日本工学教育協会第44回年次大会報告(於:広島、1996.7.25)

シンポジウム「工学教育の現状と評価」

科学技術立国論と理工系ばなれ

 先ほどご紹介いただきました広島大学の成定と申します。本日は「科学技術立国論と理工系ば なれ」というテーマでお話しさせていただきます。
 私、科学史などを勉強しておりますので、少し歴史的な視野というか展望から、科学技術立国 論ということを考え、また現在、話題になっている理工系ばなれの問題もあわせて考えてみたいと 思っております。
 我が国で明確な形で科学技術立国というようなことが言われ始めたのは、レジュメに書きまし た昭和55(1980)年版、『科学技術白書』でした。すなわち「科学技術の革新的な飛躍を図るために は、基礎科学の振興等科学技術発展の基礎を強化し、創造的な人材を育成することによって自主技 術開発力を高める必要があろう。自主技術開発によって我が国の特性に適合し国際協調にも資する 独創的な技術を開発し、経済発展の原動力とするとともに国際的なバーゲニングパワーとする『科 学技術立国』の推進が80年代には特に要請される」というわけです。それ以前に、日本は応用研究 中心で、欧米の基礎科学、基礎的な技術にただ乗りしているという批判が随分あちこちからありま した。外交的にも随分問題になっていた時期で、そういった批判にこたえる形で、科技庁は、1980 年の科学技術白書に科学技術立国ということを掲げて、国家的な方針にしたいということを訴えて いるわけです。
 こういった議論は、いきなり白書で出てきたわけではなくて、以前から何人かの論者が既に議 論していました。斉藤優氏の『技術立国論』という本があります。技術立国論というのを斉藤氏は 1980年以前から唱えていました。こういった議論が下敷きになって、先ほどの白書のような提言に なったわけです。斉藤氏は科学という言葉は特に使わなくて、技術立国と言うのですが、「(科学) 技術立国とは、科学技術の進歩が経済、政治、文化など広く国家発展の基礎となり、その成果を国 が平和で豊かなくらしができるように、さらに世界の平和と開発にも貢献できるように有効利用を 推進することを、国家発展の基本方針とするものである」と述べているわけです。こういった議論 が下敷きにあって、科技庁が昭和55年版の白書で科学技術立国ということを掲げたということがあ ります。
 思い返してみれば、1985年には、つくば万博といわれましたけれども、国際科学技術博覧会が 開催されましたが、これは今述べたように、科学技術立国論に基づく大きなイベントであったと歴 史的な視野の中から位置づけることができるんではないかと思います。
 そういうわけで、我が国では1980年代、あるいはそれ以前から科学技術立国論ということが国 の基本方針として打ち出されるようになってきたわけです。こういった議論は、私が勉強している 科学史の方でいうと、実は、ほぼ 100年ほど前から熱心に議論され始めていました。
 例えばということで挙げましたが、フランスの19世紀を代表する科学者のパストゥールという 人物とか、パストゥールと比べるとほとんど知られていない人物ですが、イギリスの化学者のゴア という人物などが、それぞれ1871年、1882年に、先ほど議論したような今日我が国で話題になって いる科学技術立国論とほぼ等しい内容の議論をしておりました。すなわち、パストゥールは1871年 に『フランス科学についての省察』という小冊子を刊行しています。、これは短いもので、しかも それは3つの小論から成っているものですけれども、科学技術立国というようなことを議論してい ます。
 簡単に中身を紹介しておきましょう。彼は1つ目の文章で――それは最初は「科学の予算」と 題されていたんですが、後に「実験室」というように改められました――の中で、自分たちフランスの科 学者は随分研究に精を出しているんだけれども、研究に充てるべき費用、今日的にいえば研究費は、 実は全く与えられていないんだと述べています。日本語でいえば1円もないということですが、フ ランスですから1フランもない。非常に困っているんだということですね。研究費がないだけでは なくて、実験に必要な実験室、設備も非常に劣悪である。科学アカデミーの会員となっているよう な非常に優秀で、著名な科学者が余りにも実験に精を出したために、実験室の環境が悪かったもの で病気になってしまった。危うく命を落としそうになったという実例を挙げています。研究費もな く、実験室も劣悪な環境のもとで我々は研究を強いられているということを、一種の内部告発の形 で訴えているわけです。この文章を発表した時点でパストゥールはフランスを代表する大科 学者になっていました。そのパストゥールが自分の経験、見聞の中で、フランスの科学は非常に困 難な状況にあるのだということを訴えているわけです。
