ジェレミー・リフキン著(柴田裕之訳)『水素エコノミー エネルギー・ウェブの時代』NHK出版、2003年、pp.342+23。


 著者リフキンは、本書を通じて、石油に依拠した「石油エコノミー」に早く見切りをつけて「水素エコノミー」へ移行するよう提案している。というのも、第一に石油の生産は「早ければ2010年以前に、遅くとも2020年までにピーク(推定可採埋蔵量の約半分が生産されたときのこと)に達する」と考えられるからである(本書、p.23)。また、石油の最大の産地は中東であるが、そこは政治的にきわめて不安定な地域となっているからである(第5章「イスラム教という波乱の要素」)。さらに、化石燃料の大量消費に伴う二酸化炭素の放出が地球温暖化の原因となっており、これ以上の化石燃料の消費は地球環境の面からも限界にきているからである(第6章「世界の破綻」)。

 書名ともなっている「水素エコノミー」とは聞き慣れない言葉である。リフキンによれば、水素エコノミーとは水素エネルギーに依存する経済のことであり、水素エネルギーは燃料電池によって電気エネルギーとして利用することができる。そして、水素は「宇宙でもっとも軽く、あらゆる場所でもっとも頻繁に見られる元素だ。エネルギーとして利用されると「永遠の燃料」となる。この燃料は無尽蔵で、しかもひとつとして炭素原子を含んでいないので二酸化炭素をいっさい出さない。水素はどこにでもある。水中にも、化石燃料の中にも、あらゆる生き物の中にもある。だが、自然界では単独で存在することはめったにない。そこで、自然界の物から抽出しなければならない」(本書、p.17)。リフキンは、水素を抽出する方法として電気分解法を推奨し、「電気分解に使用する電力を、太陽光や風力、水力、地熱など、炭素を含まない再生可能エネルギーを使って生産」すれば、エネルギーの生産と消費を通じて二酸化炭素を排出することがなくなる、と論じる(p.250)。

 水素エコノミーは二酸化炭素を出さないだけでなく、発電のミクロ化・分散化を通じて、社会の民主化をもうながすとリフキンは言う。燃料電池は、従来の巨大な発電所とは違って、小型で消費地に設置可能であり、それらの燃料電池を相互に接続し制御することによって広い地域における電力の需要に応じることができる。ちょうど、インターネット(WWW)の構築が情報通信の民主化をうながしたように、水素エネルギー・ウェブ(HEW)の構築はエネルギーの民主化をうながし、ひいては「ボトムアップによる新しいグローバル化」(第9章)を可能にするというわけである。

 先の「湾岸戦争」(1991年)と「アフガン戦争」(2001年)、このたびの「イラク戦争」(2003年)は、直接のきっかけや理由づけはいろいろあったが、結局のところ、中東の石油をめぐる戦争だったことは明らかである。アメリカと日本を含むアメリカの同盟国は、中東の石油を必要としており、石油の安定供給に不都合な事態(イラクのクウェート侵攻)や反米的な政権(タリバン政権、フセイン政権)は、武力を行使してでも断固として除去する、という決意が三つの戦争で示されたわけである。このようなアメリカの帝国主義的戦略に対しては、イスラム原理主義の立場からの強い反発があり、実際、世界各地でテロが頻発している。21世紀は、石油をめぐる覇権争いと宗教=イデオロギーの対立が絡み合って、戦争とテロが続発する陰惨な時代になるのであろうか。実際、ここ数年はそのような様相を呈している。しかし、もし、本書におけるリフキンの提案が実現性のあるものとして受け入れられれば、世界の経済社会システムが根底から変革され、石油をめぐる政治的・軍事的対立は解消に向かうことになろう。そうなれば、21世紀はより安全で平和な世紀となるだろう。そのように考えれば、本書は、21世紀の運命・方向を左右するかもしれない重要なメッセージといえよう。(成定薫/広島大学総合科学部/科学史・科学論)


『日経サイエンス』2003年7月号、p.127.