チョウのほとんどは、幼虫時代に植物を食べて育つ植食性昆虫です。しかし植物なら何でもよい訳ではなく、幼虫が食べられる、あるいは食べて成長できる植物(寄主植物、食草、食樹)の種類は普通、特定の科の数属の範囲に限られています。多くの種の雌は植物の葉などに直接産卵するので、母チョウが特定の植物を正しく識別できるかどうかは、種の存続にとって極めて重要なことです。幼虫や雌が、特定の植物を食べたり、それに産卵したりすることを寄主選択といいますが、寄主の認識・選択には一般に植物中の化学成分(特に二次代謝産物)が重要な働きをしています。母チョウは産卵に先立って前脚で葉の表面をたたき(ドラミング)、この時に前脚ふ節にある味覚感覚器を使って植物の成分を調べています、寄主植物や非寄主植物に含まれる雌の産卵を促す物質(産卵刺激物質)や産卵を妨げる物質(産卵阻害物質)を明らかにすることにより、分子レベルで彼らの食性や感覚器の進化過程をより詳しく知ることができると考えられます。
クロアゲハ (Papilio protenor)
シロオビアゲハ (Papilio polytes)
ヒメギフチョウの幼虫 (Luehdorfia puziloi)
モンキチョウ (Colias erate)
オオゴマダラ (Idea leuconoe)
リュウキュウアサギマダラ (Ideopsis similis)
アサギマダラ (Parantica sita)

クロアゲハの産卵刺激物質と阻害物質

 クロアゲハの幼虫はミカンなどの葉を食べて育ちますが、母チョウはミカンの葉に含まれている化学成分を前脚の先端部にある化学感覚器で感知して、寄主植物であることを確認してから産卵します。ミカン葉の中の産卵刺激物質(果皮にも含まれている)は、スタキドリン、キナ酸、プロリン、シネフリン、ナリンギン、ヘスペリジンなどであることが分かりました。しかしそれぞれ単独では雌は産卵せず、これらを混合すると(協力作用)顕著な刺激活性が現れます。

産卵刺激物質を塗布した人工の葉に産卵するクロアゲハ ミカン葉中のクロアゲハ産卵刺激物質の例
(出典) J. Chem. Ecol. 12: 1999-2010 (1986)
J. Chem. Ecol. 16: 325-337 (1990)

 クロアゲハの幼虫はキハダ(ミカン科)で良く育ちますが、雌はこれには産卵しません。キハダの葉の中には産卵を刺激する物質も含まれているのですが、雌が嫌がる物質も入っています。この物質はフェラムリンというフラボノイドの一種であることが分かりました。クロアゲハの雌はこの物質を大変嫌いますが、自然状態でキハダを寄主としているミヤマカラスアゲハの雌は、逆にこれによく反応して産卵します。
キハダの木。冷涼な山岳地帯に自生し、本州の中部以北ではミヤマカラスアゲハやカラスアゲハの主要な食樹となっている。葉には弱い芳香が有り、ベルベリンを含む樹皮(黄色)は薬用に供される。 Phellamurin:キハダに含まれる
クロアゲハの産卵阻害物質  
(出典) J. Chem. Ecol. 21: 1531-1539 (1995)

シロオビアゲハの産卵刺激物質と阻害物質

 南西諸島で最もよく見かけるアゲハチョウであるシロオビアゲハは、サルカケミカンやシークワシャー(ヒラミレモン)などのミカン科植物を主な寄主植物として利用しています。普通のミカン類とはかなり形態の異なるサルカケミカンは、国内のミカン科植物の中では特異な存在で、その化学成分にも興味が持たれます。詳しく調べたところ、母チョウはトランス-4-ヒドロキシ-N-メチル-L-プロリンと2-C-メチル-D-エリスロン酸の2成分を認識して産卵することが分かりました。また同じミカン科のハナシンボウギにも同じ物質が含まれていて、この植物が野外で利用されている理由も分かりました。
サンショウの葉に静止するシロオビアゲハの雌 シロオビアゲハの産卵刺激物質
(出典) Entomol. Exp. Appl. 105: 35-42 (2002)
J. Chem. Ecol. 29: 1621-1634 (2003)
 南西諸島にはゲッキツというミカン科植物があります。ゲッキツは上述のサルカケミカンとほぼ同所的に分布し、数も非常に多いにもかかわらず、シロオビアゲハに食害されることはありません。ゲッキツに含まれる植物化学成分を調べたところ、トリゴネリンという物質がシロオビアゲハの産卵を抑制することがわかりました。
ゲッキツ:アゲハチョウに食害されないミカン科植物。
最近は観葉植物としても利用される。
Trigonelline:ゲッキツに含まれる
シロオビアゲハの産卵阻害物質
(出典) Chemoecology 14: 199-205 (2004)