 さらに、別の機会にした発言ですけれども、「自然科学教育における兼職の禁止」という文章も あります。これは奇妙な題ですが、パストゥールが言いたいことは、若手科学者の育成が19世紀後 半のフランスではなおざりにされているということです。若い人が自然科学の研究を目指そうとし ても将来展望がない。また、若い科学者を奨励し、立派な研究をするための手だて、さらには具体 的な施策が全くない。だから、非常に困難な状況にある。例えば、著名な科学者、研究者が、ただ でさえ少ない研究教育職を兼職してしまって、若い人のポストをふさいでしまっている。それが若 手科学者の夢を摘んでいるんだということをパストゥールは告発しているわけです。
 この「実験室」という文章とか「自然科学教育における兼職の禁止」という文章は、普仏戦争の 前の発言でした。この二つの文章は、主として時の文部大臣、あるいはその当時フランスの支配者 であったナポレオン3世に向けてフランスを代表する科学者の一人として直訴するという形で書か れたものですけれども、その後、普仏戦争が起こってフランスはあえなくプロイセンの軍門に下る わけです。非常な愛国者であったパストゥールは、敗戦の屈辱の中で、フランスは危機に瀕してい るのに、敗北して国難に遭っているのに、どうしてすぐれた人物、すなわち優秀な科学者を見出せ ないのかという、非常に熱烈な、愛国的な文章を書いています。
 19世紀の初め、フランスの科学は、ヨーロッパの、すなわち世界の最高をきわめていた。数学も含 めて19世紀の科学をリードしたのはフランスであったのに、現在はどうだろうか。プロイセ ンと戦争をして、あっけなく敗北してしまった。その原因をどこにもとめるべきだろうか。今世紀 を通じて、プロイセン(ドイツ)は大学に多大の研究投資をして大学を拡張し、多くの研究室を建 てて活発な研究活動を展開した。ドイツは分裂していましたけれども、分裂した諸国はそれぞれ立 派な大学をつくって研究を推進して、国力の充実に努めた。一方、フランスは政争に明け暮れ、科 学の教育研究の重要性を忘れてしまっていた。その結果、19世紀の初めには栄光に包まれていたフ ランスの科学が、今日、ドイツの後塵を拝するに至ってしまったんだ、というのがパストゥールの 分析です。これからの時代はこれまで以上に科学研究、科学教育は大切だということを訴えている わけです。
 『フランス科学についての省察』という文章は、そういうことで今からみれば、フランスを代表す る科学者が科学技術の重要性をある時は政府の要人に向けて、あるいは科学者たちに向けて奮 起を促す、注意を促すという形で書かれたもので、科学技術立国論のはしりとみることができるん ではないかと思います。
 比べてみると非常におもしろいんですけれども、ほぼ同時期にイギリスでも同じような議論があ ります。パストゥールと比べると、同時代的にも知られていないし、今日でもほとんど知られてい ない人物なのですが、化学者のゴアという人物がいまして、この人は1882年に『国家発展の科学的 基礎』という本を書いています。パストゥールはパストゥールで、フランスでは科学が、あるいは 科学技術がないがしろにされてきたことを内部告発的に批判しているわけですが、ゴアはゴアで、 イギリスでは科学技術が随分軽んじられていると嘆いています。確かに19世紀末の時点の、イギリ スは繁栄をきわめているけれども、そういう繁栄はいつまでも続くものではない。その徴候 は既にあちこちでみることができる。例えば重要な発明、発見にしても、工業製品の水準にしても、 次第にイギリスはヨーロッパ諸国に追いつかれ、ある分野では追い越されつつある。こういったこ との重要性をイギリスの識者たちは知らない。一般の人は全く気がついていない。こういう状況を ゴアは憂えて『国家発展の科学的基礎』という本を書いています。
 現状を告発した後、彼なりに考えて、こういう処方せんがあるんではないかと提案しています。 すなわち、国立の科学研究所をつくって科学研究の水準を早急に上げるべきだ。地方に科学技術の ためのカレッジをつくって、産業革命をさらに推進すべきだ。科学者に対してイギリスでも研究費 はほとんど支給されていなかったわけですけれども、研究費を積極的に支給して、科学者が安んじ て研究に専念できるようにすべきだ。ほかにも、学生たちに科学研究が大切だということを教える ような雰囲気をつくらねばならない云々というような改革案を出しています。全体として、研究基 金をつくって研究が大切だという雰囲気をつくり、また必要なところに基金をもっていくというよ うな努力がなされるべきだと論じています。このように19世紀の終わり、フランスのパストゥール、 イギリスのゴアという人物がそれぞれに自国の現状を憂えて、科学技術立国論を唱えていたわけで す。
 振り返ってみれば、そういった議論があったおかげで20世紀を通じて科学技術は非常に発展して、 今日の科学技術文明がつくり上げられたということになるわけです。ここで一挙に目を転じて1990 年代の日本にまた戻りましょう。
