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●巻頭言

広島のアートめぐり

大島徹也広島大学大学院総合科学研究科准教授)

愛知県美術館から広島大学に異動して二年が経とうとしています。名古屋での学芸員時代には、仕事で広島県立美術館、広島市現代美術館、ひろしま美術館に何度かお邪魔することがありましたが、こうして広島に住み始め、もっと広く深くこの地域のアートの世界に入り込むことができるようになってきました。広島県美術館ネットワークが半年ごとに発行している「広島県の美術館 展覧会スケジュール」というリーフレットは私の必携資料で、これを参考に、あちこちの美術館を楽しく回っています。

美術館以外では、ギャラリーたむらやギャラリーG、横川創苑などの画廊にもよく行きます。(画廊回りには、NPO法人アートプラットホームG発行の「広島ギャラリーマップ」が便利です。)横川創苑は「横川カルチャーの発信場所」として2014年にスタートした画廊ですが、早くもその街にとって大切な場となっているようです。ある時など、小学生の女の子が「展示を見に来た」と言って独りでフラっと入ってきて、画廊のスタッフと親しげに会話をして帰っていきました。その光景が今でも強く心に残っています。

いわゆる「画廊」というのとはちょっと違う場としては、広島芸術センターや光明寺會舘に特に注目しています。これらはアーティストたちが運営しているスペースで、空間そのものや、そこで行われる展覧会は、溢れるエネルギーと鋭敏なセンスを感じさせてくれます。光明寺會舘では、アーティスト・イン・レジデンスなども行われています。私が昨夏に訪れた時には、ロサンゼルスを拠点とするアメリカ人アーティストが制作をしていました。彼からLAアート界の現況を聞いたり、そのなかでたまたま共通の友人アーティストがいることも判明して話が盛り上がり、充実したアート交流のひとときを過ごしました。

特に私がこの原稿を書いている時期(2月中旬)だと、広島市立大学、尾道市立大学、広島大学などで卒業・修了制作展が開催されています。それらは、未来を担う若いアーティストたちの仕事を知る良い機会です。私はこの種の展覧会に出掛ける時はいつも、宝探しに行くようなワクワク感を少し覚えます。昨年は、職場での仕事が忙しい時期でしたが、広島一年目だったこともあって、上記三大学のものは全会場見て回りました。いくつかの光る個性を見つけたり、それぞれの大学の特徴や傾向も判ってとても勉強になったので、今年もこの原稿の提出を延期してでも、全部見に行くつもりです。

その他、アートベース百島、国際現代美術展「ヒロシマアートドキュメント」、横川創荘、ヒロセコレクション、アートギャラリーミヤウチ、クシノテラスのことなども書きたいのですが、もう紙幅がありません。最後に、昨年秋にオープンしたばかりの新しいアートスポットに触れておきたいと思います。「神勝寺 禅と庭のミュージアム」です。ここでは、臨済宗建仁寺派・神勝寺の建築、庭、茶、禅画・墨跡コレクション、現代アートのインスタレーションなど、「禅×アート」の境地をたっぷりと味わうことができる模様です。私は、ここはまだ訪れておらず、気候が暖かくなってきた頃の良い機会を窺っているところです。

もとより視野は広く持つべきで、「広島」という枠組みにこだわる必要性はないとも一方で考えていますが、いま自分が生きている場所のことはやはり意識します。こうして広島のさまざまなアート系の組織が良き刺激を与え合い、時には連携したりして、この地域のアート活動がいっそう発展していくことをとても楽しみにしています。

 

●第117回例会報告

研究発表報告① 戦後台湾の日本語文学―黄霊芝「自選百句」の方法―

発表:下岡友加(広島大学大学院文学研究科 准教授)

報告:西原大輔(広島大学大学院教育学研究科 教授)

黄霊芝(1928–2016)は、戦後も日本語で書き続けた台湾の文学者で、小説のみならず、俳句の創作も手がけている。台北俳句会を主宰し、『台湾俳句歳時記』(言叢社、2003年)を刊行した。下岡友加氏は、この台湾人作家を研究する数少ない日本人学者で、台湾で教鞭を執った経験があり、本人とも面識があった。すでに『黄霊芝小説選1・2』を編纂している。発表では焦点を俳句にしぼり、『黄霊芝小説集2』(渓水社、2015年)所収「自選百句」の分析を行った。資料として、「自選百句」のほか、B5版で12枚分の文章が配付され、これを読み上げる形で発表が行われた。その要旨は会報140号に掲載されている。