カンアオイに含まれるヒメギフチョウ幼虫の摂食阻害物質

 春の女神として知られるギフチョウ属の仲間にヒメギフチョウがいます(本州の中部以北に分布)。近縁のギフチョウは各種のカンアオイ類(ウマノスズクサ科)を食べていますが、このヒメギフチョウは少し系統の違うウスバサイシンだけを寄主に利用しています。なぜヒメギフチョウの幼虫がカンアオイを食べないのかを調べたところ、ミヤコアオイなどにはアサトンという幼虫の嫌がる物質の含まれていることが分かりました。
ヒメギフチョウ幼虫を使った摂食阻害試験のようす。アサトンを塗布したウスバサイシンの葉は殆ど食べない。 枯枝で休止するヒメギフチョウの雄
Asatone:ミヤコアオイなどに含まれるヒメギフチョウ幼虫の摂食阻害物質
(出典) J. Chem. Ecol. 21: 1541-1548 (1995)

モンキチョウの産卵刺激物質

 モンキチョウはクローバー、レンゲ、スズメノエンドウ、ミヤコグサなどのマメ科植物を寄主としています。これらの植物には共通してピニトールという糖に似た物質が含まれていて、これが本種の産卵刺激物質となっています。さらにクローバーやミヤコグサの中には、猛毒の青酸ガスの元となる青酸配糖体と称される物質(リナマリンやロタウストラリン)も含まれていますが、母蝶はこれらを嫌がるどころか、これらを混合するとより好んで産卵することも分かりました。
ランタナで吸蜜するモンキチョウ

産卵刺激物質を塗布した紙に産卵するモンキチョウ

モンキチョウの産卵刺激物質(協力作用物質)
(出典) J. Chem. Ecol. 23: 323-331 (1997)

オオゴマダラの産卵刺激物質

 各地の昆虫館でしばしば目にするオオゴマダラは、本来は南西諸島に生息するマダラチョウの仲間です。この蝶はキョウチクトウ科のホウライカガミを食べています。この植物にはピロリジジンアルカロイド(PA)と称される有毒な物質が含まれていますが、オオゴマダラの雌はこれを感知して産卵を行います。一般にマダラチョウ類とPA類の間には長い年月に亘る進化的な関わり合いがあると考えられており、この中でPAがどのような役割を担っているのか、今後の研究が期待されます。
ホウライカガミに産卵するオオゴマダラ ランタナで吸蜜中のオオゴマダラ
オオゴマダラの産卵刺激物質として働くPA類
(出典) J. Chem. Ecol. 23: 1703-1714 (1997)

リュウキュウアサギマダラの産卵刺激物質

 リュウキュウアサギマダラも南西諸島に生息する蝶で、ガガイモ科のツルモウリンカを食べています。この植物には別のアルカロイド(フェナンスロインドリジジン:PIA)類が含まれて、これが本種の産卵刺激物質になっています。ツルモウリンカの中には他種類のPIAが存在していて、これらが適当に混ざると雌に強い産卵行動を起こさせるのです。
PIAを塗布した紙に産卵するリュウキュウアサギマダラ トウワタで吸蜜中のリュウキュウアサギマダラ
リュウキュウアサギマダラの産卵刺激物質として働くPIA類
(出典) Experientia 51: 753-756 (1995)
Physiol. Entomol. 26: 6-10 (2001)

アサギマダラの産卵刺激物質

 渡りをするチョウとして有名なアサギマダラは、様々なガガイモ科植物を食べています。寄主植物の一つであるキジョランにはコンデュリトール類(二重結合を持つサイクリトール)とその配糖体が含まれており、これらはアサギマダラの産卵を引き起こす物質であることがわかりました。オオゴマダラやリュウキュウアサギマダラがアルカロイドと呼ばれる物質群を産卵に利用するのに対し、アサギマダラは種類が全く異なる植物成分を利用するという特徴があります。
コンデュリトールを塗布した人工葉に産卵する
アサギマダラ
アサギマダラの産卵刺激物質として働く
コンデュリトール類
(出典) J. Chem. Ecol. 30: 2285-2296 (2004)