瀬戸内海のプランクトン
〜漁業を支える縁の下の力持ち〜


瀬戸内海の漁獲量は世界最高
瀬戸内海の1 km2当りの年間漁獲量(約21 ton)は地中海の25倍にもなり、世界最高レベル にある。なぜだろうか?一口で言ってしまえば、漁業生産を支える足腰が強いためである。 足腰が強い理由は大きく2つある。1つは瀬戸内海の地形学的特性である「瀬戸」と呼ばれ る海峡部と「灘」と呼ばれる開けた海が交互に連続しているため海水が適度に混合され、栄 養塩などの生物に必要な物質が海全体にゆきわたっていること。もう1つは魚貝類の餌とな るプランクトンの働きが活発なためである。「プランクトン」とは泳ぐ力が弱くて水に浮い て生活する生物群のことであり、一般に体が小さいくて人の目には直接見えないから、その 存在を忘れてしまいがちであるが、瀬戸内海の漁業を支えているのは実は彼らなのである。

植物プランクトン
 植物プランクトンは大きさにより20 mm以上の小型植物プランクトンと、それ以下のナノ植 物プランクトンに分けられる。瀬戸内海には約500種類の植物プランクトンが出現するが、最 も重要な分類群が珪藻類と渦鞭毛藻類である。珪藻類は珪酸(ガラス)質の殻に包まれた細 胞で、主として秋から春までの低水温期に多く出現し、「海の牧草」と呼ばれて動物プラン クトンやマガキの重要な餌となっている。渦鞭毛藻類は通常2本の鞭毛で遊泳しており、主 として夏を中心に多く出現する。この仲間の一部には麻痺性貝毒を生産してアサリやマガキの 毒化を引き起こしたり、赤潮を形成して魚貝類を大量斃死させるなどの有害な種類も存在する 。渦鞭毛藻類の多くは珪藻と同様に動物プランクトンなどの餌となっているが、赤潮を起こす 種類の中には動物プランクトンに嫌われて食べられないものがある。

動物プランクトン
大きさ200 mm以下の動物プランクトンを微小動物プランクトンと呼び、繊毛虫などの原生動物が 主要構成者になっている。クラゲ類のように体は巨大であっても遊泳力が弱いことから、動物プ ランクトンの範疇に入れられることもある。瀬戸内海の動物プランクトンの中で最も多いのが、 カイアシ類と呼ばれる体長1?数mmの小型甲殻類である。次いでヤムシ類(ダーツの矢のような形 をしている)やミジンコ類(田圃や池にいるのと同じ仲間)などである。また季節によって、貝 類、ゴカイ類、ウニ類などの幼生も動物プランクトンとして出現する。夏の夜の海で怪しい蛍光 を発するヤコウチュウは渦鞭毛藻類の1種であるが、光合成のための色素を欠いており、餌を捕 獲しなければならないので、動物プランクトンの仲間に入る。

瀬戸内海の生物生産過程
植物プランクトンは太陽の光エネルギーを有機物に変換して食物連鎖の出発点となることから一次 (基礎)生産者と呼ばれる。海洋では原則として小さな生物が大きな生物に食われることにより食 物連鎖(網)が構成されるので、ナノ植物プランクトンは主として微小動物プランクトンに、小型 植物プランクトンは主として中・大型植食性動物プランクトンに摂食される。微小動物プランクト ンや中・大型植食性動物プランクトンは二次生産者と呼ばれる。これらはさらにタカクチイワシや イカナゴなどのプランクトン食性魚類とヤムシ類やクラゲ類などの肉食性動物プランクトン(これ らは三次生産者)に捕食され、最終的にサワラ、タチウオ、スズキ、ハマチなどの魚食性魚類(四 次生産者)に捕食される。


図 瀬戸内海の生物生産過程を示す 概念図。矢印は摂餌よるエネルギーの転送を示す。

魚類に至るまでの低次生産過程において、植物プランクトン生産速度は一体どの位だろうか。植物 プランクトンから動物プランクトンへのエネルギーの転送効率はどうなっているのだろうか。これ らを定量的に明らかにして初めて瀬戸内海のプランクトンの働きが評価される。広島大学と香川大 学が共同してその調査を行った。

プランクトンの高い生産性と効率性


図 瀬戸内海における一次生産から三次生産に至る栄養段階の模式図。図中の数字は各生物群集の 年間平均生産速度を示す。右側の括弧内の数字は、一次生産速度に対する生産速度の%(すなわち 転送効率)を示す。

上図は、調査結果を瀬戸内海全域の年間平均生産速度を1 平方メートル・1日当たりの炭素量とし てまとめたのもである。一次、二次、三次生産速度はそれぞれ781、222、58 mgであった。一次生 産速度は世界的にまずまずの高いレベルであるが、特別という訳ではない。一次生産から二次生産 へ、また二次生産から三次生産への転送効率はそれぞれ28、26%で、これは世界各地の海の値(5- 20%)より高かった。瀬戸内海のプランクトン生態系の最大の特徴は、植物プランクトンの生産を 動物プランクトンが非常に効率良く利用するという点にありそうだ。

魚類の生産

プランクトン食性魚類の生産速度は、三次生産速度のわずか6%を占めるに過ぎない。魚類は主要な 漁獲物であるから、海には常に魚類がひしめいているとの印象を読者の方は持っておられるかも知 れないが、実際の海では三次生産者として魚類よりも魚類以外の肉食性動物プランクトンの方が圧 倒的に多いのが実態である。勿論肉食性動物プランクトンも魚類の餌となっている。  瀬戸内海の底生魚類も含めた総漁獲量は1970年代には約40万トンにも達していた。この値は、動 物プランクトンの生産速度から理論的に推定した最高漁獲量に近いものである。漁獲量は現在25万 トン前後にまで低下しているが、それでも単位面積当たりの漁獲量は世界最高水準である。瀬戸内 海はプランクトンの生産性と効率性を保持した世界に稀な海であり、この機能的特性が瀬戸内海の漁 業を支えている。(2001年6月)