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教育学講座の歴史
ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチー

JOHANN HEINRICH PESTALOZZI。スイスの教育家・教育思想家。

1746年、チューリッヒに生まれる。チューリッヒの大学に学び、そこでルソーその他の革新的な啓蒙思想に触れ、政治の改革を求める学生組織「愛国者団」に入る。その後、農業を志し、アンナ・シュルテスと結婚、農業経営のかたわら、貧児・孤児の教育事業に着手する。

1781年、教育小説『リーンハルトとゲルトルート』を発表し、絶賛を博す。シュタンツで孤児救済の活動を経て、1804年、イヴェルドンに学園を開く。『メトーデの精神と心情』『ゲルトルート教育法』など、多くの著書を刊行する。学園は、多くの国々からの参観の人々が集まり、教育実践研究のセンターとなって、ヨーロッパ、アメリカにペスタロッチー運動が広がる。

1825年、弟子たちの内紛から、学園を閉鎖してノイホーフに退き、1827年、ブルックにおいて没す。82歳。

ペスタロッチー墓碑銘

ハインリヒ・ペスタロッチーここに眠る。
1746年1月12日チューリッヒに生れ、1827年2月17日ブルックに没す。
ノイホーフにおいては貧しき者の救助者。
「リーンハルトとゲルトルート」の中では人民に説き教えし人。
シュタンツにおいては孤児の父。
ブルクドルフとミュンヒェンブーブゼーとにおいては国民学校の創設者。
イヴェルドンにおいては人類の教育者。
人間! 基督者! 市民!
すべてを他人のためにし、
己には何物も
恵みあれ彼が名に!


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ペスタロッチー資料室
ペスタロッチーとペスタロッチー教育賞

広島大学教育学部は、財団法人広島地域社会研究センターならびに中国新聞社の講演を受け、今日、優れた教育実践をおこなっている個人あるいは団体を顕彰するために、先のペスタロッチー賞の精神を継承し、ここにペスタロッチー教育賞を創設した。その趣意として、以下のことが挙げられる。

教育の荒廃が叫ばれる中、優れた教育を地道に実践し、「真教育」の原点を示している実践家を顕彰することは、これらの人々を勇気づけると共に、その活動を社会に広め、活性化させるために、極めて重要なことである。この賞は、混迷する教育の現実に対して、教育の原点を示し、我が国教育の立ち直りのきっかけにしようとするものである。その象徴としてペスタロッチーの名が称えられよう。ペスタロッチーは民衆教育の父であり、教育の実践家として、子どもへの限りない愛情と慈しみを身をもって示した教育者であった。同時に、多くの困難を克服しておこなわれた教育実践から編み出された教育思想・教育理論は、単に18、19世紀の所産としてではなく、常に「真教育」の象徴となり、今日に至るまで世界の教育を動かし、教育の原点を示すものと考えられている。とりわけ、本学部には、大正10年以来の、ペスタロッチー研究および運動に関する長い伝統があることも忘れてはならない。

ペスタロッチーの実践・思想・理論には、今日の教育荒廃を克服するための方途を示す力があると確信される。ペスタロッチーの精神を教育の原点として捉え、優れた教育を実践している人々を顕彰することは、正に今日の教育にとって「地の塩」となろう。

ペスタロッチー教育賞受賞者

第1回 宮城まりこ(ねむの木養護学校校長)
第2回 谷  昌恒(北海道家庭学校校長)
第3回 児玉 三夫(明星学苑理事長,明星大学長,明星小学校長)
第4回 山田 洋次(映画監督)
第5回 NHK名古屋放送局(「中学生日記」制作スタッフ)
第6回 本吉 修二(学校法人白根開善学校校長)
第7回 黒柳 徹子(ユニセフ親善大使)
第8回 社会福祉法人 広島新生学園
第9回 丸木 政臣(和光学園学園長)
第10回 佐野 浅夫(俳優)
第11回 社会福祉法人 似島学園
第12回 九里 茂三(学校法人九里学園学園長)
第13回 中野 光(日本生活教育連盟委員長、日本子どもを守る会会長)
第14回 アグネス・チャン(日本ユニセフ協会大使)
第15回 津守 眞(学校法人愛育学園理事長)
第16回 f地 三郎(しいのみ学園園長)
第17回 松田 實(ネパール学校建設支援協会 In ひろしま 代表 )
第18回 西谷 英雄(学校法人光の村学園理事長・学園長)
第19回 金森 俊朗(北陸学院大学人間総合学部教授)
第20回 〈教育賞〉谷 清(重症心身障害児施設びわこ学園小児科医師)
      〈特別賞〉あしなが育英会
第21回 一般社団法人「実践人の家」
第22回 奥地 圭子(特定非営利活動法人東京シューレ理事長)
第23回 水谷 修(花園大学客員教授)


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