生命は海底の熱水噴出孔から生まれた?

文:長沼 毅


プロセスから場所へ

約40億年前の「地球生命の起源」では以下のようなプロセスが大筋で受け入れられている:原始地球ではメタン、硫化水素、アンモニア、水素などの還元的物質が豊富に存在し、それらが高温・高圧下で反応して生体分子がつくられ、鉱物表面で重合して高分子化し、紫外線が遮断された環境で細胞化した。 では、原始地球におけるその現場はどこだったのか? 約20年前に発見された海底熱水噴出孔はまさにその現場を想起させた。 地球生命は熱水噴出孔で生まれたという説は、今や高校生物の参考書でも紹介されている。 生命の起源研究は文字通り‘地に足のついた’議論をできる段階に入ったのだ。

なぜ熱水噴出孔なのか?

1953年、米国のミラーは原始地球大気を模倣した還元的ガス混合物(水素、メタン、アンモニア、水蒸気)中で放電しながら反応ガスを何回も循環し、種々のアミノ酸を生成した。 以来、いろいろなガス・液体条件やエネルギー源(放電、紫外線、放射線、高速中性子、熱など)を用いて、多種多様な
低分子の生体分子が非生物的につくられた。 これらの実験条件に近い環境とは、原始地球のどのような場所だったのだろうか?

約40億年前の地球には既に海洋と火山活動があったとされている。 また、当時の太陽放射(紫外線を含む)は弱かったらしい(暗い太陽のパラドックス)。
大量かつ連続的なエネルギー供給という点では、原始地球における生体分子生成の場所は海底の熱水噴出孔であったと考えるのが最も妥当であろう。
そこでは大量の還元的ガス成分と熱が連続的に放出され、同時に極端な温度勾配も存在する。 赤堀四郎は原始地球の海底火山では蛋白質はアミノ酸の段階を経ずにいきなりポリマーから生成される場合もあるというポリグリシン説(1955)を唱えたが、もし彼が熱水噴出孔の存在を知っていたら、これこそ生命誕生の場であると確信したであろう。 熱水噴出孔の発見は1977年。 その頃、高校生だった私はどこか遠くの深海の話と生命の起源が結びつくとは想像もせず、むしろ、古細菌という「第3の生物カテゴリー」の発見(ウーズ、1977)や、『生命の起源』(原田馨、1977)に興奮していた。

生命誕生のMagic Surface

赤堀四郎のポリグリシン説はアミノ酸の水中での脱水重合という困難な反応をうまく回避した。 実験的にはアミノアセトニトリルを粘土鉱物(カオリン)とともに加熱した。 ここで重要なのは、粘土鉱物上に原料物質を吸着させ、その上で重合が進むことである。 つまり、重合は水中で進行するのではなく、粘土鉱物などの表面に種々の物質が集積して進むと考えるのが妥当であり、英国のバナールはこれを「粘土説」(1967)として提唱した。 また、粘土鉱物に限らず、このような生体分子の生成・集積・重合の場としての表面は一般的にMagic Surfaceと呼ばれている。

なぜ表面にこだわるのか? それは、分子運動の制約(=分子の結合)は溶液系よりも表面系の方が起きやすいからである。 ある物質の表面で生体分子の生成・集積・重合が次々に進行するような系があるとしたら、それは原始代謝系と呼べる。 ドイツの弁護士ヴァクターシャウザーは、生命誕生時の原始代謝系はパイライト(黄鉄鉱 FeS2)表面だったという説(1988)を提唱した。 彼は科学哲学の大家ポパーの弟子であり、ポパーの科学方法論の裏付けのもと、ありとあらゆる文献からデータを得て、弁護士ながら、いや弁護士ゆえに、論理的に破綻のない壮大な仮説を構築したのである。 私はこのような学問の展開と、科学哲学の実証主義的態度に大いに感動した。

スープ説 vs. クレープ説

ヴァクターシャウザーのパイライト説には、粘土説にはない重要な特徴がある。

(1)パイライトの生成反応(FeS+H2S→ FeS2+H2)は発エルゴン反応である

(2)その遊離エネルギー(ΔG0=−38.4 kJ/mol)は高温・低pHほど大きくなる

(3)パイライト生成にともない二酸化炭素が固定・有機化される

化学反応の遊離エネルギー・還元力を用いて二酸化炭素を固定・有機化することは、現生の生物でも行われており、「化学合成独立栄養」と呼ばれている。 似ているのは光エネルギーを用いて二酸化炭素を固定・有機化する「光合成独立栄養」である。 これに対し、自分の体=有機物を自分でつくらない、つまり、他者の体(有機物)を自分の体にする生き方もある。 これを「従属栄養」といい、人間を含む全ての動物、菌類、多くの微生物はこの生き方をする。

