しかしながら、そうした社会構成主義の意義にも関わらず、科学論のその後の研究は、社会構成主義者 と内在的な科学史・科学哲学の主唱者との間の意見の相違を包摂するという理にかなった方向にうまく収斂 していない。社会構成主義者と内在論者との間の主要な論点としては、科学知識の内容を説明する際の社会 的(あるいは外在的 )な「要因」と合理的(あるいは内在的)な「要因」の重要性の相対性、科学研究の方 法と成果に関する経験的記述と認識論的評価との関係、科学知識がどのように世界と関連するのかについて の実在論者の説明あるいは相対主義者/構成主義者の説明の一貫性などがある。科学論のさまざまの専門分 野における研究は、次第にこうした論争における用語そのものを問題視するようになってきた。科学知識を 説明するという目標、知識の「内容」に関して前提となっている被説明項、記述的アプローチと規範的アプ ローチとの間に想定される対立、知識に関する実在論者の解釈や構成主義者の解釈が答えようとしている問いの明白さといったことに対する関心が次第に高まってきたのである。
本稿では、内在論者と社会構成主義者との論争における用語問題を越えた重要な動向を特徴づける論点を 明らかにしたい。著者は、歴史学、哲学、社会学、人類学、フェミニズム理論、文学批評といった全く異質 なさまざまな領域からなる学問に言及するために「科学の文化研究 Cultural Studies of Science(科学の CS)」という言い方を用いる。こうした言い方を用いる際、それがいくつかの真に重要な理論的、方法論 的、政治的相違を横断していること、また、いくつかの意義深い学問研究が、CSと社会構成主義の伝統と の間に著者が引いた境界線の上で起こっていることを胆に銘じておかねばならない。著者の目的は、CSを 具象化することではなく、学際的な科学論の用語の意味を変える可能性のある重要な論点に光を当てること にある。
さて、科学のCSとは何か。著者はこの言葉を、実践−−それを通じて科学的理解が分節化され、特定 の文化的文脈の中で維持され、新たな文脈へと翻訳され拡張される−−に関するさまざまな探求を広く包含 するものとして使用する。《文化》という語を選んだのは、この語が異質なものを含意することができる( 文化という語は、社会的実践、言語的伝統、あるいはアイデンティティーとコミュニケーションと連帯の組 織、を包含し得ると同様、「物質文化」をも包含し得る)ととともに、この語が意味の構造や領域に関して 含蓄をもっているからである。いくつかの歴史的なスケッチが、著者が考るCSと、CSに対応する社会学 的および哲学的伝統との相違を際立たせるのに役立つかもしれない。著者はこうしたエピソードが、CSの 歴史の啓発的な断片を構成するにすぎないことを強調しておくべきであろう。こうした文脈の中で、意義深 い顕著な特徴を有した探求領域としての科学のCSの範囲を明確にする、最も重要な理論的問題であると考 えられる事柄について体系的に論じることにしよう。
第一の歴史的エピソードは、科学のCSが社会構成主義者の伝統に負っていることを確認するのに適して いる。CSは、科学知識をその他の文化形態と異なるものとして捉えるための独自の方法やカテゴリーを必 要としないとするストロング・プログラムやその社会学的な継承者のやり方にならっている。カール・マン ハイムの初期の知識社会学が、自然科学と数学を例外としたことは悪名高い。同様に、いまだにアメリカの 科学社会学を支配しているマートニアンの伝統は自然科学を対象としているが、彼らの科学制度と規範につ いての探求は、成功した科学研究の内容を当然の前提とすることを強調している。彼らマートニアンは、科 学研究がどのように制度的かつ文化的に具体化されるのか、確立した規範や方法からの逸脱がどのように適 切に説明されるのかということに関心を向けてきた。同様に、多くの科学哲学(といくつかの科学史研究) は、(一方で)科学知識の確立にとって「内在的」な想像力、推論、証拠と、(他方で)少なくとも理念的 には認識論的な考察からは除外される伝記的要因や社会的要因との区別によって構成されてきた。それにも かかわらずCSは知識あるいは知識の「内容」をその探求の重要な焦点とすることを拒否するという点で社 会構成主義を乗り越えているかもしれない−−知識を探求の焦点にしないというCSのアプローチは、知識 を合意、表象、あるいは規則に支配された生活形態といった観点から一般的なものとして特徴づけようとす るいかなる試みからも袂を分かつ。
逆に科学のCSは、科学的探求と、科学哲学者たちが知識にとって「外在的」なものとしてみなしてきた 文化的実践や文化的諸形態との間の交流を探求の対象とする。科学は文化的諸形態とみなされる−−科学の 分節化が必要とする資源、科学が対応すべき状況、科学がどのように状況を転換させどのように他者に衝撃 を与えるか、といったことを詳しく探求することを通じて理解されねばならない。以下に論じるように、C Sは知識に関する内在論者の説明を、すでに確立した特権的な別の説明枠組み(例えば、社会的要因)に取 ってかえようとするのではないし、現在科学的探求として受け入れられているものに認識論的な自律性を与 えようとするのでもない。
第二のより歴史的に特異なエピソードは、社会構成主義と科学のCSとの間の興味深い相違点を際立たせ るのに役立つかもしれない。科学知識の文化と政治は、第二次大戦中および大戦後、国家が科学研究の支援 と方向づけに積極的に関わるようになるにつれて、アメリカ合衆国と英国で国家政策の一つの焦点となった。 論点は、民主主義的な政治文化の中で、科学的探求を組織化し、支援し、方向づけるにはどうすればよいか ということに広く関わっていた。英国では、結晶学者のJ・D・バナールが、社会的に有益な目標のために 科学を慎重に政治的に管理すべきだと論じていた。バナールは堅固な社会主義者で、資本主義社会は科学知 識を効率的かつ人道的に発展させたり利用することはできないと論じた。彼は、科学的探求はかなりの資源 を必要とする人間的労働の社会的所産であることを強調し、科学は大きな利益を約束してくれるが同時に抑 圧のための新たな資源を創り出すこともできると論じた。必要なのは、社会変革であり、そこでは人道的科 学が繁栄する。またバナールは暗黙のうちに、科学自体の目的が社会変革にあると考えていた−−「科学は 社会生活全般の、統合され調整された管理、結局は意識的な管理を含意している(1)。
「バナール主義」は物理化学者のマイケル・ポランニイによって激しく反論された(2)。ポランニイの 認識論は、実践的な技量と非言語的なコミュニケーションの重要性を強調し、「個人的知識」(ポランニイ の用語)が科学研究を形成するとされる。しかしポランニイの立場は、政治的に重要で保守的な帰結をもた らした。科学を社会的な目的に役立てようとすると科学の認識論上の成功を危うくすることになりかねない。 さらに言えば、科学知識の基礎が明瞭でないので、現役の科学者でなければ科学を最も進歩させる方法を理 解できるはずがない。科学研究の無制限の自由と、科学エリートによる科学資源の管理に取ってかわるもの などない、とポランニイは考えた。
