広島大学大学教育研究センター「1995年度研究員集会:拡散する大学ーー何が大学を統合するか」
における講演(1995.11.11)


消失する中心:学問中心地としての大学の現状

  私に与えられたタイトルは「消失する中心ーー学問中心地としての大学の現状」ですが、 これはセンターの方から「こういうテーマで研究員集会を開催するから、何か考えて発表し なさい」ということで承ったものです。なるほど、啓発的なタイトルですので、それに従っ て少し考えてきました。また、私は広島にいるものですから、センターの方々とこれまでに 2度ほど議論の場をもって、今日お配りしたようなレジュメにまとめました。レジュメにし たがって、1、2、3、4、と大きく四つに分けて考えていきたいと思います。

1.「拡散」の諸要因−−大学内外の環境変化
大学の沈滞−−大学紛争の後遺症

  1960年代の終わりから70年代の初めの大学紛争というものがあって、いろんなことが議 論されました。我が広島大学では、例えば私が現在勤務している総合科学部が創設されたり、 このミーティングを主催している大学教育研究センターができたというような具体的な改革 の成果があったわけですが、全体を見てみれば、大騒ぎしたほどには日本の大学は変わらな かった。
  大学紛争とは一体何だったんだろうか。未だによくわかりませんが、少なくとも、大学 紛争を通じて、大学人の定見のなさ、大学の虚学性が露わになったことは間違いありません。 率直にいって70年代、80年代と大学は紛争の後遺症に悩まされてきました。社会からは、大 学卒業資格をとりたいという高学歴化の要求の形では大学に対する期待はあったわけですけ れど、大学の教育の中身や研究の水準などは、極端にいえば、どうでもいいということだっ たのでしょう。大学に対する社会的なサポート、財政的なサポートは相対的にみて衰退する 一方でした。結果的には、研究の水準も教育の水準もおそらくは低下してしまったのだろう と考えられます。そのような事情が、80年代の終わりから90年代にかけて再び大学について いろいろな議論が沸き起こってきた背景にあったと思います。

情報化社会の進展

  大学自体がそういう風に沈滞していたのに対して、世の中はものすごく変わっていきま した。いろんな側面があるわけですけれども、大学に関連して言えば、情報化社会が進展し ました。具体的には10年程前からコンピューターが非常に身近な物になってきました。最近 のはやりの言葉で言えば「インターネット」が登場した。もちろん、われわれ大学関係者も その恩恵を蒙っているわけですけれども、情報化社会の進展の結果、大学関係者だけではな くて、多くの人々がこれまで以上に知識や情報にアクセスしやすくなった。これまで知識と か情報というものは、その多くが大学に蓄積されていて、特別な身分や資格などがなければ なかなかアクセスできないものだという風に漠然と思われていました。しかし、情報化社会 の進展を通じて、いろんな情報や知識が簡単に引き出せるようになった。どこにどんなもの があるか、大したものがあるか、大したものなどないのか、ということなどが分かるように なった。知識や情報が大衆化していった。
  さらに、コンピューターを使って知識を加工する、あるいは知識を生産するということ も従来よりはずっと容易になってきた。ワープロが非常に普及して一般の人も気軽に文章を 書いている。ある程度の出費を覚悟すれば、それを出版することもそんなに難しいことでは ない。いろんな資料やデータを使って論文や本を執筆し、それを多くの人達に読んでもらう ことが出来る。出版という形をとらなくてもコンピューター・ネットワークで流すことも出 来るわけです。多くの人が知識や情報を活用し、生産することさえも可能になってきたとい うことがあります。

