チョウは基本的に天敵などから身を守るための攻撃用武器は持っていません。しかしある種のチョウでは、悪臭を出したり、体内に有毒物質を蓄えたりすることによって身を守ろうとします。これらはいわば「化学兵器」というべきもので、チョウに限らず多くの昆虫種に見られる防衛手段です。このような化学兵器(防御物質)を利用した護身を化学防衛と呼びますが、しばしば派手な色彩(警戒色)や多様な擬態と結びついてその防衛をさらに効果的なものにしていると考えられています。悪臭などの忌避物質を分泌するチョウはアゲハチョウ類の幼虫を代表例として、一部のドクチョウ類にも見られますが、有毒物質を体内蓄積するチョウは多くの科で多数知られています。これらの有毒物質のほとんどは食餌植物に由来するものですが、有毒植物を食べている(食べた)からといってその全てのチョウが体内に有毒物質を持っているとは限らず、この点は注意が必要です。アゲハチョウ類幼虫 (Papilionidae)
マダラチョウ類 (Danaidae)の体内蓄積
アゲハチョウ類幼虫の臭角分泌物
臭角とは?
アゲハチョウ類の幼虫は「臭角」と呼ばれる一対の細長い角状の分泌器官(黄色〜赤紫色)を持っています。普段は皮膚の下に内臓されているのですが、幼虫を触ったりして驚かせると、背中部分の頭と胸の間からこれを反転させて突き出して敵を威嚇します。このとき臭角の表面は液体の分泌物で覆われていて、ここから特異な匂い(悪臭)を発散させます。このようなことから幼虫の臭角分泌物は外敵から身を守るための防御物質(化学兵器)と考えられています。
臭角を出しているクロアゲハの5齢幼虫 臭角を出しているクロアゲハの4齢幼虫 臭角を出しているジャコウアゲハの5齢幼虫
臭角を出しているホソオチョウの5齢幼虫 分泌物の成分は多様ですが、概ねモノテルペン、セスキテルペンなどのテルペン系の炭化水素類とイソ酪酸、2-メチル酪酸などの低級脂肪酸とそれらのメチルおよびエチルエステルが主要な揮発性成分です。ただ、蝶の種類によって、終齢(普通5齢)とそれ以前とで成分の種類が極端に変化するものと、生長過程でずっと変化しない種に分類することができます。クロアゲハやカラスアゲハは前者のグループで、4齢まではモノテルペンとセスキテルペンの混合物を分泌していますが、5齢になると一変して低級脂肪酸類とそれらのエステルを分泌するようになります。一方、ギフチョウ、ジャコウアゲハ、ウスバアゲハ、アオスジアゲハなどは後者に属し、ギフチョウではモノテルペンだけを、ジャコウアゲハではセスキテルペンだけを、ウスバアゲハとアオスジアゲハでは低級脂肪酸とエステルだけを分泌する。というように種によってそれぞれに特徴が見られますが、同じ属の中では質的な類似点の見られるのが普通です。また、ジャコウアゲハなどのようにウマノスズクサ類を食べている幼虫は、食草に含まれている有毒なアリストロキア酸を体内に蓄え、臭角にも沢山持っていることが報告されています。
アゲハチョウ類幼虫の臭角分泌物成分の例 (出典) Insect Biochem. 10: 583-588 (1980)
J. Chem. Ecol. 7: 1089-1113 (1981)
J. Chem. Ecol. 21: 859-867 (1995)
J. Chem. Ecol. 32: 1999-2012 (2006)アリを使ってこれらの分泌物成分の効果を調べると、完璧ではありませんが、ある程度の防御効果のあることが分かりました。また、これらの成分のうち、低級脂肪酸類はイソロイシンやバリンなどのアミノ酸を原料にして、幼虫自身が体内で造って(生合成して)いることは既に知られていましたが、テルペン類については、酢酸(栄養として摂取した糖類から導かれる)を直接の原料として、やはり幼虫自身が生合成していることが安定同位体を用いた実験から分かりました。
臭角分泌物の防御効果を調べる実験。砂糖だけを入れたトレイにはアリが集まりますが(左)、臭角分泌物を加えるとほとんど寄ってきません(右)。 分泌物成分の中にはアリを興奮させる物質も含まれている場合があり、その場合は逆に幼虫は攻撃されやすくなってしまいます。
マダラチョウ類の体内蓄積
”マダラチョウは毒を持っている”とよく言われますが実際はどうなのでしょうか。北米大陸に生息し渡りをすることで有名なオオカバマダラの幼虫は、カルデノリド(CG:強心配糖体)という有毒物質を含むトウワタ類を食べて育ち、成虫はこれらを体内に蓄えているため一般に毒チョウと考えられます。しかし体内に持っているCGの種類や量には個体差が大きく、実際にはCGを持たない個体もかなりいます.また、トウワタを食べて育つマダラチョウは他にもいますが、全くCGを蓄えない種もいます。一方、マダラチョウ類の多くは成虫になってから、ピロリジジンアルカロイド(PA)という有害物質を含む植物を訪れて吸汁し、PAを体内に蓄えることも知られています(オオゴマダラなどでは幼虫時代に食草から摂取することが報告されています)。
他方、リュウキュウアサギマダラやアサギマダラの仲間が食草としてよく利用しているツルモウリンカなどのオオカモメヅル属の植物には、一般にフェナンスロインドリジジンアルカロイド(PIA)と呼ばれる有害物質が含まれていて、これを食べて育つリュウキュウアサギマダラはこのPIAを体内に蓄えていることが最近の研究で分かりました。彼らは成虫になっても時折食草を訪れて吸汁行動を行い、さらにPIAを取り込んでいるものと推察されます。PIAの体内蓄積の例はこれまで知られていませんでしたが、オオカモメヅル属植物を食べている多くのマダラチョウに普通に見られる現象ではないかと私達は考えています。
ヨツバヒヨドリの根で吸汁するスジグロカバマダラ オオゴマダラの幼虫をなめるリュウキュウアサギマダラ 食草に含まれるPIAを幼虫時代に体に蓄え、さらに食草のツルモウリンカで吸汁するリュウキュウアサギマダラ ツルモウリンカ(食草)で吸汁するアサギマダラ(♀) リュウキュウアサギマダラが体内蓄積するPIAの例