社会構成主義の伝統は、バナール/ポランニイの論争に対しては両義的 な態度をとってきた。構成主義 者は、科学活動に対してはバナール主義の解釈を採用し、研究は社会的なカテゴリーという観点から理解さ れねばならない社会的生産と社会的認可のプロセスであると強調する。しかしながら、社会構成主義者が展 開してきた科学活動の記述は、ポランニイに負うところが大きい。科学知識はローカルに条件づけられ、暗 黙のノウハウであるとするポランニイの解釈は、相対主義者はもとより、構成主義の伝統の重要な要素とな ってきた科学実験室のエスノグラフィックな研究(例えば、ハリー・コリンズ、トレヴァー・ピンチ、ブル ーノ・ラトゥールの研究、そしてスティーヴ・ウールガー、カリン・クノア−セチナの研究)にも直接的な 影響を与えた。さらに、社会構成主義の伝統は、その反科学主義的言い回しにもかかわらず、ポランニイの 反規範主義的立場を共有しており、それが科学的実践と信念を批判する可能性を妨げている。元来、社会構 成主義者たちはポランニイとは別の根拠に基づいて科学的実践に対する批判を排除しようとしていると思わ れる−−構成主義者たちは、科学者集団の疑問の余地のない権威をエリート主義的に擁護するのではなく、 広範な認識論的相対主義を掲げている。しかし実際には、この二つの立場は科学者集団の権威を擁護すると いう点で一致する。かくて、構成主義者のコリンズとスティーヴン・イアーレイは、ホタテ貝の養殖という フランスの研究プロジェクトの命運に関するミッシェル・カロンの説明にポランニイ風の異論を提出してい る−−「ホタテ貝の加担の度合いを測定する方法として知られているのは一つしかなく、これは適切な科学 研究によっている。もし説明項目にホタテ貝の行動を導入せねばならないのなら、カロンは自らの科学上の 資格を示さねばならない(3)。」
したがって、社会構成主義者たちがポランニイ/バナールの両陣営に引き裂かれる場面で、CSの主唱者 はそのどちらにも与しない。科学のCSに対するポスト構造主義の理論的影響は、バナールを鼓舞したマル クス主義的ヒューマニズムとは相容れない−−共通の人間的利害とか生産の社会的な所有を通じての解放計 画に関するバナールの考えは、差異、競合する意味、アイデンティティーといったものに対するCSの感受 性と対立する。とはいえ、自己管理的な科学エリートというポランニイの議論も魅力に欠ける。CSは科学 者集団を認めたり相対化するのではなく、科学者集団の境界線や、境界線を引いたり規制したりすることに よって確立される権威を議論する。このような立場から、ポランニイの科学上の寡頭政治でもなく、構成主 義者の多元的認識共同体でもない、全く別の知識の政治学が帰結するのである。
このような認識論的政治学は、科学者集団に権威をもって同じ調子で語らせることはできない−−また認 識論上の君主の視点から、科学に課された特権的な語彙に訴えて科学を植民地化することもできない。かく て最後の歴史的なエピソードは、科学のCSが、この半世紀における科学者集団内部からの科学の政治的批 判に負っていることを適切にも強調する。現代の科学のCSは、『原子科学者会報』Bulletin of the Atomic Scientistsに至る物理学者たちの政治的葛藤や軍事科学研究(特にベトナム戦争中の)に対する科学者によ る広範な反対論に多くを負っている−−「サイエンス・フォー・ピープル」や、「ラディカル・サイエンス ・ジャーナル・コレクティブ」といったグループの形成:殺虫剤や低レベル放射線研究の企業や政府による 支配に対する抵抗を含む科学者による環境保護主義の興隆:組み換え遺伝子研究やさらにヒトゲノム計画に 関する論争。生物学や心理学におけるジェンダーについてのイデオロギー的な取り扱いに対する批判を強調 した、科学とジェンダーの問題に関する研究の最初のうねりもまた、もっぱら科学者たちの仕事であり、彼 らの仕事はCSの中での科学とジェンダーに関する徹底した議論のための予備的条件の一つとなった。科学 のCSは、アカデミーの歴史や、科学に関する専門化した歴史的、哲学的、社会学的な解釈に属するだけで なく、科学の歴史的研究、科学それ自体の文化、科学知識をめぐる政治的闘争にも属している。
このように科学のCSを位置づけることによって、著者はCSと科学の二○世紀文化の重要な側面との連 続性を強調してきた。しかし、今や科学の理解に対するCSの独自な寄与について述べねばならない。もち ろん科学知識のCSは多様で対立しているので、科学のCSに科学研究の共通の像を帰すことについては、 なにがしか人為的なものを感じる。しかし、科学のCSがいかに多様に展開していようと、科学を理解する 他の方法と明確なコントラストを示す重要な共通のテーマがある。六つのテーマを挙げよう。すなわち、科 学についての非本質主義、科学的実践に対する非説明的な関与、科学的実践のローカルな性格と物質性の強 調、さらにはその文化的開放性の強調、科学的実在論あるいは「価値中立」としての科学という概念に対す る反論ではなく打倒、そして、科学の文化内部からの認識論的かつ政治的批判への関与、の六つである。
科学のCSは、科学の本質の存在、あるいは真の科学研究ならば当然にも目指すべき単一の本質的目標の
存在を否定する。ローティの簡潔な言い方を借りれば、「自然科学は自然的ではない」。科学的探求の実践、
その所産や規範は歴史的に変化する。それらはまた、科学の専門分野間の境界線の内部および境界線を越え
て大きく変化する。高エネルギー物理学、低温物理学、電波天文学、群集生態学、分子生物学、分類学、古
生物学、気象学は、多くの側面でそれぞれが全く異なった認識論的実践であるが、このリストには、より直
接的な「応用」科学の領域は全く含まれていない。また科学研究は、同じ領域の内部ですら文化的に多様で
ある−−例えば、科学研究のスタイル、方向性、標準、目標には重要な国家的な相違がしばしば存在する。
このことは、異なる科学文化が自己閉鎖的で相互に理解不可能であることを意味するわけではないし、個々
の科学者および科学者グループが自分たちの境界線を巧みに遊泳できないことを意味しているわけでもない
。さらに、科学文化における認識論的関心の相違が、国家的、言語的あるいは他の文化的境界線とぴったり
重なる、などということを意味するのでもない。
ここでは、科学的実践の内部における多様性が科学的実践の重要な特徴の多くを含んでいるということを
強調しておきたい。多様性には規模、正確さ、技術的洗練度、感受性、理論上の透明性、道具に対する理論
の独立性といったものが含まれる−−探求の対象の大きさ、位置、移動性、接近可能性:社会的秩序(例え
ば、能率的な研究グループの規模とその内部の知識の異質性の度合い、技量、相互理解、地位など):理論
的な洗練度、理論と実験ないしは観測との関係:知識と特定の「応用」からの距離:他の文化的実践との関
わりの特徴と意義:記述と説明の重要性の相対性:研究とコミュニケーションの制度。
科学の異質性に対する鈍感さこそ、科学のCSが、科学の合理性やその成功に関して抱かれている一般的
な合意を間違いだとみす重要な論点であり、また科学者集団(および彼らが受容した結果)は他の集団と同
等であり、互いにも同等だとする認識論的相対主義を間違いだとみなす重要な論点もである。科学的探究が、
他の認識論的実践よりも優っているにせよ、他の実践と「同程度」であるにせよ、またいくぶん劣っている
にせよ、間違っているのは、科学知識が他のものと本質的に明確に区別できる単一のものだ、とする前提で
ある。同様の問題点を、自然科学を社会科学あるいは人文科学から区別しようとする全ての試みにみること