大学以外のセクターの充実・発展

  それと関連して大学以外のセクターは、ここ20年ばかりの間に格段に充実し発展したわ けです。「産・官・学・民」という中山茂氏の図式を使えば、「産」すなわち企業研究所が 非常に充実した。数も増えたし、個々の研究所も充実した研究を可能にする態勢をつくった。 例えば「日立という会社は、年間4千億円の研究費を投入しているが、それに較べて大学は ……」という言い方がよくなされますが、企業研究所は豊富な研究資金と有力な人材を集め て研究活動を展開している。シンクタンクもある。
  「官」についていえば、国公立の研究所が着々と多くの研究成果を挙げてきた。私もち ょっとした縁で、通産省工業技術院傘下の電子技術総合研究所、昔の電気試験所ですけれど も、そこの百年史編纂事業に少し係わったことがありますが、この研究所は歴史的にも現在 も非常に画期的な成果を挙げている。それから、知識・情報に関して言えば官僚機構も独自 のシステムで膨大な情報、知識を蓄積している。
  そういうお金や権力を持った所だけでなくて、「民」の部分、すなわち、個人やジャー ナリズム(ジャーナリズムを「民」に入れていいかどうか分かりませんけれども)あるいは NGOと呼ばれるいろんな民間団体も先程申し上げた情報化社会の恩恵をフルに活用しなが ら、いろんな情報を巧みに使って、知識を生産し加工し流通させる力を蓄えている。

知的生産の場としての大学の優位性・特権性の終焉

  このように、大学以外のセクターの充実発展に比べて大学は相対的に沈滞を余儀無くさ れていたと、率直に認めざるをえないと思います。結果として、知的生産の場としての大学 の優位性あるいは大学人の特権性は、われわれが大学の内部にいて考える以上に終わりを告 げてしまったのではないか。大学人およびアカデミズムの権威失墜は、疑いようのない事実 としてあるのではないか、と思います。
  『神奈川大学評論』という雑誌がありますが、最近号(1995年 号)の特集は「知の場 の変容」となっています。いろいろな議論がありますが、先程申し上げたようなこと、すな わち知的世界における大学・大学人が占める役割の相対的低下を「知の場の変容」と表現す ることもできるでしょう。
  大学の機能、すなわち知識を生産し、加工し、後継世代に伝えていくという機能が大学 以外のセクターに拡散していったという事態が、ここ25年間、かなり顕著にみられたことで はないかと思います。異論があろうかとも思いますが「拡散する大学」というテーマに即し て議論をしました。

2.大綱化以降の変化−−合理化ないしは市場原理の導入

設置基準の大綱化と「国立大学貧窮化」キャンペーン

  さて、大学が沈滞し陥没していくだけではやはり困るわけで、80年代の終わりくらいか ら、例えば国立大学協会というようなところから、東大総長の有馬朗人氏などを中心にして、 「国立大学は非常に困難な状況のもとで研究教育を営んでいる、ずいぶんがんばっているが この状況がさらに10年も続くとわが国の研究教育水準は目を覆うばかりの惨状を呈するよう になるだろう」といった警鐘が鳴らされます(有馬朗人『大学貧乏物語』東京大学出版会, 1996など参照)。
  私は科学史の勉強をしていまして、パストゥールという19世紀のフランスの科学者の書 いたものを読んだことがあります。1870年代ですから今から120年も前になりますが、パスト ゥールは、東大総長の有馬さんと同じようなことを言って、フランス科学の現状を内部告発 のかたちで訴えています。「科学者には研究費がほとんどない。研究する場所もない。だか ら自分のポケットマネーで研究している。地下室のような所で研究しているので身体をこわ す」というようなことをパストゥールは切々と訴えているわけです(拙著『科学と社会のイ ンターフェイス』平凡社, 1994参照)。
  さて、1980年代、大学以外の所はバブル景気ということで酔い痴れていたわけですけれ ども、大学の中は惨憺たる状況だったわけです。この事態を週刊誌『アエラ』は「頭脳の棺 桶、国立大学」という衝撃的なタイトルで報道しました(1991年5月28日号)。研究費がな いので国立大学はこんなひどいことになっている、という内容です。『アエラ』には広島大 学のことも紹介されていました。廊下に実験装置を作っていたので非常に危険な状態だった。 また建物が新設できないので、旧国鉄から貨車を購入して書庫などに使っていた。広島大学 の場合は、西条キャンパスに統合移転したことによって状況が改善されましたが、国立大学 が全体として困窮に耐え切れずにキャンペーンに立ち上がったということでしょう。時期を 同じくしていたので、何らかの関連があったのでしょうが、文部省による大学政策にも大幅 な見直しが、具体的には設置基準の大綱化というかたちで、なされました。このようにして 90年代には大学をめぐる状況が大きく変化し始めました。