 ここ数年来、我々大学関係者、あるいは科学技術に関心をもつ者にとって注目すべき議論があり ました。先生方もお気づきだったし、ご関心がおありだったでしょう。いろいろなところでご発言 なさったかもしれません。すなわち東大総長をなさっておられた有馬先生たちが、あるいは国立大 学協会などが中心になって、「国立大学の危機」論が随分厳しい形で唱えました。
 私のように、科学史を勉強していてパストゥールの書いたものを読んでいるものの目でみると有 馬さんのお書きになった文章はパストゥールの文章と非常によく似ているのでまことに興味深い。19 世紀のフランスを代表するパストゥールがフランスの科学の現状を憂いて文章を書いた。20世紀の 末になって、東大総長で物理学者の有馬先生が国立大学の現状を憂いて『国立大学の危機』という 文章を書いて、警鐘を鳴らされた。非常によく似ているので興味深く拝読していたわけです。最近、 有馬先生がその文章を全部まとめられて、『大学貧乏物語』というような非常に面白い本にまとめ られましたが、発端となったのは、『IDE 現代の高等教育』という雑誌の1989年の10月号に書 かれた「国立大学の危機」という文章です。日本の国立大学は非常によく頑張っている、研究成果 も上がっている。しかし、先ほどのパストゥールの議論とも重なってくるわけですけれども、研究 費は非常に少ないし、設備も劣悪になってきている。89年の時点で日本の大学人、研究者はよく頑 張っているけれども、今のような研究費の状況、設備の劣悪な状況が続くと、10年後、20年後、30 年後、すなわち21世紀になると、日本の科学技術の地盤沈下は必然だということを憂えて警鐘を鳴 らされたわけです。
 その後も、有馬さんだけではなく、多くの大学人がいろいろなところで発言なさいました。これ はマスメディアも取り上げるところとなって、例えば週刊誌の『アエラ』は、先生方も読まれてそ れなりのご感想をおもちだと思いますけれども、「頭脳の棺桶 国立大学」という非常に衝撃的な タイトルで特集を組みました。
 それから、産経新聞なども、「理工教育を問う」というような連載記事を出しまして、理工教育 が非常に貧弱で、科学技術の将来が危ういというようなキャンペーンをやりました。
 さらに、NHKは、私が気づいた限りでいえば、「求む・若き頭脳――工学部研究室の危機」と いう番組を放映しました。これは東大の機械工学科を事例にとって天下の東大の工学部が後継者養 成という点で非常に危機的な状況にあるということを訴えた番組でした。それを1994年に放映して います。国立大学協会、例えば有馬さんの発言や運動がマスメディアを動かしていく。そして、週 刊誌やテレビや新聞がそれに呼応した形で議論をしていく。90年代になって、ようやく政府も 大学の状況をサポートするようになってきました。研究費も次第に増額されてきています。
 さて、科学技術基本法というのが昨年秋に制定されました。1980年ごろから科学技術立国論がう たわれたのですけれども、必ずしも内実が伴っていなかった。そして、国立大学にとっては非常に 危機的な状況が続いていたわけですけれども、有馬さんやマスコミの議論を通じてようやく新しい 体制が整った。科学技術が我が国にとって非常に重要だという認識が法律のレベルで確認されたと いうことになったと思います。
 科学史の立場からみるとおもしろい――おもしろいというとしかられるかもしれませんが――問題 がある。、つまり我が国では科学技術立国論が80年代からうたわれていたのに、どうして国立大学 の危機が進行してしまったのだろうかという問題です。あるいは、理工系離れというのも一時期随分 話題になりましたが、科学技術立国論があってどうして理工系離れが起こってしまったんだろうか ということが、おもしろいといえばおもしろいし、重要だといえば重要な問題だと思います。
 少し考えてみました。そこにおられる荒井さんらと、科学技術立国がいわれながらどうして国立 大学の危機が起こり、また理工系離れが起こったのだろうかとディスカッションしてみたわけです。 暫定的な一つの図式をつくりました。大学は専ら基礎研究をしている。工学の分野でも基礎的 な分野を研究している。それに対して、70年代の終わりから80年代にかけて、政府が科学技術立国 路線のもとで主としててこ入れをしていたのは国立研究所の方ではなかったか。少なくとも予算的 にみればそうだということですね。これは有馬さんなどが非常に強調しているところですけれども、 大型プロジェクトがわかりやすいし、世論にも訴えやすい、政治的な課題としても取り組みやすいという ことがあったのかもしれませんけれども、大型プロジェクトが打ち上げられて、それを推進する国 立研究所に主として予算的な措置がとられた。
 全体としては、国家予算が随分膨大な赤字を抱えていましたから、マイナスシーリングというこ とで総枠を抑えられていた。その総枠の中で大学の研究費が抑えられて、国立研究所の方に、大型 プロジェクトの方に主としてお金が回っていた。それが国立大学の危機といわれる状況を招いた原 因ではないか、背景ではないか。これは有馬さんなども指摘されているところです。
