量子情報って何だろう?

1. 量子とは?

図1: 二重スリットの実験
電子の二重スリットの実験というのを聞いたことがありますか? 電子銃で電子を2つのスリットに向けて打ち出します(図1)。 スリットを通った電子は、スリットの後ろに設けられたスクリーンへと向かいます。 電子がスクリーンに到達すると、スクリーンには1つの電子につき1つの輝点が現れます。 電子が1つ、2つ、… とスクリーンに到達すると、スクリーン上の輝点も1つ、2つ、… と増えてゆきます。 輝点が疎らなうちは、輝点の位置には規則性がない様に見えます。 ところが、輝点の数が増えてくると、図1の様に縞模様が浮かび上がってくるという実験です。

図2: 波の干渉パターン
この縞模様、何かに似ていると思いませんか? 図2は海の波を上から見た様子です。 左から押し寄せた波が堤防にぶつかっていますが、堤防には2つの隙間が開けてあり、ちょうど二重スリットの様になっています。 2つのスリットを通り抜けた波は互いに干渉し合い、綺麗な干渉パターンが見えています。 この干渉パターンを反映して、右端の海岸には波の高さが高い所と低い所が交互に現れることになります。 電子の二重スリットの実験で現れた縞模様と良く似ていますね。

この様に、電子を二重スリットに通すと、スクリーンには波の干渉模様と同じ縞模様 (干渉縞) が浮かび上がるのです。 つまり、電子は波としての性質を持っているのです。 では、電子は波でしょうか? 二重スリットの実験では、スクリーンには電子1つにつき1つの輝点が現れますから、電子は1つ、2つ … と数えることができます。 これは、電子が粒子としての性質を持っているからです。 結局、電子は波としての性質と粒子としての性質の両方を持っていることになります (粒子と波の二重性)。 波と粒子の両方の性質を持ったものなんて、頭の中で簡単にイメージすることはできないと思いますが、 この不思議なものが量子です。

電子に限らず、原子や分子を使った二重スリットの実験でも干渉縞が観測されています。 原子や分子も、粒子と波の二重性を持つ量子なのです。 また、光は電磁波の一種で、その名の通り電場と磁場が振動しながら進行する波ですが、光も波だけでなく粒子としての性質を持っています。 つまり、光も量子であり、光の量子は光子と呼ばれます。



2. 重ね合わせ

図3: 電子はどちらを通った?
上で述べた電子の二重スリットの実験を、もう少し考えてみましょう (図3)。 電子銃は、時間間隔を置いてポツッ・ポツッと電子を打ち出すとします。 さて、スリットを通り抜けたばかりの1つの電子を考えましょう。 この1つの電子は、左のスリットと右のスリットのどちらを通ってきたのでしょうか?

1つの電子は左か右のどちらか一方のスリットを通ってきたと考えるのが普通です。 しかし、もし電子が左か右のどちらか一方を通ってきたとすると、スクリーン上の輝点を寄せ集めたときに幾筋もの干渉模様が浮かび上がることは説明できません。 海の波に干渉パターンが生じたのは、左を通ってきた波と右を通ってきた波が重なり合ったからです。 これと同じで、スリットを通過した電子は、「左のスリットを通ってきた」という状態と、「右のスリットを通ってきた」という状態の重ね合わせになっています。 1つの電子が雲の様に広がり、両方のスリットを通ってきている様なイメージです。

図4(a): 箱の中の電子
図4(b): 箱の中の電子
図4(c): 重ね合せ
重ね合わせについて、もう少し違う例を考えましょう。 2つの箱があり、この中に1つの電子を入れます。 電子は1つですから、普通に考えると左の箱に入っているか [図4(a)]、右の箱に入っているか [図4(b)] のどちらかです。 ところが電子は、「左の箱に入ってる」という状態と、「右の箱に入っている」という状態の重ね合わせになることができます。 図4(c)の様に、電子が雲の様にぼやっと広がって両方の箱に入っている様なイメージです。

では、電子が図4(c)の重ね合わせにあるとき、箱を開けて電子がどちらにあるのかを調べたらどうなるでしょうか? その場合には、半々の確率で左の箱に電子が見つかったり右の箱に見つかったりします。 雲の様に両方の箱に広がっていた電子が、測定することによって、どちらか一方に集まるかの様です。 この現象を波の収縮 (波束の収縮) と言います。

二重スリットの実験では、電子はスクリーンに到達すると輝点が1つ現れました。 これも波の収縮で、波の様に広がって両方のスリットを通ってきた電子が、スクリーン上で1点に収縮したのです。 波の収縮は、普通の波では起こらない量子特有の現象です。 海の波は、岸に到達した途端に一箇所に集まるということはありませんよね。