自己点検・自己評価

  設置基準の大綱化という文部省の大学政策の転換を通じてわれわれの身近ではどんなこ とが起こっているか。文部省当局はどのように考えているかは知りませんが、また大学の指 導的立場にある人々が、大綱化をどのように位置づけているか知りませんが、身近な面で言 えば、例えば自己点検、自己評価については、われわれ末端の教員の世界では、結局のとこ ろ業績至上主義、たくさん論文を書かないとリストラの対象になってしまう、という受け止 めかたがなされています。それは間違っているんだ、自己点検・自己評価はそういう趣旨で 行っているんではないんだ、と偉い人は言うのかもしれませんが、末端ではそういう風に受 け止められて、メリトクラシーが進行している。結果として、今起こりつつあるし将来起こ るであろうことは、研究者個々人および大学の階層化・序列化ということでしょう。このよ うなことは、これまでも実際にはあったわけですが、よりはっきりしたかたちで出てくるだ ろうと思われます。
  階層化・序列化というとネガティヴな表現ですが、ポジティヴに言えば個性化・多様化 ということになるでしょう。逆に言えば、個性化・多様化というのは、実際上、われわれの 実感としては階層化・序列化になっているわけです。その結果、私のような怠け者は、「大 学は住みにくくなったなー」というのが実感です。

教育と研究の分離

  また、大綱化以降の動きの中で、教育の重要性が指摘されるとともに、大学院の充実が 一方で言われています。教育は学部(学士課程)でやる、研究は大学院でやる。一見分かり やすいし、多くの有力な大学で、そのような方向で改組がなされつつあるし、広島大学も全 体としてそれを目指しているわけです。しかし、すでに市川昭午氏が指摘しているように、 大学院の規模を拡大したから大学における研究が直ぐに高度化するというものでもないと思 われます(市川昭午「大学院教育の展望」, 市川・喜多村共編『現代の大学院教育』玉川大 学出版部, 1995所収など参照)。とはいえ、研究の高度化を旗印に大学院の拡充が進められ ています。
  教育は学部で研究は大学院でということは、大学がこれまで建て前と掲げてきた「研究 と教育の一致」という理念を棚上げするということを意味します。教育は教育で研究は研究 でそれぞれ別個にしっかりやる。しかも、ある大学は研究中心の大学、ある大学は教育中心 の大学、ある大学人は教育中心、ある大学人は研究中心という具合に機能分化、分業が進め られつつある。そして、先に述べた業績至上主義やメリトクラシーとの関連で、多くの大学、 大学人が、できれば研究中心の側に立ちたい、教育だけをやる(やらされる)のは避けたい と考えている。
  自己点検・自己評価と研究の高度化、大学の機能分化という動きの中で、ぼんやりして いると結果的に研究条件が悪化してしまうのではないか、と末端の大学教員の間では危惧が 拡がっています。後でも議論したいと思っていますが、「研究と教育の一致」ということを 棚上げしてしまう、そういう建て前を廃棄してしまって機能分化するということが果たして うまくいくんだろうか、私個人は疑問に思っています。

教養部の解体

  もう一つ、大綱化以降起こっている動きで、これは組織的にはっきりしているのですが、 教養部が次々に廃止されつつあります。これは戦後の新制大学で一般教育とか教養という理 念が論議され、40年あまりやってきたわけですが、実りがないからやめようということを制 度的に認めたことになります。大綱化はそのようなこと(教養軽視)を意味していないと言 われるかもしれませんが、実際に大学の現場ではそのように理解されています。結果として、 学部の授業科目を下ろしてくる。2年生、できれば1年生に専門的な教育をしたい、専門性 のさらなる追求といえるかと思いますが、そういう雰囲気が大学全体を覆いつつある。その 結果、広島大学は統合移転をして真の総合大学、ユニヴァーシティへと向かう方向にあるの かというと、むしろ専門学部による専門教育重視というかけ声が強くなって、ユニヴァーシ ティというよりもマルチヴァーシティの様相を強めている。私のように教養教育を担当して いる総合科学部にいるものからみるとそのように見えてしまう。
  そういうわけで大綱化以降の大学内部の変化をマルチヴァーシティ化ということでまと めることができると思います。これは大学内部の分化=拡散ということになります。立場に よって大いに異論のあるところでしょうが、私のようなものにとっては、以上述べてきたよ うに映るわけです。

