたチューブから外部に取り出されます。こうしてフリーフロー電気泳動法を使用すると、大量の試料の分離・精製が可能となります。表紙写真は我々の開発した双方向等速電気泳動法で試料を連続分離しているところで、色素は泳動コースを示すために入れたものです(表紙写真と解説)。
先にキャピラリー電気泳動法のところで述べたように、電気泳動ではジュール熱の発生が熱対流の原因となり分離を悪化させます。この対流の根本的原因は、言うまでもなく、温度により水の比重が異なるためです(ガス風呂がうまく沸く理由でもありますが)。フリーフロー電気泳動法では大量の試料を処理することが目的ですから、分離槽をあまり薄くすると処理能力が低下し装置としての意味が薄れます。むしろ分離槽を厚くしたいのですが、そうすると熱対流が激しくなり分離が悪化します。
このような矛盾を解決する方法が一つだけあります。それはこのようなフリーフロー電気泳動を、重力の無い世界で行えば良いのです。つまりスペースシャトルなどに電気泳動装置を積み込んで、宇宙の微小重力空間で実験を行えばよいのです。これはすでにアメリカやロシアでは何度か有用な生体関連物質の分離が実験されており、日本でもかって毛利さん(1992)と向井さん(1994)により2度実験が行われています。残念ながら2度とも装置のトラブルで十分な結果が得られませんでしたのでシャトルで電気泳動実験が行われたことを知らない人も多いことでしょうが、貴重な基礎データが得られています。現在、宇宙ステーション計画が進行中ですが、ステーションでは長時間微小重力空間が利用できるため、フリーフロー電気泳動装置も搭載候補として検討されています。我々は宇宙開発事業団(日本宇宙フォーラム)の依託を受けて装置開発に関する基礎研究を開始していますが、うまく行けば、21世紀には宇宙工場の一環として役に立つかも知れません。なお日本の宇宙開発の歴史と現状は宇宙開発事業団のホームページ(http://www.nasda.go.jp/)に詳しく掲載されています。