ができる。
CSの非本質主義は、第二のテーマへと展開していく。CSと社会構成主義の伝統との最も重要な相違点
の一つは、CSが科学知識(あるいはその「内容」)に対する説明的な態度に反対することである。端的に
言えば、社会構成主義は、科学的実践の認識論的成果を十分に説明することが(潜在的に)可能な説明的社
会科学であると称してきた。この場合、社会的相互作用に関する語彙(利害関心、交渉・調整など)は、科
学研究の適切な理解にとっての鍵となるものを含んでいるとされる。しかし、ナンシー・カートライトが物
理学上の説明について述べたように、「[説明的科学の]目的は、少数の原理によって広範で多様な現象を
カバーすることである。ある理論の説明力は、非常に多様な事例をカバーするために、少数のすでによく理
解されている[表現]を展開する能力に由来している。しかし、この説明力は、状況を生々しく表象する力
を制限するという代価を要求する(4)。」理論の説明的概念によって現象を説明する必要性は、説明さる
べき諸現象の間の相違を無視する−−その相違が別の説明枠組みで重要かどうかは別である。例えば、科学
的実践の内容に関する社会的説明は、そうした実践がどれほど多様になされるかを考えるためには十分に条
件づけられていない−−これに対して科学のCSは、構成主義的研究が、疑問の余地のない被説明項とみな
したものの可塑性に関心を寄せる。
しかし、説明的スタンスに関連する二つの問題点が、CSにとってより根本的であろう。第一にCSは、
説明的スタンスが解釈と解釈しようとするものとの間の境界線を具象化しようとする方法に異議を唱える。
この具象化はさまざまな形態をとり得る。例えば、ラトゥールとウールガーは、(少なくともレトリックの
上では)よそ者としてのエスノグラファーというスタンスをとっている。他方、コリンズとイアーレイは自
分たちを自然科学者に対する専門上の敵対者のように振る舞っている。「われわれは処方箋を提供する−−
自然のことがらを説明するためには社会的なものの上に立て(社会的実在論者であれ)。世界は、(ラトゥ
ールの言葉を借りれば)不可知の領域である−−別の人々は社会的なものを説明するために自然の事物の上
に立っている……[かくてSSK(科学知識の社会学)は]社会科学との関係で自然科学を弱めようとして
科学を用いる(5)。」
それに対してCSは、《他者》にカテゴリーを一方的に押しつけようとする試みに疑念を呈するポストコ
ロニアニズム的文化人類学の伝統の影響を受けてきた−−たとえ文化人類学が本国に召還され、科学が《他
者》にされ、帝国主義的文化人類学者が自然科学という確立された文化的権威に対する「犠牲者」のように
振る舞ったとしても。
科学知識の社会的説明に関連する第二の問題は、右に引用したばかりの文章でコリンズとイアーレイが意
識的に防御している(社会的な)説明項のカテゴリーの具象化に関するものである。CSは、意味の分節化
と意義に焦点を合わせ、社会的説明のカテゴリーをCSの視野の外におくことに躊躇する。この躊躇は、社
会的説明が、社会的アイデンティティーないしは社会的カテゴリーの統一体−−CSはそれをしばしば脱構
築しなければならないわけだが−−を前提とする場合に強まる。このような異論は、社会的説明のカテゴリ
ーと実践それ自体が科学的伝統に属するという広く普及した認識を前提とすると、さらにやっかいなものと
なる。
社会科学のカテゴリーのこのような具象化は、構成主義の伝統の中で「反射性」(reflexivity)という
標題で批判的に議論されてきた。この論点は、もっぱらウールガーとマルコム・アシュモアの研究に関連し
ている。ウールガーとアシュモアは、科学知識を社会的に説明しようという目標を、レトリックとして首尾
一貫しないものとみなした−−社会学的説明は、科学的表象の単純さと見かけの透明さを覆すことを目指し
ているが、自らの表象主義的レトリックにおいてもはや単純ではありえない。著者は、反射性に関するウー
ルガーの表象を構成している言語の表象主義的概念や、彼の説明が示唆する一般的な哲学的懐疑主義に反論
したことがある(6)。しかしながら、CSは、社会的説明という目標に関する反射的批判に対して、ウー
ルガーやアシュモアのアプローチとは異なったやり方で応答する。ウールガーとアシュモアにとって、反射
性を真剣にとりあげることは、表象それ自体について機知に富んだ遊び半分の「尋問」のために、科学に関
する表象を改善するという前向きの姿勢を断念することを示唆している−−「反射性は、テクストのエスノ
グラファーである」とウールガーは明言している(7)。それに対してCSは、反射性の問題を、自らが研
究している文化的実践や意義との関連で、自らの複雑な認識論的および政治的関係を考える契機だとみなし
ている。
この相違は、科学論のレトリックを反射性批判から免除することを意味しない。例えばドナ・ハラウェイ
とシャロン・トラウィークは、科学論内部の共通のレトリック戦略を、目的は異なっているものの、批判し
ている。トラウィークは科学者たちと同様に次のように指摘している−−「科学と技術に関する最近の社会
的研究の大半は、何もかも説明すると同時に他の物語を全く認めない。自然、科学者、科学について、これ
らの物語の大半は語りの怪物(narrative
leviathans)であり、類似のレトリック戦略を通じて、因果を包
摂する物語を作り、また作り直す」(8)。こうした物語は「絶え間なく繰り返される模倣によって」もた
らされる−−「語られた物語は同じ物語によって語られる」。ハラウェイとトラウィークは、このようなレ
トリックを批判するにあたって、表象的実践を一般的に「尋問し」、距離を置くことに関心を払わない。彼
らの観点からすれば、ウールガーの物語は、もう一つの物語の怪物−−(彼自身の表象を含む)あらゆる表
象が「自己」の投影であることを示す怪物−−を作り出しているにすぎない。対照的に、ハラウェイとトラ
ウィークにとっては、反射性は偏りと条件性を開示し、自己閉鎖的ではない。反射性は、表象が自律的で自
己投影的であるという幻想を暴露する−−われわれは、部分的に共有している環境の中で、他者との相互作
用を通じて以外は自分自身に出会い理解することは決してできない。もし常にレトリックが条件づけられて
いるとすると、自らが著者であることへの反射的な関心は、テクストの内部に留まることができない。著者
のテクストにおける自己表象は、行為の形態としての著述と発話に対する大きな関心の一部としてのみ、反
射的批判にさらされる。こうした著述や発話は何をなすのか? 誰に対して、そして誰について表明される
のか? 語りかけたり話題にした人々の反応を、どのようにして認めるのか、あるいは拒絶し聞かないのか
? とりわけ、誰にとって意味があるのか? かくて、知識要求に関する批判的考察は常に、認識論的であ
るとともに倫理的かつ政治的問題である。そして、ハラウェイとトラウィークの反射性に対する要求は、科
学政策と科学論を再構成することを目指している。ハラウェイは、以下のように指摘している−−「自然諸
科学は、……文化的・政治的評価に、《外在的》のみならず《内在的》にさらされるべきであるが、その評
価も利害関心や利害関係に深く関わっており、現実の人々が条件づけられた生活を説明するために意味を付
与する実践分野の一部である(9)。」かくて、
