19世紀初頭のドイツにおける大学改革論議のなかで、アカデミック・フリーダム(学問の自由)という概念が確立した。アカデミック・フリーダムは、大学教師は(自らの知的関心にそくして)何を研究してもよく、その研究成果に基づいて何を講義してもよいという意味の「教授の自由」と、学生は(自らの知的関心にそくして)何をどこで誰から学ぶかを自由に決定できるという意味の「修学の自由」を含意していた。この二つの意味のアカデミック・フリーダムが、ドイツ大学の発展を促したと考えられている。一方、アカデミック・フリーダムが強調された結果、大学が一般社会から遊離し、「学問のための学問」を追求する「象牙の塔」になってしまったとの批判もなされてきた。
一方、20世紀末における冷戦終結に伴う経済社会のグローバリゼーションと、国家財政の緊縮に伴うニュー・パブリック・マネジメント(NPM)の進展は、大学にアカデミック・キャピタリズム(大学資本主義)を育みつつある。政府からの財政支援が減少する中で、大学が全体として、また学部・学科レベルで、さらには個々の教員レベルで、学生獲得、資金獲得に努めなければならなくなったからである。
大学の理念として両極端にあると思われる、アカデミック・フリーダムとアカデミック・キャピタリズムについて考えてみたい。
(資料1)
「学問の自由は、知的共同体として中世に成立した大学が、世俗権力および教会・宗教権力から次第に独立して、ある範囲内で自治権をもつに至る過程で確立された概念である。こんにちでは、日本国憲法第23条に「学問の自由は、これを保障する」とあるように、市民的権利の中でももっとも基本的な権利として認められており、学問研究の継承と発展に不可欠であると考えられている。しかし、大学の自治や学問の自由が現実には「ある範囲内」で保障されているにすぎないことは注意せねばならない。というのも近代国家にあっては大学・高等教育機関といえども政府・国家の周到な教育政策の枠と統制の中でその活動を許されているにすぎないという実状があるからである。学問研究の批判的機能との関連で学問の自由をめぐる論議が生じる所以である。
個々の学者・研究者における学問研究の自由に内実を与えるには、その身分・地位を適切に保護・保全する手だてがなければならない。終身雇用が慣行となっているわが国などとちがって、雇用関係が比較的不安定なアメリカの大学でも教員団体の長年の活動の結果、「在職権」(tenure)を有する教員の罷免にあたっては、「正当な法手続き」(due process)がとられねばならないことが確認されるようになった。
ガリレオが『天文対話(二つの世界体系についての対話)』(1632年)出版で異端審問にかけられ有罪に処せられたり、ダーウィンの『種の起原』(1859年)をめぐって、激越な論争が起こったことは学問研究の自由と一般社会における支配的な価値観のズレに起因する科学史上の悲喜劇であった。この二つの事例については、ガリレオやダーウィンの側に立って学問の自由を擁護する人も、とどまるところをしらない軍事科学研究や、われわれの人間観、生命観に深刻な衝撃を与えている生命科学・遺伝子工学の研究などについては研究の抑制を求めるかもしれない。じっさい後者については、この方面の科学者たち自身が研究の一時停止を呼びかけたことさえあったのである。」(成定薫「学問の自由」、『科学技術史事典』1983年)
アカデミック・キャピタリズム(大学資本主義)
(資料2)
「大学は国家が所有する稀少で価値の高い人的資本の貯蔵庫である。このような人的資本は,グローバルな経済競争に勝ち抜くために必要とされる高度な科学技術力の発展にとって必須のものであるという意味で価値がある。大学が所有する人的資本は,もちろん,学術スタッフに帰属している。かくて,特に価値があるのはアカデミックな資本であり,大学人がもっている特定の人的資本以外のなにものでもない。したがって,大学教員が自分のアカデミックな資本を生産に投入すると,彼らはアカデミック・キャピタリズムに関与している,ということになる。大学人の稀少で特殊な知識と技能は,個々の大学人,彼らが働いている公立大学,彼らと協力している企業,そして社会一般に利益をもたらす生産的な仕事に用いられる。専門的であると同時に実践的でもあるのがアカデミック・キャピタリズムなのである。
アカデミック・キャピタリズムは,大学や大学人に市場行動や市場類似行動をとらせる。市場類似行動とは,外部からの研究補助金や研究契約,遺贈基金,産学協力,教授が設立したスピンオフ企業に対する大学の投資,学生の授業料などさまざまな資金をめぐる大学組織と大学人の競争を意味する。大学組織と大学人が,こういった市場類似行動をとるのは,彼らが外部の資源提供者による競争に参加しているからである。大学組織と大学人が競争に勝てなかった場合は資源はない――無一文ということになる。市場行動とは,特許を獲得し,特許契約やライセンス契約を結ぶという活動,スピンオフ企業,大学周辺企業,産学連携など,それらが利益をもたらす場合,大学組織の側の利益追求行動を意味する。市場行動には,教育活動を通じての成果やサービス(例えば,大学のロゴマークやスポーツ施設の利用)の販売,食堂や書店からの利益配分といった日常的な活動が含まれる。高等教育の再構築について語る場合には,実際の組織変化(学科の縮小や廃止,別の学科の拡張や創設,学際的な部門の誕生)とそれに伴う資源の再配分を意味している――研究と教育に関する分業の実質的な変化,新しい組織形態(大学周辺企業やリサーチ・パーク)の誕生,古い管理体制を効率的に作り直して新しい管理体制を作るための組織。