質疑で話題になったのは、漢詩的発想が見られる作品「表門ブーゲンビリア裏備ヘイカダカズラ」「一丁目一番地 大鉄門に御所桜」であった。しかし、このような対句表現はこの二句に限られており、必ずしも「自選百句」の主流ではない。また、反復を生かした句「初蝉に雨、雨、雨、雨」「蝉閉ざす教室の窓一、二、三、四、五…」が冒頭に置かれているため、自由律の俳人という印象が与えられるが、大多数を占める九十三句が定型句であることも、議論を通じて確認された。

私自身が感じたのは、黄霊芝は蝉の詩人だということである。「深草少将といひ蝉といひ」「耳に蝉マラソンン走者走らねば」「蝉一日休暇の町の疲れたる」「かなかなや帰りを急ぐ日雇女」「あぶら蝉標高二千といふ森閑」など、百句中に十八点もの蝉の句がある。それは、亜熱帯台湾の風土が生み出したものである。しかし、二十歳で結核を病み、十六年間も療養した黄霊芝にとって、蝉は命の象徴であったに違いない。蝉の鳴き声を聞いていると、限られた短命な人生を急いで走らねばという気持ちになる。「耳に蝉マラソンン走者走らねば」が、私の心に最も響いた俳句であった。黄霊芝は昨年、八十数年の天寿を全うした。

 

研究発表報告② ピエール・ボナール作《桟敷席》に関する一考察―ベルネーム=ジュヌ画廊との関わり を中心に―

発表:渡辺千尋(呉市立美術館学芸員)

報告:谷藤史彦(ふくやま美術館副館長)

19世紀半以降のフランス近代において、絵画は大きな転換点を迎え、売買されやすいサイズの作品が制作され、画商の活躍する余地が大きくなった。ピカソにはヴォラールやカーンワイーラーが付き添い、モディリアーニにはポール・ギョームやズボロフスキーがいて、彼らの活動を支えたように、ボナールの活躍にはベルネーム=ジュヌ画廊の存在が欠かせなかった。今回の発表は、こうした近代の画商に焦点を当てた貴重な考察であった。

1908年の《桟敷席》には、ジョスとガストンのベルネーム=ジュヌ兄弟とその妻たちの4人が描かれていた。発表者は、それぞれの立ち位置を確認しながら、ガストンの頭部上部が寸断されていることに注目する。先々代からはじまった画廊の歴史を振り返り、ジョスとガストンの代になって新進のボナールと契約を始め、ボナールも落ち着いて制作する環境が整っていった。そうしたなかでなぜ頭部を寸断させてしまったのかという謎が残るとした。

ボナールは、カンヴァスを壁に張る独自の制作法で描くが、必ずしもその制作法が寸断の原因でない。しかし、ボナールは1894年の《祖母と子供》や1908年の《化粧室の鏡》、1915年の《コーヒー》などでも身体を寸断する作品を描いているので、絵画構成上の問題で身体を寸断することもいとわない癖があるとした。そうしたなか《桟敷席》において何らかの意図を持って寸断したのだろうとしたが、明確な謎解きは先延ばしする形で発表を終えた。

ボナールとベルネーム=ジュヌ兄弟との関係は晩年近くまで続いたことを考えれば、特に悪い関係にあったとは思えない。では一体どんな意図があったのであろうか。発表者のさらなる研究に期待したいところである。

 

─事務局から─

会費未納者の方々へ

今年度の会費が未納の方には、「会費納入のお願い」という書状を今回の会報発送時に同封してあります。その書状をお受け取りになった方は、3月末日までに会費を納入してください。

現在、当学会の会費納入率は非常に低く、このままではこれまでのような学会活動を継続していくことが危ぶまれます。当学会の維持と発展のために、会費は必ず納入してくださるよう、お願いします。

学会メーリングリストの作成

当学会の情報伝達手段として、従来の会報やホームページに加え、e-mail(メール)を利用することが昨年12月の委員会で決定しましたので、お知らせします。つきましては、学会メーリングリスト(ML)の作成を行いたいと思います。

MLは事務局が管理し、MLによるメール送信は事務局のみが行います。その際、個人情報の保護には充分に配慮し(常にBCC機能を使用)、また当学会の活動に直接関係する目的以外では使用いたしません。

なお、MLを使って事務局が発信する情報は、原則として会報やホームページで発信される情報を超えることはありません。ただし、状況に応じて、MLによる情報発信が先行することがあります。

ML登録希望の方は、登録希望のメールアドレスから、その旨事務局(hirogei@hiroshima-u.ac.jp)までご連絡ください。

(事務局長・大島徹也)