3.統合の契機をどこにもとめるか

大学の機能とイメージの変化−−「象牙の塔」から「ネットワークの結節点」へ

  以上述べてきたことをまとめれば、大学の機能が変化し、それに伴って大学に対するイ メージが変わった、ということになるでしょう。換言すれば、大学がこれまで追求してきた あるいは存在理由としてきたアカデミズムに自己満足していることが許されなくなってしま ったということです。19世紀のドイツ大学でいわれた「大学の孤独と自由」、あるいは「象 牙の塔」としての大学に、もはや大学人自身があまり魅力を感じていないし、社会からもそ んな大学は役に立たないと言われてしまいます。そこで、他のセクターとの連携に活路を見 出すということが研究費の面からも人材や情報の交流の面からも重視されていますし、私も それはそれで大切なことだと考えます。
  そして、他のセクターとの連携という面でみると、現在のあるいは近い将来の大学は、 前述の情報化社会との関連で言えば、ネットワークの結節点、あくまで一つの結節点として 機能する、役割を果たすということになるだろうと思います。多分同様のことを、昨日、横 尾先生が「知の横断的フォーラム」という言い方をなさったのだと私は理解しています。す なわち、大学の役割は多くの知的な世界と情報をやりとりするネットワークの中で重要なし かし一つの結節点としての役割を担うしかないのではないか、と考えます。

センター・オブ・エクセレンスの構築

  具体的にはどんな戦略というか方法があるかといいますと、一つはセンター・オブ・エ クセレンスという考え方があります。すなわち、全国的さらには国際的な対応として、大学 を代表するような卓越した研究拠点を構築しようとする動きが大学にあります。猪瀬博氏な どが中心になって議論がなされているわけですけれども(猪瀬博『センター・オブ・エクセ レンスの構築−−技術大国日本の課題』日経サイエンス, 1991)、これも研究費や人材の観 点からいえば「産」や「官」との連携を強めるという方向でいくしかないわけで、実際そう いう方向で事態は展開しているようにみえます。大学がネットワークの結節点としてビッグ・ プロジェクトの一翼を担うことによって、産や官との連携を強めながら卓越した研究拠点を 作っていくというやり方です。先端的な研究テーマに即した研究プロジェクトを企画立案し て、それに向けて大学内外の研究資源を集中してセンター・オブ・エクセレンスの構築を目 指す。これは、私などが指摘するまでもなく、すでに進行しつつある事態ですし、これに向 けてのインセンティヴというか、研究費の配分も含めて行政的な指導もあるわけですから、 どんどん進められていくでしょう。

「サービス科学」の拠点へ

  ネットワークの結節点ということで、私がもう一つイメージしているのは、中山茂氏の 概念ですが、「サービス科学」の拠点としての大学という道があるのではないでしょうか (中山茂『転換期の科学観』日本経済新聞社, 1980など参照)。すなわち、地域社会や一般 市民の大学に対する期待や要望を取り上げるチャネルを大学はこれまであまりもっていなか ったわけですが、今後これを積極的に取り上げていくという方向もあるのではないか、と思 います。例えば、環境問題とか、「ヒロシマ」に即して言えば平和問題とか軍縮問題とかを 大学で研究して欲しいと、素朴に一般市民の方々は思っておられると思いますが、そういう 期待を受けとめて、地域の公立研究所やNGOなどと協力して研究プロジェクトを組んで研 究していくということが必要ではないでしょうか。これまでは、情報のアクセスややりとり が物理的に困難だったかもしれませんし、大学のキャンパスが広島市内から離れて西条に移 転したことによって一層困難になったといわれるかもしれませんが、前述の情報化社会の進 展、インターネットが多くの人々によって利用されるという状況があれば、物理的な距離は それほど問題にはならない。そして、このような努力が、結果的に大きな成果を生み出せば、 全国的なあるいは国際的にも通用するセンター・オブ・エクセレンスという役割を果たすこ とになるかもしれないわけです。