本書は,アカデミック・キャピタリズムの登場を,以下の論点から跡づける――グローバルな市場の成長,大学人を応用研究に向かわせる国の政策の展開,高等教育に対する国からの支援手段としての一括補助金(従来の方式に応じて大学に付与される使途を定めない資金)の減少,これに伴って,大学人の市場に対する関与の増大,などである。」(S.スローター,L.L.レスリー)
----------------
(資料3)
「……訳者(成定)は21世紀の大学・高等教育を考える際の重要な概念としてアカデミック・キャピタリズムに着目してきた。
というのも,多くの事柄についていえることだが、アメリカ(あるいは広く欧米諸国)で起こっている現象が、何年か後に、そのままというわけではないにせよ、我が国でも起きるということをこれまでしばしば経験してきたからである。エリート・マス・ユニバーサルというM.トロウの発展段階説にみられるように、大学・高等教育についても、おおむねそのように言うことができよう。したがって、スローター、レスリー両氏が本書『アカデミック・キャピタリズム』で論じているように、1980年代を転換点として、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダでアカデミック・キャピタリズムと呼ぶべき現象が出現し、その結果、大学の組織や大学人の価値観や行動様式に不可逆の変化が生じているとするなら、我が国でもアカデミック・キャピタリズムの兆候とその影響がみてとれるのではないか、と考えられるわけである。
我が国の場合、大学・高等教育が、今日に続く「改革」へ向けて大きく転換するきっかけとなったのは、文部省(当時)による1991年の大学設置基準の大綱化であった。文部省は、高等教育予算を抑制しつつ、大学設置基準を緩和することによって個々の大学の自主性を引き出そうとしたとされる。このような大学政策転換の背景としては、我が国の国家財政の逼迫があり、さらに世界的な状況として,冷戦の終結とそれに伴う経済のグローバリゼーションがあったことは明らかである。このような背景ないし状況は,スローター、レスリー両氏が分析の対象としたアメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダと同様、我が国にも共通していたわけである。
さて、1991年の大学設置基準の大綱化に始まった我が国の大学政策の転換は,政策面での紆余曲折を経て,本年2004年の国立大学法人化へと至った。国立大学の法人化が,将来の民営化・私学化に至るかどうか現時点では定かではないが、我が国の大学史の大きな節目になることだけは間違いない。
この間、我が国の「大学改革」は18歳人口の急減という厳しい条件の中で、社会全体の「構造改革」の一環として押し進められた。その結果、我が国の大学と大学人は、生き残りをかけて学生獲得競争にしのぎを削り、学部・学科の再編に務め、科学研究費を含む外部資金の獲得を至上課題とするに至った。さらに、「21世紀COE」の採択件数が大学ランキングの重要な指標になったりした。このような我が国の大学と大学人の状況を一言で表現するとすれば、やはりアカデミック・キャピタリズムの進展と言うしかないのではなかろうか。(成定「訳者解説」)
大学理念の変容
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
課題
アカデミック・フリーダムを掲げることが時代錯誤であり、一方、アカデミック・キャピタリズムに突き進むことに躊躇するとすれば、それらに替わる第三の道(新しい大学理念)を提示することができるだろうか?
参考文献
(1) フィリップ・G・アルトバック(成定訳)「学問の自由――世界の現実と問題点」、広島大学高等教育研究センター編『構造改革時代における大学教員の人事政策――国際比較の視点から(COE研究シリーズ5)』2004年、pp.99-111.
(2)S.スローター,L.L.レスリー(成定訳)「アカデミック・キャピタリズム」、広島大学高等教育研究開発センター『高等教育システムにおけるガバナンスと組織の変容(COEシリーズ8)』2004年3月、pp.79-101.
(3) M.Gallagher, "The Emergence of Entrepreneurial Public Universities in Australia"(Paper Presented at the IMHE General Conference of the OECD Paris, September 2000)