HABとストランディング
「ストランディング」とは,本来海にいるはずの鯨類(イルカ・クジラ)や,鰭脚類(アザラシ・オットセイ)あるいは、海牛類(ジュゴン)などが,生死を問わず海岸に打ち寄せられたり網に入ったり,湾や河口に入り込むできごとであり、日本でも年間100件ほどが報告されている(国立科博ストランディングデータベースより)。 このストランディングに、有毒植物プランクトンが関与していると疑われている事例がいくつか報告されている。
ザトウクジラ:1987年の11月から1988年の1月にかけて、アメリカのマサチューセッツ州ケープコッド湾で、14頭のザトウクジラが死んだまま海岸に打ち寄せられた。 ハクジラのストランディングは、それほど珍しいものではないが、このように集団で死亡した例はそれまで報告されていなかった。 クジラの消化管から取り出したサバに加えて、同時期にケープコッド湾周辺およびそこから南北に80km離れた地点で採捕されたサバを分析したところ、麻痺性貝毒の主要成分であるサキシトキシン(STX)が検出された。
一方、太平洋産のサバ(Scomber
japonicus)からは、 STXをはじめとする麻痺性貝毒成分は検出されなかった。 また、死亡したクジラの肝臓からも麻痺性貝毒の存在を示す反応が検出されたが、今回の件とは関係のないストランディング死亡個体からは、そのような反応は何も検出されなかった。 死亡時の状況、死体の状態、餌や組織の分析などの状況証拠から、このザトウクジラは、摂食したサバ(Scomber
scombers)に含まれていたSTXによって死亡したと結論づけられた(Geraci
et al. 1989)。 サバに含まれていたSTX濃度とサバの摂食量から、クジラが1日に摂取したSTXは、体重1kg当たり3.2ugと推定された。 人の最小致死量である7〜16ug/kgと比べると少ないようだが、クジラが何日にもわたって摂取をつづけた可能性、体の30%は代謝活性の低い脂肪であること、潜水時には心臓と脳に血流が集中することなどを考慮すると、死亡してもおかしくない量であると推測される。 また、仮に致死量に達していないとしても、継続的な摂取が何らかの生理的な悪影響を及ぼし、結果的に死につながったとも考えられる。
あらゆる状況証拠は、麻痺性貝毒成分がザトウクジラの大量死の原因となったことを示しているが、いくつかの疑問も残っている。 まず、サバに含まれていたSTXは、米国の北東部沿岸でしばしば貝の毒化を引き起こす有毒渦鞭毛藻Alexandriumに由来すると考えられる。 Alexandriumを摂餌した動物プランクトンが麻痺性貝毒を蓄積することは、実験的に確かめられているので、これをさらにサバが摂餌することによって毒が蓄積された可能性が高い(Turner
and Tester 1997)。 実際に、1976年カナダのファンディー湾において毒化した動物プランクトンの摂餌によってニシン(Clupeaharengus
harengus)が弊死したという事例が報告されている(White
1967)。 しかし、ザトウクジラの大量死が起こった11月にこの地域でAlexandriumが見られることはなく、しかも1987年には貝の毒化も起こっていなかった。 サバは、どこで毒を蓄積したしたのだろうか? 考えられるのは、北部のセントローレンス湾で成育した個体群が、毒を蓄積したまま南下してきたという可能性だが、確かな証拠はない。 さらに、サバはなぜ麻痺性貝毒によって死ぬことなくこれを蓄積することができたのか?、Alexandriumのブルームはしばしば発生しているにもかかわらず、1987年以前あるいは以後なぜ同様なストランディングが観察されていないのか? といった疑問が残る。
1987年1月から1988年2月にかけて、ニュージャージーからフロリダにかけての大西洋岸で740頭を越えるハンドウイルカの大量死が発生した。 ほとんどのイルカは、長期にわたって生理学的なストレスを受けたと見られる症状を呈していた。 死亡した時期や地域、症状からは一次感染症によるとは考えにくく、PCBやDDTといった汚染物質の濃度も特に高いものではなかった。 何らかの原因で生理学的な機能が低下し、日和見感染症によって死亡したと思われた。 ザトウクジラの場合と同様に、サキシトキシンの関与が疑われたが、Alexandriumの分布域ははるか北方に位置している。 そこで原因と疑われたのは、フロリダの西海岸に分布し魚貝類の弊死をもたらすGymnodinium
breveという有毒渦鞭毛藻である。死亡17個体のうち8個体の肝臓からG.
breveがつくるブレベトキシン様の物質が検出され、その胃内容物と周辺海域で穫られたニシン(Brevoortia
tyrannus)からも検出された。 全てのイルカの死をG.
breveと結論づけるにはデータが不十分であるが、少なくとも一部の死には関与していると考えても良さそうである(Anserson
and White 1992)。
マナティー:
フロリダ半島は、絶滅が危惧されているマナティーの生息地である。 そのマナティーの大量死に、G.
breveのブルームが関与していると見られる事例が報告されている(Landsberg
and Steidinger 1998)。 1996年の2月から4月にかけて、G. breveのブルームが発生し、同じ海域で149頭のフロリダマナティー(Trichechus
manatus latirostris)の死亡が確認された。同様の現象は、1963年(7頭)と1982年(39頭)にも観察されている。 いずれもブレベトキシンが大量死の原因と疑われているが、1982年のケースでは、マナティーの胃や腸から見つかった毒化したホヤ類の摂食が原因ではないかと考えられ、1996年のケースではブレベトキシンエアロゾルによる呼吸器系への直接的影響が示唆された。 フロリダマナティーは、冬場は内陸部河川などの暖かい水域に集まり、春先に水温が上昇すると河口域に移動してくるようになる。 G. breveの分布は、塩分濃度に大きく依存し、河口域に近い28パーミル以下の海域で高濃度のブルームになることはなく、春先にブルームになることも少ないため、マナティーは比較的被害を免れやすい生物である。 従って過去20年間の記録を見ると、1946〜47年と1953〜54年にもG.
breveの大規模なブルームが発生し、亀、イルカ、魚の大量死が見られたが、マナティーに影響はなかった。 しかし、1996年の場合、強い西風と小雨の影響等いくつかの環境条件が重なって河口域の塩分濃度が上昇し、G.
breveのブルームがマナティーの生息域に広がったことが、大量死を招いたと考えられている。
鳥:
植物プランクトン由来の毒の影響を受けるのは、海洋生物だけではない。 1991年9月、カリフォルニアのサンタクルスで、ブラウンペリカンと海鵜の大量死が起こった。 この現象における原因毒は、珪藻の一種Pseudo
nitzschiaが生産する記憶喪失性貝毒のドーモイ酸であると考えられている。 この場合ストランディングとは呼ばないが、海洋食物連鎖の最上位生物が影響を受けるという意味では同じである。