広がったかと思えば1点に集まったりと、常識的にはとても受け入れられない事柄だと思います。 でも、このように奇怪で摩訶不思議な世界が量子の世界なのです。 量子の世界を取り扱う理論が量子論です。



3. 物理と情報処理

図5: コンピュータの性能
今から60年ほど前のコンピュータには真空管が使われていました。 その後、真空管はトランジスターに置き換わり、トランジスターを集積化した IC (集積回路)やCPU (中央演算処理装置) が登場することとなります。 この間、コンピュータの性能は飛躍的に向上してきました。 60年間で実に1010倍もコスト・パフォーマンス (性能対価格比) が向上したのです (図5)。

この性能の向上において、量子論が果たしてきた役割はとても大きいと言えます。 トランジスターは、半導体と呼ばれる金属と絶縁体の中間の性質を持つ材料で作られていますが、半導体という性質が生じるのは、電子が波としての性質を持つからなのです。 もし、電子が波としての性質を併せ持つ量子でなかったとしたら、いま貴方の目の前にあるコンピュータは存在しないのです。 電子デバイス技術に限らず、材料技術をはじめ様々な技術分野において、量子論は欠かせないものとなっています。

ところが、これだけ劇的な性能向上を果たしたコンピュータにあって、昔も今も変わっていないことがあります。

コンピュータの内部では、全てのデータは2進数で表現され処理されます。 2進数の1桁は "0" と "1" のどちらかの値をとりますが、これが情報処理の最小単位で、ビットと呼ばれます。 計算が進むにつれ、各ビット値は "0" から "1" になったり、"1" から "0" になったりと変化しますが、時間の各瞬間瞬間で見れば、各ビット値は必ず "0" か "1" のどちらかに確定しています。 この事は昔のコンピュータでも今のコンピュータでも変わりません。

ところが、この長い間変わらなかった事を変革しようとするのが量子情報なのです。



4. 量子情報

図6(a): ビットの"0"
図6(b): ビットの"1"
情報処理は、必ず何かしらのハードウェアを使って実現されることになります。 つまり、実際に情報処理を行うには、ビット値の "0" と "1" を、何かしら物理的な状態に対応させなければなりません。 情報と物理は無関係ではないのです。

そこで、前に説明した2つの箱に1つの電子を入れる場合を考えましょう。 ビット値の "0" を電子が左の箱に入ってる状態 [図6(a)]、ビット値の "1" を電子が左の箱に入ってる状態 [図6(b)] に対応させます。 この2つの状態を使うことで、今の情報処理が行えることになります。

あれ?まだ何か使われずに残っていませんか?

図7(a): "0" と "1" の
重ね合せ
図7(b): "0" と "1" の
重ね合せ
そうです、まだ図7(a)の物理的な状態が使われていません。 前に説明したとおり、電子は量子ですから、「左の箱に入っている状態="0"」と「右の箱に入っている状態="1"」の2つを重ね合わせた状態 (重ね合わせ状態) をとることができます。 図7(a)は、"0" と "1" を同じ重みで重ね合せた状態 (のイメージ図) ですが、「左の箱に入っている状態="0"」の重みを大きくした図7(b)の様な重ね合せ状態もあります。 重ね合わせの重みを変えることで、無限にたくさんの重ね合わせ状態ができます。 これらを情報処理で利用しないのは、もったいないと思いませんか?

量子論に従い、"0" と "1" の重ね合わせ状態もとることができるビットのことを、量子のビット、略して量子ビットと言います。 重ね合わせ状態は、電子が両方の箱に雲の様に広がった様な状態で、"0" にも "1" にも確定していない状態ですから、この点において従来のビットとは全く異なります。 時間の各瞬間瞬間で見たとしても、量子ビットの値は "0" とも "1" とも確定していないのです。

この量子ビットの重ね合わせ状態を利用し、全く新しい情報処理を行おうとする革新技術が量子情報技術なのです。 量子ビットを使うと、超高速計算ができたり、絶対に盗聴不可能な暗号ができたり、効率的な通信ができることが分かっています。 それぞれ
  • 量子計算 (量子コンピューター)
  • 量子暗号
  • 量子通信
と呼ばれ研究が進んでいます。

情報を基本要素に分割することで、情報の基本単位としてのビットという概念が生まれました。 物理系を基本要素に分割していくと、量子論に従い2つの状態 (とそれらの重ね合わせ) を取ることができる系 (量子論的な2準位系) へと行き着きます。 量子論的な2準位系は、量子ビットそのものと言うことができます。 情報と物理は切っても切れないものであるという立場に立つとき、情報の基本単位は量子ビットであると言えるのかも知れません。