発話と著述という自らの実践に反射的な注意を向けること
は、謙虚で自己批判的であるべき科学に対する政治的な関与にとって不可欠なのである。
探究は反射的に条件づけられているとするハラウェイとトラウィークの指摘は、CSの第三の顕著な特徴、
つまり科学的実践のローカルで物質的で論証的な性格に対する強調に通じている。往々にして、科学知識は
物質的で道具的な実践−−それを通じてアイデアが確立し、事物と結びつけられる−−から切り離された自
由なアイデアの体系であるかのように論じられる。それに対してCSは(実験についての最近の他の研究と
ともに)、知識の意味や意義の形成にあたって、道具や特定の物質を利用するのに必要な技量やテクニック
の重要性と、それらの道具と物質から成る複合体の重要性を強調する。またCSは、科学上のコミュニケー
ションや情報交換のネットワークの特異性を強調するが、このネットワークこそ、論じられるべきは何かを
決めるとともに、適切に利用され得る語彙や技術的資源は何かを決めるのである。例えば、専門分野が新た
な概念や理論によっても、また新しい道具や対象によっても創り出されたり変化させられたりするというこ
とをCSは強調する(もっとも、道具や対象といったカテゴリーが、論ずるまでもないほど明確であるかの
ようにはっきり区別することには慎重でなければならないが)。古典的な細胞学から近代的な細胞生物学へ
の変容は、理論的な革新によるというよりは、超遠心分離器や電子顕微鏡の使用にポイントがあり、これら
の道具の登場の結果、細胞についての科学的に興味深い課題やこうした課題への適切な解答とみなされるも
のが変化したのである。同様に、ピーター・ガリソンは、素粒子物理学のいくつかの基礎的な概念が一九三
○年代の測定器の使用によって変化したと論じている−−実際、測定器は、例えば「電子」を集合概念から
可算的概念に変えた(一個の電子を取り出してみせたわけではないが)(10)。
道具は、ローカルな文脈に分かち難く帰属しているが、その文脈の中に施設、技量、論証的実践があり、
それらが道具を有意義に働かせるのである。一九六○年代および一九七○年代、科学哲学者たちは、科学知
識に対する道具の影響は観察の理論負荷性−−道具の機能の重要な側面が理論的に理解されていることを前
提にしている−−という観点で捉えることができると考えていた。しかし、それは違う−−例えば、エラー
とノイズの原因は、十全な理論的理解を要しない実践的な技術によって巧みに回避されるのが常である。同
様に知識のローカルな性格は、用いられ探求されている実際の物質(特定の細胞培地、プラスミド、超伝導
セラミックスなど)の交換の重要性によって示唆される−−こういう物質は、一つの記述からは即座に再現
できないからである。科学知識からローカルな性格を完全に払拭することができないと強調することに難色
を示す科学者や哲学者もいるだろうが、そういう人々は、そうすることによって自分が何をしているのかを
はっきりと知るべきである−−彼らは、科学内部の実験家、概念道具主義者、さらには現象論者が明確に知
りかつ行っていることの大半を、科学知識から排除しているのである。
しかしながら、科学的実践におけるローカルな性格と物質性をCSが強調することと、科学的実践が(ポ
ランニイが主張したような)「暗黙の」知識という特徴を示すという意見や、(科学知識についての文化的
解釈に反対して唯物論的な説明を示唆しているかにみえる、実験的実践に関する研究に含意されている)「
無言の」知識という特徴を示すという意見とは、区別されねばならない。暗黙の知識であれ無言の知識であ
れ、いずれの場合も物質にかかわる実践は明言できないものとされ、それゆえCSの解釈的実践とは無縁な
ものにされてしまう。科学的実践とその能力がもつローカルな性格は、それらを新しいローカルな環境に拡
張し、環境を横断する大規模な継続性を維持させるために、実践の脚色や標準化を排除するとみなすべきで
もない(11)。ネットワークの拡張と維持、推論の中心とネットワークの結びつきに関するラトゥールの説
明、さらに、競合する連合を通じての知識と権力の伝播に関する著者の議論は、科学的実践がローカルな性
格をもっていることこと符合する。科学的実践と科学知識がローカルだという主張は、科学的推論や知識に
関する消極的で非物質的な普遍性概念と対立するが、(十分な社会的・物質的支援によって)至る所に拡張
され得るもののどこでも即座に成り立つわけでもない、広範な相互作用(ネットワーク、連合、関係)の特
異性や物質性とは対立しない。
CSの第四のテーマ、すなわち著者が科学的実践の開放性と呼んできたものは、科学者集団が相対的に自
己閉鎖的で均質であり、他の社会集団や文化的実践と関わらない、という通念と対立する。トマス・クーン
の『科学革命の構造』The Structure of Scientific
Revolutionsのような、科学のCSに大きな影響を及ぼ
し示唆に富んだ先駆的研究でさえも、科学者集団の知的で規範的な自律性や統一性を強調している。社会構
成主義の伝統は、この点でクーンに従っており、科学者集団において共有されている信念、価値、関心を形
成している社会的な利害関心や社会的な相互作用に焦点を当てている。それに対して、科学のCSは、科学
者集団(とその言語と規範)を文化の他の部分から分けているとされる境界線を越えて絶えず行き来する。
ラトゥールは、科学研究のこの意味での開放性について挑発的に次のように述べている−−科学研究それ自
体が、科学の内部と外部の間の区別、あるいは科学的なものと社会的なものとの間のいかなる区別をも不安
定にしている(12)。
科学と社会との間に立てられた境界線の行き来は常に双方向であることを弁えておくことが大切である。
ここでは、科学研究が絶えず「(科学)外部の」文化を取り込んだり、影響されたりするし方について述べ
よう。この方向には、いろいろあるのだが、物質的・財政的資源を求め獲得する科学者、人材の補充、探求
すべき意味のある重要な問いや課題、語彙とその語彙と結びついた隠喩や類推、そして同盟関係など多くの
ことが含まれる。この論点を例証し、CSがなす主張とその主張に対するCSの正当化の幅と深さを納得し
てもらうためにいくつかの事例を挙げてみたい。
最初の事例は、ロバート・マーク・フリードマンによるものである(13)。フリードマンは、ヴィルヘル
ム・ビヤルクネスによる進展著しい地球物理学的気象学の理論的特徴が、軍事的な飛行や民間の航空産業、
漁業、農業との間で培われた特定の関係によってどのようにして形成されたかを明らかにした。ビヤルクネ
スのグループは、当時支配的であった統計学的/気候学的アプローチを、大気力学の三次元モデルを基礎に
した気象学に置きかえた。彼のモデルは、大気の不連続面(「前線」)の形成と移動を強調した。しかしこ
の概念は、元来、飛行と航海の必要性とそれらによって得られる資源の両方に依拠していた。飛行は、当時
支配的だった気候学理論が提供するよりもはるかに精密で別種の概念による大気分析を必要としていた。と
はいえ、急速に移動する不連続面をはっきりと描き出すことができる三次元の地球物理学的気象学を可能に
するデータを得るためには飛行機と飛行船が必要だった。ヨーロッパとアメリカを通じて共通の計器と度量
衡−−現象的な単位ではなく物理的に意味のある単位で特徴づけられ、ローカルな都合に合わせるのではな
