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教室のあゆみ

脳神経内科の歴史
( 広島大学大学院脳神経内科の前身、広島大学内科学第三講座について、 平成8年に刊行された「広島大学医学部50年史-講座編」より抜粋)

 広島大学内科学第三講座は昭和48(1973)年4月1日に認可され、平成7(1995)年7月現在まで22年あまりの歴史を持ち、広島県内で唯一の神経内科を専門とする講座として発展してきた。

 昭和48年、東京女子医大講師であった鬼頭昭三が初代教授として9月1日発令された。この日、広島の地に神経内科の灯火がともされた。鬼頭教授は昭和26年に東京大医学部を卒業後、イリノイ大学神経精神研究所への留学をへて、昭和46年から東京女子医大内科講師として勤務した。昭和48年9月から平成2年3月までの16年半、広島大学内科学第三講座初代教授として勤務した。

 その間、鬼頭教授と教室員は神経内科学の臨床、教育、研究に携わった。特に鬼頭教授のライフワークである長野県と広島県の家族性アミロイド・ポリニューロパチー(FAP)の臨床ならびに生化学的、病理学的、遺伝学的研究や脳内神経伝達物質およびその受容体に関する研究を精力的に行った。鬼頭教室の時代は、広島地方の神経内科学の黎明期で苦難の時代でもあった。

 平成2年3月、鬼頭教授退官後、5月から当時京都大学神経内科学講座の助教授であった中村重信が第2代教授として着任した。中村教授は、昭和38年に京都大学医学部を卒業後、同大学院医化学に進学し、昭和43年から粗昭和55年まで京都大老年医学講座助手として勤務した。その間、昭和46年から47年までオックスフォード大学に留学した。昭和55年から平成2年まで京都大神経内科学講座(亀山正邦教授)の助教授として活躍した。

 中村教授着任後、学内外から医局員が集まり、年々医局は発展・充実してきた。中村教授は、神経内科のみならず老年医学においても臨床、研究、教育を推し進め、これらの分野において広島地方、中国地方はもちろんのこと全国でも中心的役割を担ってきた。特に、アルツハイマー病およびその他種々の神経疾患の臨床的、生理学的、生化学的、分子生物学的研究が盛んとなった。また、以上の分野での地域医療への貢献ならびに医学生、保健学科学生、大学院生への教育や卒後教育に対して並々ならぬ熱意をもってあたってきた。

 平成14年3月退官後、大阪大学第一内科より松本昌泰が第3代教授に着任した。過去の伝統にくわえ、脳血管障害を中心とした臨床・研究チームが活躍している。

教室員の推移


 神経内科は比較的新しい科で、ここ20年間で県内の主要な国立、公立、準公立病院に次々に新設されてきています。この傾向は今後も続き、特に脳血管障害急性期医療の担い手としてstroke care unitを新設する動きが広島大学病院を含め県内の主要病院にみられ、神経内科医の派遣を依頼されています。また、脳血管障害患者は神経内科医が中心に診療する時代になっています。

 

 
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