 それから、もう一つの背景としては、80年代を通じて我が国の経済は未曾有の発展を遂げた。好 景気だったわけですね。バブル経済ということになるわけですけれども、産業界は好況を呈してい たわけです。それを背景にして民間の研究所、企業の研究所は非常な発展を遂げていたわけです。 膨大な研究資金を費やして次々に設備を更新して、優秀な人材をかき集めて、民間の研究所は非常 に躍進した。もちろん応用開発研究が中心なわけですけれども。その結果、大学は相対的に魅力に 乏しいものになってしまった。若い人からみて、研究費の面でも設備の面でも、あるいは将来展望 の面でみても、大学は非常に魅力の乏しいものになってしまった。
 そこで、先ほども紹介しました工学部研究室、特にドクターコースの学生、博士課程で研究の後 継者となるべき人材が少なくなってしまった。大学側からみれば、国立研究所にお金が流れ、ある いは産業界が非常に好景気だったために、そこの研究所が非常に潤っていた。相対的にみて、大学 はじり貧を余儀なくされてしまった。これが、我が国全体としては科学技術立国論がいわれていた のに、国立大学の危機といわれる状況になってしまった背景ではないかというように思います。ご 異論のあろう方おられると思うのですが、後ほどご指摘いただければと思います。
 それから、理工系離れという問題ですけれども、これもバブル景気のときにも随分話題になりま した。せっかく理学部、工学部を出たのに、製造業や専門性を生かせる分野ではなくて銀行、金融 業に進むなどということも指摘されました。あるいは受験生が理工系の学部を避けて、法学部や文 学部、経済学に流れるということがいわれました。受験生の動向などから、理工系離れを確認する ことは統計的にもなかなか難しいわけですけれども、我が国の社会全体、特に若い世代に科学技術 についてのイメージが必ずしも明るいものではないということはかなりはっきりしていると思い ます。私などの世代は、1960年代の科学技術ブームの中で成長した世代ですので違うわけですけれ ども、最近の若い人は、科学技術というと面倒くさいもの、面倒くさい割には報われないものだと いう印象を強くもっています。
 これは、それ自体けしからんといってみても始まらないわけで、実際そういうところがあるのだ と思います。この問題に関して非常におもしろい議論をされている方がおられまして、小林信一さんと いう方が、スペインの哲学者のオルテガという人の議論を援用する形で、「文明社会の野蛮人」と いうような議論をなさっています。現代の日本の若者たちは、文明社会の野蛮人というような位置 づけができるんではないかということですね。おもしろい議論だから紹介しますが、次のようなこ とらしいんです。科学技術が高度に発展した世界に生まれた者は、科学技術の成果をあたかも自然 物のように享受し、それを生み出す科学技術活動に対する自覚が減退し、そのため科学技術活動を 志向する者、志望する者が減少する。その結果、技術文明の基盤である科学技術活動そのものが衰 退し、やがては技術文明自体が衰退に向かう。
 技術文明が衰退に向かうかどうかわりませんけれども、少なくとも若い世代が科学技術の成果を 享受するというか、それを受け入れて楽しむことは存分にやっているわけですけれども、それをつ くり出すということに余り関心をもたない。これは、かなりはっきりしています。現代の若い世代 は、文明は享受するけれども文明をつくり出すことに関心を向けないということで文明社会の野蛮 人と言えるのではないかと小林さんは指摘しているわけですが、一種の先進国病ともいえるかと思 います。
 オルテガという人がそういうことをいったのは、1920年代、1930年代のヨーロッパの状況を踏ま えてのことですけれども、1980年代、1990年代の日本でもそういう徴候があるわけです。一方、先 ほどいいましたように、去年、政府が科学技術基本法を制定して、1980年以来の科学技術立国路線 をさらに推進することを決めたわけです。しかし、現代の若者の中には、これに反して理科離れと いう現象が浸透しております。この科学技術離れという徴候はかなり文明論的な動きですので、必 ずしも基本法ができたから、国立大学にてこ入れをしたから、科学研究費を少しふやしたから回避 できるものではないと思います。工学教育というようなことを文明論的な視野で考えて、若い人 にとって科学技術、工学の分野が魅力的で、自分の将来をかけるに足るものだというような議論な り、意味なりを与えるような施策をどのように進めていくかということが、ここにお集ま りの先生方にとって大切なことではないかと思います。
時間がちょっと過ぎてしまいましたが、これで終わります。どうもありがとうございました(拍 手)。

『工学教育』1997年1月号, pp.33-37.

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