く同時になされる−−を課すという事業を成功させるためには、こういった関係が不可欠であった。この分
野で以前から仕事をしていた気象学者の多くは新しい測定単位を理解しようともしなかった−−しかし、こ
ういった変化がなければ、大気の特徴に関する適切な知識はあり得なかったのである。
高エネルギー物理学(HEP)は、特定の社会的利害関心や文化的実践から、気象学よりも離れているよ
うにみえる。しかし、文化的および政治的な関わりは、いかなる種類の知識を生み出しうるかについて顕著
な差異を生じさせる。トラウィークが指摘しているように、HEPグループの研究の主要な決定要因は検出
器である(14)。全ての加速器研究グループは同じビームから粒子パルスを得るのだが、いかなる知識を生
み出すかは用いる検出器に依存する。アメリカ合衆国では検出器は短命であり、研究の最前線に留まるよう
に絶えず手を加えられている−−データにノイズが残らないように、また費用と時間がかかりすぎないよう
にしながら。実験物理学者は、ノイズを最小にするとともに望んでいる詳細なデータを得るために、検出器
を自作する(そして手を加える)。日本では、このやり方は不可能である。HEPのための資金は日本の企
業と結びついているからである−−物理学者は検出器の基本的な設計基準を決めるだけであり、検出器は工
場で製作され研究現場で手を加えることはできない。トラウィークが述べているように、非常に精密な部品
から成るこんなにも高価な機器は長期にわたって使用されねばならない。アメリカ合衆国では物理学者は何
世代もの検出器を使って研究するのに対して、日本では一つの検出器がいくつもの研究チームで長く使用さ
れ、物理学者は一つの機器とつきあって研究生活を送る。このような差異は、研究課題の種類や研究成果の
特徴に強く影響を及ぼす。
第三の事例は歴史家のドナ・ハラウェイから採ろう。彼女は、生物学におけるいくつかの分野、特に進化
論、遺伝学、発生生物学、免疫学における研究とその解釈を編成した隠喩が一九四○年代および五○年代に
大きく変化したことを跡づけた。ハラウェイはこの変化を「階層的で性的な分業と恒常性の原理で秩序づけ
られた生理組織に関する言説から、情報工学の原理で秩序づけらた自動制御的な工学システムに関する言説
への変化」として記述した(15)。ハラウェイの論議は生物科学の中核的な分野のこういった変化のための
理論的および経済的資源を、オペレーションズ・リサーチや労務管理における戦争中の発展と結びつけ、ま
たこれらの分野が有する説得力の一部を、経済における変化および言語や自己に関する文化的イメージの変
化と結びつけている。科学におけるこのような隠喩構造は認識論的には極めて重要である−−特にこういっ
た構造が、その後の研究の発展を形成した方法の故に重要である。隠喩構造は興味深い課題を案出したり、
課題に対してどのような答えが望ましいかを方向づけた。
性とジェンダーの文化的構成と科学知識の絡み合いは特に強調さるべきであろう−−科学のCSの形成に
大きな影響を与えたからである。科学とジェンダーの関わりは、今では驚くにあたらないはずである(関わ
りが十分認められているというわけではないが)。行動や能力に関する性差の内分泌学的影響をめぐる研究
やジェンダーの差異に関する進化論的な説明がジェンダーの文化的構成の影響を免れていると考えられるだ
ろうか。同様に、研究者の信頼性をめぐる認識論的重要性や文化的複雑さを考える場合、ジェンダーが重要
でないとすればとんでもないことになろう。そこで、科学研究の開放性というテーマに力点をおくために間
接的な二つの事例を挙げてみよう。
第一はエヴリン・フォックス・ケラーによるものであるが、その研究は現代の生物学内部で特に中心的な
位置を占めている分子生物学の文化的形成に関するものである(16)。H・J・マラーがX線によって引き
起こされた遺伝的変異とラザフォードのα線による原子核の照射を大胆にも類比したことや(「変異と壊変
−−この二つの言葉はパワーに至る虹の架け橋の礎石である」)、分子生物学者がDNA分子を「生命の秘
密」としばしば同一視し、「(それによって)血の通った人間への言及を置きかえることが、象徴的に達成
された」ことなどから、ケラーは分子生物学の意義の表象が強くジェンダー的であると論じた。彼女は、科
学者達がこの研究の生物学的な中心性を正当化しようとしたやり方を、男性の誕生[アダム]と第二の誕生
[イブ]という強力な文化的物語に結びつけている。ここでの論点は、DNA分子が遺伝に果たしている特
別の役割ではなく、生物科学(および物理科学)の他の要素との関連で、生物学の特定の研究プログラムの
ジェンダー的意義である。
『サイエンス』Scienceの内容に関するハラウェイの最近の議論の中で別の事例が示されている(17)。
アメリカ科学振興協会の機関誌であるこの雑誌の内容は、科学的な記事、レター、ニュース、コメントであ
ると普通は理解されている。しかし著者の計算では、この雑誌の四分の一は広告で占められている。この事
実は、科学的実践や科学装置の経済的な意味を端的に示唆している。しかし、ハラウェイがやったことは、
広告の中で効果的に展開されているイメージを研究したことだった。スクリーンに画像として構成されたイ
メージをじっと見つめるキーボードの上のウサギから、夜中に実験室の中でサルに餌を与えている男性科学
者や、活発な発癌遺伝子を持つよう遺伝子操作されたデュポン社の実験室マウス(「オンコマウス」)に至
るまで、広告におけるユーモアや画像は、ジェンダーと誕生、起源と救済、純粋と汚染、自然と文化といっ
た文化的な物語に、微妙なあるいはそれほど微妙でない変化をつける。こうした広告は、想定されている読
者について、また広告が具現化したイメージの意義について、複雑な問題を提起する。しかし広告は、科学
的理解というものが、雑誌の標準的な研究報告の注意深く無味乾燥な散文的記述以上のものを含んでいるこ
とを思い起こさせてくれる。
科学的実践の開放性に関するこのような感覚、また科学にとって内在的なものと外在的なものとの間にあ
るとされる境界線に対する疑念が、知識と権力と間の密接な繋がりという論点に通じている。著者は別のと
ころで、知識と権力は同一のものに還元できないことを明らかにした−−どちらも一種類のものと理解され
るべきではないからである(18)。知識について、あるいは権力について語ることは、実践の相互関係と実
践の内部で明らかになった事物を理解する方途なのである。《権力》とそれに関連した概念(弾圧、支配、
権威、権限委譲など)は、(権力の)担い手たちが、他者の行動の可能性を変化させる特定の状況の中で、
連携しながらどのように振る舞うのかを理解する方法を与えてくれる。《知識》とそれに関連する概念を用
いることによって、(権力の)担い手とそれを取り巻く環境が、どのようにして共に機能し、互いを明らか
にし理解するのかを解釈し評価することが可能になる。《権力》は、人々と事物がどのようにして効果的に
連合するかに関わり、他方、《知識》は、いかにしてそれらが情報を通じて連合するかに関わる。同じ要素
やパターンが、二つの連合に関与するかもしれないし、認識論的な連合それ自体が、権力の連合に貢献する
かもしれないし、その逆もあるかもしれない。知識と権力は科学的実践−−世界の理解の仕方を変化させる
