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教授より


教授就任挨拶 広仁会会報 第62号 平成14年7月
広島オリンピックの実現を! BIO Clinica 19(8) 2004 [PDF 434KB]
広島大学病院地域連携室の開設に向けて 広島大学病院ニュース第5号 2005年7月号 [PDF 427KB]
View Spot 診療現場での「失語症」:症状方言辞典の必要性 内科Vol.97 No.6 2006 [PDF 835KB]
広島大学医学部医学科長に就任して 広仁会会報 第74号 平成20年7月 [PDF 801KB]
View Spot Endress Warとしての医療:ガダルカナル戦役の教訓 内科Vol.107 No.4 2011 [PDF 1.84MB]

教授就任挨拶

広島大学大学院病態探究医科学講座脳神経内科学 教授 松本昌泰

 大阪大学から広島大学大学院医歯薬学総合研究科創生医科学専攻病態探究医科学講座脳神経内科学教室の教授に平成14年4月1日付けで就任しました。専門は神経内科、老年病科などであり、なかでも脳卒中学や脳循環代謝学を中心に診療、教育、研究に携わってきました。

 私は昭和27年に徳島県の麻植郡鴨島町という吉野川沿いの人口2万人余りの田舎町で3人兄弟の末子として生まれ、文字通り野原を駆けめぐりながら少年時代を過ごしました。高校からは徳島県立城南高等学校という徳島市内の高校に通い始め、勉強の遅れに気づき、まじめな高校生となりました。また、友人が医学部を目指していることに触発され、大阪大学医学部に入学しました。2年間の教養時代には弓道部に所属し、汗を流す楽しいひとときを持ちましたが、大学紛争の最期の世代として無期限ストに突入し、学部への進学は半年遅れとなりました。この間、クラス担当教官の熱心なアプローチもあり、遺伝学教室や生化学教室での輪読会にさんかし、基礎医学の面白さに惹かれました。また、医学部進学後は急速な進展の見られる免疫学に惹かれ、基礎配属研究では癌の免疫療法の確立を夢見て、腫瘍免疫学教室にてマクロファージの研究を手がけました。

 卒業後は、当時生化学教室や免疫学を基盤とした新たな内科学を推し進められていた山村雄一教授の第三内科学教室で臨床研修を始め、同教室員になるつもりでした。ところが、この内科研修中に故郷の父が脳梗塞発作を発症し、熟慮の末、内科で脳卒中を研究対象としていた阿部裕教授の主宰する第一内科学教室の脳循環研究室に属することとなりました。卒後2年目には、枚方市の星ケ丘厚生年金病院で後遺症に苦しむ多くの脳卒中患者さんを診る機会に恵まれ、脳卒中の発症・再発予防の重要性とともに、より良い病態診断法の開発応用や基礎的研究の推進による新たな治療法確立の重要性を実感し、大学院博士課程に進みました。

 昭和57年に、「脳虚血モデル動物の砂ネズミにおける局所脳血流量測定法の確立」で学位を得た後、昭和59年より61年にかけて米国メイヨークリニックの神経内科学教室に留学し、オートラジオグラフィー法による局所脳血流測定法と免疫組織化学法の同時施行法を新たに確立し、虚血性脳障害決定要因としての中枢神経系組織の虚血耐用能の重要性を明らかとしました。帰国後は、脳虚血病態における細胞応答現象の意義に関する研究を続け、脳における「虚血耐性現象」の存在を世界で初めて見いだすとともに、虚血により誘導されるORP150、IRP94などの新規ストレス蛋白質の遺伝子クローニングにも成功しました。
 また、臨床的には脳神経超音波法は核医学的手法によるニューロイメージングの研究を推し進め、新たな診断法の確立により脳血管障害の病態やその治療評価法の進歩に貢献してきました。

 広島は私にとって日本で3番目の故郷になりますが、これまでの経験を活かし、世界的にも知名度の通った広島の地で、地域の医療に貢献するとともに、広島大学から世界に雄飛する素晴らしい人材を育てたいと思っております。私にとって今年は論語に言う『知命』大きな節目の年となっています。海軍将校であった父が過ごした江田島の近くで新たな人生を踏み出すことには運命的なものを感じており、全身全霊で努力する覚悟です。至らぬことも多い人間ですが、広仁会の諸兄におかれましては是非御指導御鞭撻賜りますようよろしくお願い申し上げます。

(広仁会会報 第62号 平成14年7月より)

 

 
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