研究概要

1. ステロイドの合成と作用(山崎)

1)ニューロステロイドによる神経保護作用

 女性ホルモンは、神経細胞を保護します。我々は、脳が合成する女性ホルモンが、自身の神経を保護していることを見出しました。
 水俣病の原因物質であるメチル水銀や、船底塗料に使われ、現在でも深刻な環境汚染物質であるトリブチルスズなどの有機金属神経毒は、海馬の神経細胞にダメージを与えます。海馬は、エストラジオールを合成して、その神経毒から自身を守っています。また、他のニューロステロイドにも神経保護作用があることを明らかにしつつあります。

2)ニューロステロイド生合成調節機構

 脳内で重要な機能を持つニューロステロイドは、必要に応じてその生合成量が調節される可能性があります。我々は、9-cis-レチノイン酸(ビタミンA代謝物)が、ラット海馬のテストステロン(男性ホルモン)およびエストラジオール(女性ホルモン)の生合成を活性化すること、それはP450(17alfa)(ステロイドホルモン合成酵素の一種)の転写の活性化によることを明らかにしました。これは、細胞レベルでのニューロステロイド合成の活性化機構を明らかにした、初めての報告です。

 ドコサヘキサエン酸(DHA)は『頭がよくなる物質』として注目され、脳機能改善作用や神経保護効果をもつことが明らかになりつつあります。しかし、DHAの作用メカニズムの大半は不明のままです。DHAはレチノイドX受容体(RXR)に結合することが報告され(Science 2000)、さらに、私たちはRXR刺激により脳内エストラジオール合成が活性化することを発見しました(Endocrinology 2009)。これらの知見を基に、DHAのニューロステロイド合成に及す影響を調べたところ、DHA摂取により脳内でエストロゲン合成酵素P450aromの発現が増大し、エストラジオール量が増加しました。ニューロステロイド合成は栄養学的にも調節可能であることが明らかになりました。

 ラットを異なる環境で飼育すると、脳に影響が見られます。我々は、離乳後のラットを孤独な環境で飼育すると海馬でのエストロゲン合成酵素であるP450aromのmRNA量が8倍に増え、海馬のエストラジオール含量も顕著に増加すること、また多数のラットを大ケージで遊具と共に飼育する豊かな環境で飼育すると、ニューロステロイドの一種のアロプレグナノロン合成活性が海馬で増加することを見出しました。このように、海馬のニューロステロイド合成は、飼育環境によって大きく変化することが明らかになりました。

3)副腎皮質でのステロイドホルモン合成の調節機構

 副腎皮質は、精巣、卵巣と並んでステロイドホルモンを合成する主要な臓器です。ここでは、脳の数百倍以上のステロイドホルモンを合成し、血液中に分泌しています。我々は、ヒトの副腎皮質培養細胞を用いて、副腎皮質ホルモン分泌異常症の治療法に関連する研究を行っています。



2. CaMキナーゼホスファターゼの酵素科学(石田)

  学生の頃から一貫して酵素の研究を続けていますが、今は生物情報伝達、特に神経伝達を担う種々の酵素の機能や役割に興味を持って研究を進めています。特にタンパク質のリン酸化・脱リン酸化反応に興味を持っており、前任地の旭川医科大学ではCa2+を介する細胞内情報伝達系において中心的役割を担っている多機能性のセリン・スレオニンプロテインキナーゼ(タンパク質リン酸化酵素)、CaMキナーゼ(CaMキナーゼI、CaMキナーゼII、CaMキナーゼIV)の研究に従事しました。その過程で、CaMキナーゼに特異性が高く、これらの酵素を脱リン酸化してその活性を制御すると考えられる新たなプロテインホスファターゼ(タンパク質脱リン酸化酵素)であるCaMキナーゼホスファターゼ(CaMKP)とCaMKP-Nを発見しました。その後、POPX1/PPM1E またはPOPX2/PPM1Fという酵素が他のグループから報告されましたが、これらは何れも我々が最初に見いだしたCaMKPとCaMKP-Nのヒトホモローグのことを指しています。これらの酵素に関しては最近、糖尿病やアルツハイマー病、或いはガン転移との関連を示唆するデータが報告され、新たなドラッグターゲットとしての可能性が示唆されていますが、新しい酵素であるだけに、そのような研究の基礎となる基本的データがまだまだ不足しています。酵素学的性質や構造と機能の関係、細胞内での機能や存在形態、相互作用タンパク質、特異的阻害剤など、未知の部分が沢山あるので、これらを明らかにするための研究をおこなっています。

 また、神経伝達に重要な役割を果たすシナプス小胞の生化学にも興味を持ち、ミシガン大学留学中には、解糖系のATP産生酵素ピルビン酸キナーゼがシナプス小胞にも存在し、小胞膜上でATPを局所的に産生することで、効率的にグルタミン酸などの神経伝達物質を小胞内に取り込むことを明らかにしました。最近の研究により、シナプス小胞はATPだけでなく、神経伝達物質であるグルタミン酸をも自ら産生する能力を持つことが分かって来ました。シナプス小胞は従来考えられてきたような、神経伝達物質の放出のための濃縮・貯蔵装置というだけでなく、必要な物質を自ら作り出す物質生産の場でもあるようです。

 以上のような研究を通じて「分子」をキーワードに生物情報伝達の仕組みを明らかにし、化学の立場から生命の持つ合目的性を証明したいというのが今後の抱負です。

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1.ステロイドの合成と作用(山崎)

2.CaMキナーゼホスファターゼの酵素科学(石田)