新入会者のお知らせ(敬称略)

佐々木 千嘉(ささき・ちひろ/近現代香川県の漆工史)

山口 牧子(やまぐち・まきこ/絵画、近現代美術)

 

─会報部会から─

チラシ同封について

会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1,000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は4月上旬の発行を予定しています。

(馬場有里子090-8602-6888、baba@eum.ac.jp

 

 

研究発表募集

本学会は、随時、研究発表を募集しています。研究発表申し込み手順については、下記をご参照ください。

その他詳細は事務局までお問い合わせください。次回の発表機会は7月の大会となります。

(1)研究発表主題、600字程度の発表要旨に、氏名、連絡先、所属ないし研究歴等を明記の上、 事務局宛てに、郵送またはE-mailにて、お申し込みください。

(2)委員会で研究発表の主題および要旨を審査の上、発表を依頼します。

 

― 次回第118回例会のご案内 ―

下記のとおり第118回例会を開催いたします。どうぞ多数お集まりください。

日時:2017年3月18日(土) 14:30~16:30

会場:広島大学(東広島キャンパス)学生プラザ4階 多目的室1・2

(広大西口バス停下車5分。総合科学部の北の白い建物。迷ったら080-6307-5661(西原)へ)

※広大西口へは、JR西条駅から「広島大学」行に乗車(所要時間 約15分)

時刻表は広島大学ホームページから検索できます。

第1部:研究発表

日本人形とそれを取り巻く環境―近代日本における人形認識の一断面―

兼内伸之介(広島大学総合科学研究科・博士課程後期)

日本において、人形が美術として公的な場で認められたのは、1936年の帝国美術院改組第一回展においてである。人形の新帝展進出に際して、「青い目の人形交流」を契機に行われた活動に関しては、先行研究が存在する。しかしながら、当時の人々が、美術品として認められるにいたった人形という表現媒体に対し、どのような認識を抱いていたかは、判然としない部分がある。本発表では、明治から昭和の前半にかけて、いくつかの言説を取り上げて、人形という表現媒体そのものに対する認識の一端を明らかにしたい。

本発表では、美術品として評価された人形がどのような認識の下にあるかを探る方途として、人形藝術運動に参加していた人々に着目する。人形研究会には、児童文学者の巌谷小波(1870-1933)など、大正自由教育と大いに関わっていた人物がいたことを確認できる。雛人形は、教育学・心理学で著名であった高島平三郎(1865-1946)によって家庭での教育と結びつけられ、以後、人形と教育との関係が強まっていく。こういった動きは、工芸品として早くから認められていた博多人形などにおいても認められる。それ以前にも、内国勧業博覧会の審査報告などを参照すると、教育に資するものとして認識されていたことがわかる。上記のように人形は、教育と関係を持ちつつ、工芸品として発達していったことが理解される。こうした受容体系とともに、大正自由教育の気風も合わさって、「童心主義」的な人形が制作されていったのではないだろうか。

こうした人形観は、今日われわれが人形を制作・鑑賞する際に無縁のものではないだろう。表現媒体としての人形が持つ性格の一端を、萌芽期の言説から読み解いていきたい。

第2部:批評会 

谷藤史彦『ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術』(中央公論美術出版)を読む

著者: 谷藤史彦(ふくやま美術館・副館長)

批評者:大島徹也(広島大学大学院総合科学研究科・准教授)

 本書は、ルチオ・フォンタナの考え方や作品を、イタリア20世紀の美術思潮との関連を丹念にたどりながら考察し、その本質的な問題である伝統性と革新性の問題を究明することをその目的とした。

20世紀初頭の形而上絵画は、象徴主義を引き継ぐ伝統性をその特徴とした。一方、未来派は、伝統的なものを打ち破ろうとする革新性をその特徴とした。この伝統性と革新性の問題が混然とし、複雑に絡み合って展開したのが、イタリア20世紀美術の本質的なものであった。

フォンタナの研究のなかでこれまで適切に説明されていなかった点は、伝統的な表現と革新的な表現の混在の問題であったと、筆者は考える。フォンタナの表現が、イタリア20世紀美術の展開と切り離せないのは当然であるが、その20世紀美術の要点そのものが、その表現の中心にあると考えることができる。つまり伝統的で文学的な傾向の側面と、革新的で造形的な傾向が強い側面、これら2つの要素が複雑に絡み合い、影響しあってフォンタナの表現に併存する形で出現していたことをたどっていく。(谷藤史彦)