アカデミック・キャピタリズムの進展

――知と学問の体制変換――


 経済のグローバル化と情報化および冷戦体制の崩壊という1980年代に始まり世紀を越えて現在に至る急激な政治経済社会の変化は、従来は一般社会から一定程度隔離されているかに見えた大学・高等教育の世界も巻き込んだ。大学・高等教育は大きな変貌をとげつつあり、知と学問のあり方も変容しつつある。アカデミック・キャピタリズムの進展であり、知と学問の公的体制からアカデミック・キャピタリズム的体制への変換である。

アカデミック・キャピタリズム

 1980年代以降、アメリカ、イギリスをはじめ欧米諸国で採用され、わが国も踏襲している新自由主義と呼ばれる経済政策の中で、グローバルな市場における競争に勝ち抜くことを目的として、規制緩和を通じての国家機能の民営化、市場化が進められた。従来、国家政府の役割と考えられてきた部門に企業的経営手法が導入されるようになった(ニュー・パブリック・マネジメントの採用)。大学・高等教育についても、市場原理・競争原理の適用が強調され、大学における研究・教育の内容と経済社会のニーズとの適合性が求められるようになった。その結果、大学・高等教育に対する公的資金投入が抑制されるとともに、競争的な資金配分へのシフトが生じた。わが国の大学・高等教育政策にそくして言えば、1991年の大学設置基準の大綱化(規制緩和)、2004年の国立大学法人化(ニュー・パブリック・マネジメントか)、研究費に占める競争的資金(科学研究費補助金など)の比重増大などが該当するだろう。

 アメリカの高等教育研究者、スローターとレスリーは、1980年代以降、大学・高等教育で生じつつある動きを「アカデミック・キャピタリズム(大学資本主義)」と呼んだ。

 

 資源を維持拡大するために,大学教員は外部資金をめぐって競争せねばならなくなった。外部資金は,応用研究,営利研究,戦略研究,目的志向研究などさまざまに呼ばれる市場関連の研究と結びついており,研究補助金,研究契約,サービス契約,産業界や政府との協力,技術移転,高い授業料を払ってくれる多くの学生,というかたちで提供される。大学および大学教員の,外部資金を獲得しようとする市場努力ないし擬似市場努力をアカデミック・キャピタリズム(大学資本主義)と呼ぶことにする(1)。

 

 かつて大学は、自らを「真理探究の場」と定義し(いわゆる「フンボルト理念」)、それを可能にする「学問の自由」を主張した(2)。その結果、大学は一般社会から「象牙の塔」と揶揄されてもきたが、今や大学は資金獲得競争の場となりつつある、というわけである。当然にも、大学および大学人は「資本家」として市場原理にそくして行動せねばならない。再び、スローターとレスリーによれば、

 

 アカデミック・キャピタリズムは,大学や大学人に市場行動や擬似市場行動をとらせる。擬似市場行動とは,外部からの研究補助金や研究契約,遺贈基金,産学協力,教授が設立したスピンオフ企業に対する大学の投資,学生の授業料などさまざまな資金をめぐる大学組織と大学人の競争を意味する。大学組織と大学人が,こういった擬似市場行動をとるのは,彼らが外部の資源提供者による競争に参加しているからである。大学組織と大学人が競争に勝てなかった場合には資源はない――無一文ということになる。市場行動とは,特許を獲得し,特許契約やライセンス契約を結ぶという活動,スピンオフ企業,大学周辺企業,産学連携など,それらが利益をもたらす場合,大学組織の側の利益追求行動を意味する。市場行動には,教育活動を通じての成果やサービス(例えば,大学のロゴマークやスポーツ施設の利用)の販売,食堂や書店からの利益配分といった日常的な活動が含まれる(3)。

 

 上記の記述は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダの大学・高等教育――主として公立研究大学――に対する分析を踏まえてなされたものだが、わが国の大学についても、ほぼ同様の状況がみられることはわれわれ大学人のよく知るところであり、2004年の国立大学の法人化によって、この傾向に拍車がかかった。

 わが国固有の要因でもある18歳人口の減少や少子化問題もあって、国立大学を含めて日本の大学は、受験生=学生獲得のために、さまざまな工夫――学部・学科の再編から、入試時期や入試科目の見直しまで――を講じてきた。また、科研費など外部資金の獲得が奨励され、21世紀COEの獲得結果に大学幹部が一喜一憂するという状況もあった。新聞社や雑誌社などさまざまなメディアが実施する大学ランキングは、企業における株式価格のような機能を果たし、大学はその上下に過敏に反応せざるをえない。このような状況は、過去にもなかったわけではないが、わが国の場合、1980年代以降、顕著にあるいはあからさまになってきたといえよう。わが国についてもアカデミック・キャピタリズムの進展は明白である。

 

知と学問の体制変換

 スローターとレスリーによる『アカデミック・キャピタリズム――政治,政策,企業的大学』刊行後7年を経て、スローターとローズは、続編とも言うべき『アカデミック・キャピタリズムとニュー・エコノミー――市場,国家,高等教育』を刊行した(4)。スローターとローズは、アカデミック・キャピタリズムの進展の結果、知と学問の体制が変化しつつあると論ずる。すなわち、「知と学問の公的体制(public good knowledge/learning regime)」から「知と学問のアカデミック・キャピタリズム的体制(academic capitalist knowledge/learning regime)」への変換が生じつつあるというのである。