地球生命の起源でしばしば問題となるのは、最初の生物が「従属栄養」だったか「独立栄養」だったかである。オパーリン(1924、当時ソ連)による説明=スープ説では、非生物的に生成した生体分子が原始海洋にどんどん集積して原始海洋は有機物のスープだった、そして、最初の生物はその潤沢な栄養をどんどん食べるだけ(従属栄養)でよかった。スープ説は高校生物の参考書にも書いてあるほど古典的である。しかし、ヴァクターシャウザーはこの古典に真っ向から異を唱え、最初の生物はパイライト表面での原始代謝系から生まれ(クレープ説)、それゆえに独立栄養的だったと主張した。私としては、日本語の語感のせいだろうか、地球最初の生物は独立栄養的だったと思いたい。また、パイライト生成にともなう遊離エネルギーは高温・低pHほど大きくなるが、それはまさに熱水噴出孔の環境であり、また、熱水噴出孔では実際にパイライトが生成している。

硫化水素でつくるコアセルベート

オパーリンが有名なのはスープ説だけでなく、生体高分子がさらに原始細胞にまで発展するプロセスを提示したことにもよる。 生体高分子が会合して多分子系をつくり、それがより複雑化・組織化されて‘細胞のような’構造体を形成する。この‘細胞のような’ものはコアセルベートと呼ばれる。 コアセルベートとは本来「溶解質に富む相(コアセルベート液滴)と乏しい相(溶解液)からなる系全体」を意味するが、コアセルベート液滴のみを指す場合も多い。 米国のフォックスと原田馨は、蛋白質性のコアセルベート=ミクロスフェアをつくった(1959)。 これは現生の生物と同じように二重膜を持ち、増殖に似た挙動も示す。 私は、これを高校生物の教科書で読み、原田先生を慕って進学したのだが、ちょっとした勘違いから別の学部に行ってしまった。 人生痛恨の勘違いだったが、原田先生から「今は自分のいる場所でしっかり勉強しなさい」と諭され、別分野の勉強・仕事をしてきた。 しかし、あれから20年、まだ同じ興味で仕事をしているので、あまり進歩していないことになる。

ミクロスフェアと似たようなコアセルベートは疑似海水に溶かしたアミノ酸を加熱しても得られている(柳川弘志・江上不二夫、1976)。 これはマルグラヌールと呼ばれ、原始地球の熱水噴出孔で起きたことの疑似再現とも考えられる。 私は、あまり難しいことはできないので、古典的なオパーリンのコアセルベートを熱水噴出孔の条件でつくってみようと思った。 まずは、高校生物の参考書に載っている「コアセルベートの作り方」を紹介しよう。1%ゼラチン溶液と1%アラビアゴム溶液を各10mlずつ混合し、1N塩酸を白濁するまで滴下する、という簡単な実験である。 ここでは溶液のpHをゼラチンの等電点(4.8〜5.0)とアラビアゴムの等電点(1.2)の間にまで下げるために塩酸が用いられている。 ならば、塩酸の代わりに、熱水噴出孔から大量に放出されている硫化水素ガスをバブリングさせたらどうなるか? 硫化水素の飽和溶液のpHは4.5である。原始地球の海はまだ塩濃度が低かったと思われるので、塩などは特に加えずに80〜90℃で実験してみた。すると、‘入れ子’構造をしたコアセルベートが多数生成した。 この理由はまだよく分からないが、少なくとも、単純なコアセルベートよりは複雑な多成分系の場が提供されることは間違いないであろう。

地球外天体の熱水噴出孔と生命

海底の熱水噴出孔が生命誕生の場なら、それは地球以外の天体でも起こり得るのではないだろうか。 液体の水(海)と火山活動さえあれば、生体分子の生成・集積・組織化が進行したであろう。 たとえば、原始火星には大量の水と熱水活動があったらしいが、そうだとすると原始火星でも生命誕生があったかも知れない。 また、木星の第2衛星エウロパは、表面を覆う厚い氷殻の下に、海と熱水噴出孔が存在する可能性が高い。 エウロパの海の水深は50〜100 kmと考えられているが重力が小さいことを考えれば、現在の深海・宇宙技術の延長で探査可能である。 地球でもエウロパでも、熱水噴出孔のあるところに生命があり(?)、われわれはそこに潜っていくだけだ。 21世紀の深海調査・生命探査はもしかすると、エウロパが舞台になっているかも知れない。

参考文献(入手しやすい近刊書)

酒井 均『地球と生命の起源』講談社ブルーバックス(1999)

丸山茂徳・磯崎行雄『生命と地球の歴史』岩波新書(1998)

大島泰郎『生命は熱水から始まった』東京化学同人(1995)

長沼 毅『深海生物学への招待』NHKブックス(1996)