だけでなく、人々の状況や生活の可能性にまで影響を与える−−においてしばしば出会う。その結果、科学
上の知識要求(あるいは知識の前提)に対する批判的評価は、しばしば権力関係−−科学的実践がそれを構
成しあるいは維持するのだが−−に関する批判と密接に関連せねばならない。科学のフェミニズム研究は、
この点に関してしばしば最も洗練された理解を示してきた。というのも、これらの研究は、世界についての
より適切で信頼できる知識に対する探求を断念せず、同時に知識要求が支配や権限委譲の諸関係に否応なく
絡んでいることを認識しているからである。
科学のCSについて指摘したい最後の二つの論点は互いに密接に関連している。CSは、実在論や価値中
立といった科学に関する積年の哲学的問題に対して反対するというよりも打倒しようとする−−CSは伝統
的な解答に代わる代替案を提出するのではなく、問題の立て方に挑戦する。このアプローチは、科学のCS
内部での認識論的・政治的批判の場と結びついている。CSは、科学哲学者によってしばしば進められる科
学の全面的な正当化を支持しないし、科学に関する批判的評価を括弧に入れたり相対化したりして科学を記
述しようとする多くの科学社会学者の試みも支持しない。
実在論とは次のような見解である−−科学は理論を提出することを目指し(しばしばそれに成功する)、
理論は、世界が人間のカテゴリーや能力、さらに介入といかに独立しているか、を正しく表象する。社会構
成主義者は、次の二点から実在論を否定する−−科学が記述する世界は、それ自体社会的に構成されており、
この世界を記述するに際して科学の目的が社会的に特定できる(利害関心の充足、制度や実践の維持、等々
)。科学のCSは、実在論および社会構成主義を含む反実在論の両方を否定するものと考えるとよく理解で
きる。実在論も反実在論も、科学知識の内容を、実在の対象との因果的結びつきなり、知識内容を決定する
社会的相互作用なりによって、説明しようとする。両者に共有されている前提は、説明さるべき確固とした
「内容」が存在するということである。科学的実在論者も反実在論者も、意味論的実在論−−理論、概念枠
組み、生活形態が世界について「語る」事柄ついては、決定的な事実が存在するというテーゼ−−を前提と
している。解釈はどこかで−−独立して実在する対象からなる世界の中でないなら、言語、概念枠組み、社
会的文脈、あるいは文化の中で−−終わらねばならない、と彼らは主張するわけである。
それに対してCSは、枠組みと内容、ないしは文脈と内容という二元論を全面的に否定する。発話の内容
を確定するような決定的な枠組みや文脈があるわけではないし、言語から逃れることなどできない。理論や
実践が世界をどのように解釈するか、それ自体がさらなる解釈へと開かれていることは避けられない−−い
つ、誰によって、何がなされたかを越える権威はない。この立場からは、社会構成主義との比較で、少なく
とも二つの重要な結論が導かれる。第一に、CSは真理としての命題について率直に語ることができる。と
いうのも、《真理》は決して言語を越えることのない意味論的概念だからである。《p》は真である、と述
べることは、pと言う以上の(またそれ以下の)ことを述べているわけではない。第二に、この立場は、科
学のCSとその研究対象である科学的実践との間の境界線を消滅させる。CSは、科学的実践がしばしば明
確化するテクストや発話を含めて、科学的実践についての解釈を提供する。しかし科学的実践は、過去の実
践を応用し、反復し、批判し、拡張することを通じて、すでに実践それ自体がそうした解釈に関わっている
。アーサー・ファインは次のように示唆している。
もし科学が公演であるならば、それは観客と団員とが同じように 出演するものである。解釈のため の指示も演技の一部である。これらのことの意味あるいはその目的についての疑問や憶測があれば、そのた めの場所も演出の中にある。そのうえ、台本は終わることなくいままでの対話がこれからの動作を束縛する こともない。このような公演は全体的な意味では理解も解釈も不可能で、それが進むにつれて局所的にそれ 自身の解釈が選び出される(19)。
かくてCSの解釈的な読みは、科学文化の一部であり、「外部」からの科学についての説明や解釈ではない
。「内部」と「外部」の境界線、中心と周縁の境界線は、それ自体が解釈的実践において常に問題となり、
既定のものではない。大切なことは、あらゆる解釈を等価に置かないことである。というのも、妥当で、重
要で、意義ある論点もあれば、そうではない論点もあるからである。換言すれば、このやり方で、いつ、ど
こでならば、どの解釈が有効かということ、それ自体が、なされつつある解釈における論点の一部なのであ
る。
ここで、先に著者が科学的実践の「開放性」と呼んだものが、極めて重要となる。かくて社会構成主義も
内在論的科学史・科学哲学も、真理の決定に適切なものは何か−−狭義に解釈された理性と証拠であれ、「
社会的要因」であれ−−を確定しようとする際に過ちをおかしている。科学上の主張の真理性の決定と、そ
の主張を真理主張−−理解可能で、重要で、(さまざまな)挙証責任を果たし、他の実践や主張とも適合す
る−−にする多様な考察とを分離することはできない。
CSは科学が価値中立である(あるいはそうあるべきである)かどうかに関する問題を同じく消滅させる
。価値中立性の問題をめぐる伝統的な論議は、実在論論争が《真理》を具象化するのと同様、《価値》概念
を具象化する。真理に関する問いは、意義、妥当性、理解可能性、挙証責任をめぐる多くの問いへと不可避
的に転移する。同様に、ロバート・プロクターが論じたように、価値中立性の問題は一つの問いではなく多
くの問いである(20)。そのため、プロクターの研究は科学のCSにとって重要な主題、つまり価値自由と
しての科学研究や科学知識の概念それ自体を歴史的・文化的に位置づけるという主題への道を切り開いた。
《価値自由》という語が有名なのは、マックス・ウェーバーの影響によることは明らかである。皮肉にも
プロクターが明らかにしたように、ウェーバーの主要な関心は、価値を影響力の強い科学から守ることでは
なく、その逆だった。ウェーバーによる価値自由(Wertfrei)の提唱は、科学主義に対する批判であった。
しかし別の重要な関心が、同じ標題のもとで明確にされてきた。価値自由という考え方は、人種的・民族的
科学というナチスのかけ声や、ソヴィエト共産党によるメンデル遺伝学の否定に抗して、科学研究の政治的
検閲に挑戦するために憶病に唱えられた(憶病というのは、価値自由という考え方は、科学が十分にかつ厳
密に価値自由でなければ、検閲に服さざるを得ないないことを示唆しているからである。)価値自由という
考え方は、同じく憶病に、ジェンダー、人種、国籍、政治的あるいは宗教的関係を根拠にした科学者の排除
に挑戦するために用いられてきた。「価値自由」という概念の全く異なる使い方は、純粋研究と応用研究と
の間に、あるいは基礎研究と「目的志向」研究との間に疑問の余地のある区別をもうけることであった。も
ちろん、もっともな基準にてらせば、研究内容が応用的ないしは目的志向的な科学者とその雇い主も、価値
自由という正当化概念を採用するのをためらわなかった。
価値自由は、科学と同様、自然にも帰せられる。ここでは、「脱魔術化された」宇宙−−秩序づけられた
宇宙を否定する−−という近代的概念と、生物学における生気論や目的論への批判に出会う。価値自由とし