 知と学問の公的体制は、遠くはフンボルト理念に淵源する伝統的な知識観・学問観を前提とし、知識を市民が求める公共財とみなす。知と学問の公的体制のもとでは、マートン流のノルム、すなわち知の公有制、普遍性、知の自由な流通、系統的懐疑主義が機能していると想定される(4)。知と学問の公的体制は、学問の自由を尊重する。研究者の知的関心に応じて研究テーマが設定され、その成果が学会で報告され、学生に教授される。主として大学でなされる先端的・基礎的な研究の中から、新しい知識の発見が生じ、その知識は思いがけないかたちで公共的利益をもたらす(場合がある)。基礎科学における発見は常に開発・応用研究に先立っている。開発・応用研究は政府や企業の研究所で行われる。知と学問の公的体制モデルは、大学と大学以外の研究所との役割分担、および公的部門と私的部門の間の分離が比較的明確であると想定している。

 もちろん、知と学問の公的体制が純粋なかたちで実現した時代や社会はない。早くも19世紀後半には、科学とナショナリズムが結びつき始めたし(フランスの科学者パストゥールの有名な言葉「科学に国境はないが、科学者には国籍がある」)、20世紀初頭、フンボルト理念発祥の地ドイツでは、大学とは別にカイザー・ヴィルヘルム研究所が作られて、国策に沿った研究開発が強力に推進された。一方、新興国アメリカでは第一次大戦後、巨万の富を得た資本家の寄付による研究所が設立されて今日の科学技術大国アメリカの基礎が作られた。第二次大戦中、各国で科学者が戦時研究に動員され、例えば原爆開発計画(マンハッタン・プロジェクト)に携わったことはよく知られている。第二次大戦後も、冷戦の開始とともに、軍事研究に多くの人材と資源が投入された。多くの科学的・技術的研究は大量破壊兵器のための国防予算に依存していたことになる。そのため、多くの科学的・技術的研究が機密扱いにされたし、マッカーシズムのような運動によって、学問の自由がないがしろにされたこともある。しかし、少なくとも大学においては、理念あるいは建前として、知と学問の公的体制が人々の行動を律してきたといえるだろう。

 しかし、1980年代以降のアカデミック・キャピタリズムの進展の結果、知と学問の公的体制が、急速に、知と学問のアカデミック・キャピタリズム的体制に取って代わられつつある、とスローターとローズは指摘している。

 知と学問のアカデミック・キャピタリズム的体制のもとでは、知識の私有化と利益の獲得に重きがおかれる。その結果、公共の利益(福祉)よりも資金を提供した企業、研究を請け負った機関(大学)、発明に寄与した教員の利益が優先される。情報化社会あるいは知識基盤社会とも呼ばれ、スローターとローズが「ニュー・エコノミー」と呼ぶ今日の経済社会にあっては、知識は私有財産とみなされ、グローバルな市場を流通する中で利益を産み出すハイテク製品の流れを作り出すことで評価されるからである。多くの場合、教授たちは発見を大学に開示することが義務づけられており、発見をどのように使用すべきかの決定権は大学(および資金提供者である企業)が持っている。知と学問のアカデミック・キャピタリズム的体制のもとでは、科学研究と商業活動との違いはほとんど認められない。発見は、知識社会に役立つハイテク製品を産み出すから価値があるとされる。

 当然ながら、知と学問のアカデミック・キャピタリズム的体制には多くの問題点がある。経済成長の利益は人々に常に等しく配分されるわけではない。知識を私有財産として取り扱うことは、知識の多くを近づきがたいものにし、発見や技術革新を制約するだろう。教員に学問の自由を認めず、決定権を大学に与えることになる。「役に立つ基礎科学や基礎技術」という考え方は、研究と教育を狭いものにし、公共の利益と馴染まないものとする。総じて、知と学問のアカデミック・キャピタリズム的な体制は大学・高等教育に対する公的支援の根拠を危うくする。

 現時点で、知と学問のアカデミック・キャピタリズム的な体制が公的な体制に取って代わったわけではない。二つの体制は、共存し、交差し、互いに補完している場合もある。例えば、知と学問のアカデミック・キャピタリズム的体制の中で、最も重視される外部資金の獲得は、大学人にとってきわめて重要な課題にはなったものの、知と学問の公的体制で重視されてきた研究上の威信(専門学会での名声)に取って代わったわけではない。実情からいえば、二つの体制が共存していることによって、大学および大学人は二重の課題と責任を負わされているといえよう。個々の大学は、置かれている環境と設立以来蓄積してきた資源に応じて、また、大学人は、自らの専門分野や学問観・大学観に応じて、二つの体制のいずれかに重心を置きながら、日々の研究・教育活動に従事せざるを得ない。難しい時代になったわけだが、大学・高等教育が存続していくためには越えねばならない試練であろう。

 

(1) Slaughter, S. and Larry L. L, Academic Capitalism: Politics, Policies, and the Entrepreneurial University, The Johns Hopkins University Press, 1997(S.スローター,L.L.レスリー著『アカデミック・キャピタリズム――政治,政策,企業的大学』。筆者は、この書物の第1章を邦訳した。広島大学高等教育研究開発センター『高等教育システムにおけるガバナンスと組織の変容(COEシリーズ8)』2004年3月、pp.79-101参照。引用箇所は84頁。)

(2) アルトバック, P. (成定訳)「学問の自由――世界の現実と問題点」広島大学高等教育研究センター編『構造改革時代における大学教員の人事政策――国際比較の視点から(COE研究シリーズ5)』2004年、pp.99-111.参照。

(3) 註(1)86-87頁。

(4) Slaughter, S. and Rhoades, G. Academic Capitalism and the New Economy: Markets, State, and Higher Education, The Johns Hopkins U.P., 2004.(S.スローター、G.ローズ『アカデミック・キャピタリズムとニュー・エコノミー――市場,国家,高等教育』、邦訳中)

(5)有本章『マートン科学社会学の研究』福村出版、1987年。


21世紀COEプログラム「21世紀型高等教育システム構築と質的保証」最終報告書、第1部上、pp.49-52.