拡散と統合の弁証法

  いずれにせよ、大学がネットワークの結節点としてセンター・オブ・エクセレンスの構 築あるいはサービス科学の探求ということに取り組むことは、ある意味で拡散を一層促すこ とになってしまうかもしれません。大学で蓄積された情報・知識や人材が外部に流れ出して 行くということもあるかもしれません。それはそれで仕方のないことでしょう。大学がネッ トワークの結節点として、外部との連携を強めていくことによって大学の知識や情報や人材 が流出することは仕方のないことです。しかし、それを通じて大学の新しい社会的役割が生 み出されるならば、結果的に統合の契機になるのではないか。ある大学にはこういう先端的 な研究をしている研究所=センター・オブ・エクセレンスがある。また、ある大学では市民 の要望を受けとめて、サービス科学を探求し、このような研究成果が生み出された。こうい うことが、大学統合の拠り所になるのではないでしょうか。

4.「生態学的多様性」の重要性−−統合は必要か?

シンボルの統合作用

  統合の契機をどこにもとめるかを考えたわけですが、なかなか統合は難しい。むしろ、 統合ということに関しては、時計塔や大きなホールを作るとか、何か大学全体のシンボルを 設けることぐらいが、安直なようですが、効果的のように思います。時間がたてばそのよう なシンボルが統合の契機として大きな役割を果たすようになる。たとえば、東京大学には安 田講堂があり広島大学には何とかタワーなり何とか講堂がある。そういうことでいいのでは ないかと思います。いたずらに統合を目指す必要はないと思います。

生態学的多様性の維持

  一方、現在進行している動きがあまり徹底してしまう、すなわち市場原理の導入という ことが徹底してしまうと、大学人および大学の組織の役割なり機能というのが明確に限定的 に決められてしまい、それに役立つものは大切にされるが、役立たないものは関係ないとさ れて切り捨てられてしまう。このようなことはある程度は必要なことだと思いますが、大学 が市場原理に過剰に適応してしまうと、将来起こるであろう環境変化に適応できないという ようなことになるかもしれません。生態学の分野で強調されることですが、さまざまな多様 性なり可能性なりを温存しておくことが、必要ではないかと考えるわけです。これは、私の ように何をやっているか分からないような人間が大学で居場所を見つけるためのレトリック という面もあるのですが……。
  例えば、大綱化以降、教養部を解体し、大学全体として教養教育を軽視する動きが見ら れたわけですが、オウム事件が起こって、にわかに「やっぱり教養が大切だ」ということが 言われ始めました。そういう議論自体、「教養」を感じさせないのですが、ともあれ、教養 軽視の動きに引き続いて教養再評価の動きが出てきたわけです。この事例にも見られるよう に、将来、大学をめぐって、どういうことが起こるか分からないわけで、大学は、組織とし ても個人としても、さまざまな可能性や余力を温存しておくべきだと思います。
  確かに「研究と教育の一致」ということは、言うは易く行うは難しです。また、教育は 学部で研究は大学院でと分担し、エリート大学と大衆化大学を種別化する方が研究教育上の 資源配分という観点からみれば能率がいいかもしれません。しかし、そのような機能分化は ある程度のところで留めて、これまで通り、矛盾や困難や緊張関係を抱え込んでやっていく 方が、短期的にはともかく、中長期的にみれば大学が生き延びていくためのより良い方策で はなかろうか、と私は生態学とのアナロジーで考えているわけです。


広島大学大学教育研究センター(編)『拡散する大学:何が大学を「統合」するか』 (高等教育研究叢書41)1996年10月、pp.25-32.

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