ての自然という概念は、価値を正当化したり信頼を失わせるために科学研究をしばしば利用すること(例え
ば、社会生物学をめぐる論争)とは、真っ向から対立する。しかし、われわれの目的にとって重要なのは、
脱魔術化された自然とか、価値自由なものとしての科学といったさまざまな概念が、豊穣で矛盾した歴史を
持ち探求のための枠組みを持たないCSにとって重要な主題であるということである。
真理概念や価値概念をめぐるこのような論議は、科学のCSを特徴づける最後の論点に通じている。社会
学的構成主義者は、自分たちは科学知識が社会的に生産される様子を記述しているに過ぎないとしばしば主
張し、その一方で科学知識の認識論的・政治的価値をめぐる問いを括弧に入れていた。この点で彼らの研究
は、価値自由を科学的理想と想定する伝統に属している。これと対照的に、科学のCSは、それ自体の文化
的・政治的関与に対して強い反射的感覚を有しており、通常、認識論的あるいは政治的批判を回避しない。
科学のCSは、科学と科学のCSの両方で、当然にも規範的な問題が論点となっていることに気付いている
が、それらの問題がローカルにかつ反射的に発生しているとみなしている。政治的かつ認識論的に関与的で
ないことなどあり得ないのである。
エイズ研究において、挙証責任がどのように決定されるかに関する二つの事例は、著者の論点を具体的に
示し、科学のCSは科学自体の反射的実践と結局のところ連続しているという前述の主張を補強してくれる
だろう。パウラ・トライクラーやシンディ・パットンが述べているのだが、レトロウィルス学者たちは、エ
イズの臨床上の進展における詳細な役割や補助要因の存否についての知見が確立するずっと以前に、自分た
ちが単離したRNAの連鎖が「エイズウィルス」あるいは「エイズの原因」だと確信を持って公表した(21
)。現在の科学的雰囲気の中では、挙証責任は、生物学的現象に関する「マスター分子」解釈とケラーが呼
んだものの反対論者に主として課される−−レトロウィルス学者や「マスター分子」解釈の反対論者が自分
たちの主張のために必要とする証拠の種類と度合いは、彼らの間で相応に異なっている。同様に、エイズの
「アフリカ起源」という広く普及した科学上の議論は、歴史的・政治的な理由から、流行病に関する他の主
張の場合よりも緩やかな証拠基準に直面した。トライクラーの議論もパットンの議論もそれぞれ、科学上の
挙証責任がどのように配分されるのかについて無批判な記述でもなければ、科学上の論議の全面的な相対化
の一部でもない。逆に彼らは、挙証責任が歴史的にどのようにして構成されたかの解釈を通じて、挙証責任
がどのように課されるか、またその帰結について詳細な批判を提供している。彼らの議論は、科学上の主張
は科学外の理由のために否定さるべきだというのではなく、科学上の推論や関係のローカルなパターンは特
定の時点で再構築する必要がある、というものである。
このようなCSによって生み出される批判的立場は、「語りの怪物」の中に登場する認識論上の君主−−
科学知識を説明するための正しい説明要因を余すところなく把握しているということに基づいて、科学と文
化のために立法する−−ではない。むしろ、CSは、知識、権力、アイデンティティー、行為の可能性をめ
ぐって現在進行中の対立の中に位置づけられる。CSが持ち得る批判的考察や有効性が何であれ、それらは
認識論的な状況を形成する連合と対抗連合と著者が呼ぶものの間の共鳴や緊張への反応から帰結するにちが
いない。認識論的連合は、互いに補強し、採用し、拡張することによって知識を構成する実践、対象、共同
体から成る動的で異種雑多な集合である。CSは、既存の連合や対抗連合を、歴史的かつ地理的に再配置す
ることによって、強化し、変化させ、再構成しようとする反射的な試みである。
社会構成主義の規範的立場と科学のCSとの間の決定的な違いが、代表的な研究者によって簡潔に表現さ
れている。ピンチは次のように考える。「社会学者の仕事は、科学者の《生活世界》−−自然世界を利用可
能にする、当然のことと思われている実践や解釈−−に分け入り見直すことである」(22)。そうした「見
直し」の目標は、専門分野間の権威の関係を再編することにある。コリンズとイアーレイが言うように、「
SSK(科学知識の社会学)は、社会科学との関係で自然科学を弱めるために科学を用いようとする。……
われわれは、あらゆる文化的営為は、科学上の潜在力という点では等しいとされることを望んでいる(23)
。」こうした説明と、CSの展望についてのハラウェイの明確な表現を対比させるのは教訓的である。
フェニミストは、世界のよりよい説明に固執するに違いない−−全てについてラディカルな歴史的偶 然性や構成の仕方を示すだけでは十分ではない。……(そこで)「われわれの」問題は、あらゆる知識要 求や知識主体に関するラディカルな歴史的偶然性についての説明、意味を生み出すためのわれわれの「記 号論的技術」を再編するための批判的実践、そして、「実在の」世界についての誠実な説明に対する無意 味でない関与−−有限の自由、適切な物質的豊かさ、苦難と限定された幸福のうちにある謙虚な意味をめ ぐる地球規模のプロジェクトを部分的に共有し、友好的でもある関与−−、といったことをどのように同 時に行うべきかということである(24)。
社会構成主義と科学のCSの相違を論争的に言うなら、前者は自然科学が要求する文化的権威に敵対的であ るが、科学的実践には無批判である。CSは、このスタンスを逆転し、意味の形成という科学の実践に批判 的に関与することを通じて、世界に関して信頼に足る権威ある知識の構築に参加することを目指している。
(なりさだ かおる/広島大学総合科学部教授/科学史・科学論)
(あそぬま あきひろ/筑波大学大学研究センター助手/大学論・科学論)
(出典:Rouse, J., "What are cultural studies of science", in
Engaging Science: How to Understand Its Practices Philosophically,
Cornell University Press, 1996, Chpter 9, pp.237-259.)
(1)J・D・バナール(坂田昌一・星野芳郎・龍岡誠訳)『科学の社会的機能』勁草書房、一九八一年。
(2)M・ポランニイ(長尾史郎訳)『個人的知識−−脱批判哲学をめざして』ハーベスト社、一九八五年。
(3)Collins, H. & Yearley, S.,"Epistemological
Chicken", in Pickering, A., Science as Practice and Culture, Chicago
Uni. P., 1992, p.316.
(4)Cartwright, N., How the Laws of Physics Lie,
Clarendon, 1983, p.139.
(5)Collins, H. & Yearley, S.,"Journey into
Space", in Pickering(3), pp.382-83.
(6)Rouse, J., Engaging Science: How to Understand
Its Practices Philosophically, Cornell Uni. P., 1996, Chap.8.
(7)Woolger, S., Knowledge and Reflextivity: New
Frontiers in the Sociology of Knowledge, Sage, 1988.
(8)Traweek, S.,"Border Crossing: Narrative
Strategies in Science Studies and among Physicists in Tsukuba Science
City, Japan", in Pickering(3), p.430.
(9)Haraway, D., Primate Visions: Gender, Race, and
Nature in the World of Modern Science, Routledge, p.13.
(10)Galison, P., How Experiments End, Uni. of
Chicago P., 1987, Chaps.2-3.
(11)Rouse, J., Knowledge and Power: Toward a
Political Philosophy of Science, Cornell Uni. P., Chaps. 4 and 7.
(12)Latour, B., Science in Action, Harvard Uni.P.,
1987.
(13)Friedman, R. M., Approaching the Weather:
Vilhelm Bjerknes and theConstruction of a Modern Meteorology, Indiana
Uni.P., 1989.
(14)Traweek, S., Beamtimes and Lifetimes, Harvard
Uni.P., 1988.
(15)Haraway, D.,"The High Cost of Information in
Post-World War II Evolutionary Biology: Ergonomics, Semiotics, and
the Sociobiology of Communication Systems, Philosophical Forum, 13,
1981-82, pp.244-78.
(16)Keller, E.F., "Physics and the Emergence of
Molecular Biology", Journal of the History of Biology, 23, 1990,
pp.389-409; Secrets of Life, Secrets of Death: Essays on Laguage,
Gender, and Science, Routledge, 1992.
(17)Haraway, D., "The Promises of Monsters: A
Regenerative Politics for Inappropriate/d Others" in Grossberg,
Nelson, and Treichler, Cultural Studies, Routledge, 1992,
pp.295-337.
(18)Rouse, J., Engaging Science, Chap.7.
(19)A・ファイン(町田茂訳)『シェイキー・ゲーム−−アインシュタインと量子の世界』丸善、一九九
二年、二二八−九頁。
(20)Procter, R., Value-Free Science? Purity and
Power in Modern Knowledge, Harvard Uni. P., 1991.
(21)Patton, C., Inventing AIDS, Routledge,
1990.
(22)Pinch, T., Confronting Nature, D.Reidel, 1986,
p.19.
(23)Collins, H. & Yearley, S.,"Journey into
Space", in Pickering(3), p.383.
(24)Haraway, D., Simians, Cyborgs, and Women,
Routledge, p.187.
【解説】本稿の著者J・ラウズは、オバリーン・カレッジを卒業後、ノースウェスタン大学大学院で修士
号と博士号を取得した。現在はアメリカのウェズレー大学教授として、「社会における哲学と科学」プロ
グラムを担当している。一九五二年生まれというから、四十代半ばの中堅の科学哲学者である。ここに訳
出したのはラウズの最近著『関与する科学−−科学的実践を哲学的にいかに理解するか』Engaging
Science: How to Understand Its Practices Philosophically, Cornell
Uni. P., 1996の最終章である(南山大学
の横山輝雄氏は、出版されたばかりの本書の存在を訳者らにご教示下さった。ここに記して謝意を表する
しだいである。)
さて、ラウズは一九八七年の『知と権力−−科学の政治哲学へ向けて』Knowledge
and Power: Toward a Political Philosophy of Science, Cornell Uni.
P.の刊行によって、科学論−−科学哲学、科学史、
科学社会学を中心にした科学に関する学問的論議−−の世界に、若手の論客として颯爽と登場した。ラウ
ズは、この処女作で、T・クーンに代表される英米圏の科学論とM・ハイデガーやM・フーコーらのヨー
ロッパ大陸の科学論との架橋を試みた。
ラウズによれば、クーンの『科学革命の構造』の最大のメリットは、クーンが「実践としての科学」と
いう側面に着目したことにある。そしてラウズは「実践」をキーワードにして、クーンの科学論をハイデ
ガーの実践的解釈学と結びつける。とはいえ、ハイデガーを含めて、ヨーロッパ大陸の科学論が、科学研
究の実態や科学知識の内容に立ち入ることをせず、ややもすれば観念的な科学批判に終始している、とラ
ウズは指摘する。そしてラウズは、科学者の実践を通じて科学知識が生み出される小世界
としての科学
実験室に着目し、近年の科学史や科学社会学における研究成果を駆使して、科学知識はさまざまな制約条
件のもとで創出される「ローカル・ノレッジ」であると論じた。すなわち、通常、科学知識は、他の知識
形態とは違って、客観的・普遍的とみなされているが、そのような特権性はもたないとラウズは論じたの
である。
とはいえ、科学知識は技術に転化して巨大な物理的力
を発揮する−−われわれは、その恩恵と脅威の
両方をよく知っている。また、知識の創出と行使は、何らかの政治的権力を前提とし、またその権力関係
を維持強化する。ここで、ラウズは自らの科学論とフーコーの「知と権力」論を接合する。フーコーが『
監獄の誕生』で明らかにしたように、監獄はもとより、近代社会に不可欠とみなされている諸施設−−病
院、学校、工場等々−−は、権力関係を空間的配置に具現している。ラウズは、この論議を敷衍して、実
験室の空間的配置も、例えば教授と学生の権力関係を反映している、と論じた。
以上のような内容と構成をもった処女作を、『知と権力』と題し、「科学の政治哲学へ向けて」との副
題を付したのはまことに的確であったと言わねばなるまい。
そのラウズが約十年ぶりで世に問うたのが『関与する科学』である。副題に「科学的実践を哲学的にい
かに理解するか」とあるように、ラウズの科学論の中核に「実践としての科学」があることは変わらない。
むしろ、この十年の科学論の中心的な論点であった「反射性」概念−−ある対象に対して説明がなされた
場合、その説明自体に同じ説明パターンが適用されるべきだとする考え−−の吟味を通じて、ラウズは科
学者による実践と、科学論研究者による実践とを全く別のものとみるのではなく、連続したものと捉える
べきだとする地点に到達したかにみえる。
科学を実践として捉えるところから、科学の開放性や、実在世界への関与や現実社会への政治的関与な
ど、本稿でラウズが「科学のカルチュラル・スタディーズ(科学のCS)」として定式化しようと試みて
いる特徴の多くが帰結する、と訳者らは考える。また、一九八○年代の科学論をリードし、ラウズ自身も
(また訳者らも)強い影響を受けてきた、知識はさまざまな社会的プロセスを通じて構成されるとする社
会構成主義的科学論と科学のCSとの最も鋭い対立点もここにあるように思われる。(社会構成主義的科
学論については、拙稿「科学社会学の成立と展開−−客観主義的科学観から相対主義的科学観へ」『岩波
講座 現代思想10 科学論』一九九四年、三一五−三三六頁、参照。)
「科学の政治哲学」から「科学のCS」へのラウズの歩みをどう評価し、そこから何を汲み取るか。
そのこと自体、科学のCSであり、さらに言えば一つの科学的実践に他ならない。このような実践は、科
学と科学者について考え、論議を深めるために必要なステップの一つではないか、と訳者らは考えている
。本稿を訳出した所以である。(成定
薫)(追記:訳出にあたっては、紙幅の関係から、脚注は全て割
愛し、必要最小限と思われる文献注のみ掲げた。)