シンポジウム趣意書

「中・近世期の海港都市と海域世界のネットワーク

                               −海・都市・宗教−」





2007年度シンポジウム準備委員会
 近年の歴史学研究の動向を振り返って見る時、いわゆるグローバル・ヒストリと総称される 一連の研究があらわれ、着実にその成果をあげつつあることが注目に値する。ヨーロッパ史研究を 例に取ってみても、一九八〇年代以降に従来の市民革命・産業革命研究の研究手法を批判する形で 世界システム論などがあらわれ、今ではそれらを媒介としつつ、広域としてのアジア史研究が 着実に成果をあげ、ヨーロッパとアジアの広域地域間比較史の方向へと向かいつつある。  グローバル・ヒストリは、それまでの一国史観や進歩史観に問題を投げかけるかたちで発展して きたが、大きく分けて二つの方向性があるといってよいであろう。一つはウォーラーステインに 代表される世界システム論のように単一の中心を持つ近代世界システムを問題にするものと、 そうした研究のヨーロッパ中心主義的な性格を批判し、システムの中心のあり方や統合作用よりも、 たとえばアジア海域のような広域地域間のネットワークの共時的なメカニズムを問題とするもの である。本シンポジウムでは、後者の問題意識に基づきながら、中・近世期における海域世界の ネットワークについて、主に四つの論点を提示してみたい。  まず海域世界のネットワークについて、広域性の次元で比較検討を行う。それによって人為的な 境界である国境など様々な境界を超えて港町を結びつける広域性のネットワークを明らかに しながら、海域世界を構成する異なる国家領域を同時に視野に入れることも可能となるのである。 これは単なる海上貿易史ではなく、「海から見た歴史」を追求するものでもある。すなわち 商品流通だけでなく、諸システムを媒介する海域商人層の移動、海域内の諸文明の関係性などを 検討しながら広域地域間の連関メカニズムを明らかにすることを目的としており、こうした研究の 注目すべき成果の一つがアジア海域世界を巡るものであった。一六〜一七世紀のアジア海域に おける既存の交易・金融ネットワークは活力があり非常に強固なものであったため、海外進出して きたヨーロッパ商人や金融資本家といえども、そのネットワークに乗らなければ活動できなかった のである。本シンポジウムでは、こうした研究成果を踏まえながらアジア海域ネットワーク、 さらに比較の対象として地中海域ネットワークを検討することにしたい。  第二に海域世界のネットワークの拠点としての性格を有する海港都市の形成・発展の問題 について検討する。いわば局地性の次元での議論と言ってよいであろう。ここで対象とする 海港都市は豊後大友氏の豊後府内、古琉球の那覇、東地中海沿岸に位置するアレクサンドリア である。ヒト、物、情報が行き来する「海港」としての性格が、都市の政治・社会構造の編成に いかなる影響を及ぼしたのだろうか。さらに外来者・外国人の海港都市内での存在様式 (=海港都市の開放性と閉鎖性)の問題も重要である。そこには内陸都市には見られない特徴を 見いだせるのか興味深いところである。  とすれば海港都市のこうしたコスモポリタンな性格が、地方権力や国家権力との関係性を いかに規定することになったのであろうか。これが第三の論点である。海域ネットワークは、相手に 対する独占的・排他的な関係ではまず成り立たない。つまり、その基本原則は「関係」を共有・相互 利用することであり、相互共存と相互補完を前提としている。しかしながら、この点をあまり強調 しすぎると、支配―隷属関係を含む内陸部の政治社会構造や陸上のネットワークの問題を周縁に 追いやってしまう危険性が生じてこよう。したがって、今後は海域と陸域の総合的な考察が必要と なってくるが、もとよりこうした課題は本シンポジウムで論じきれるものではない。まずは中世から 近世への転換点に注目することにより、その糸口を引き出してみたい。  第四に海港都市における宗教・信仰の役割についての検討を論点として提示したい。近年、 宗教上の寛容と不寛容が生成し展開する歴史過程に関する注目すべき研究成果が公表されている。 海港都市はコスモポリタンな性格を持つ以上、ある程度まで多宗教社会とならざるをえないことから して、このテーマの恰好の研究素材となりえるのである。問題は海港都市内部で宗教的寛容と 不寛容がいかに認識されていたのか、また相互共存・相互補完のあり方の実態解明を行うことで あろう。本シンポジウムでは、豊後大友氏の豊後府内における宗教的多様性(唐人町の華僑社会の 信仰、キリスト教信仰)、古琉球の那覇における土着信仰と外来宗教の関係、アレクサンドリア における「ジンミー」(dhimmi)(キリスト教徒とユダヤ教徒)の存在形態を取り上げながら、宗教的 寛容概念の比較検討を試みてみたい。  本シンポジウムでは、この四つの論点を検討するために、三つの報告を用意した。鹿毛敏夫氏は 「戦国大名領国の国際性と海洋性」と題して報告を行う。十五世紀はじめの応永年間、瀬戸内海に 「荷足千五百石」の大型守護大名船が就航して物資を輸送した。十六世紀には、大内氏・大友氏・ 相良氏等、西日本の大名権力が東シナ海の外洋航路に船を就航させ、活発な対外交易を行っている。 また、日本の中世都市には、博多・草戸千軒・豊後府内等、地理的に川の河口に栄えたものが 少なくない。こうした海港都市には大陸からの技術者が渡来・居住し、その専門能力を活かして 社会的地位を確立するとともに、在来日本人との血縁関係を深めながら日本社会に同化していった。 鹿毛氏は、どちらかというと土地(陸)との関わりを中心に考察されてきたのが日本の大名領国の 研究史であるが、「封建制」概念では把握しきれないこうした事象は、「海」及び「国際秩序」の 視点で考察する必要があることを指摘する。  上里隆史氏は「一五〜一七世紀における琉球那覇の海港都市と宗教」と題して報告を行う。 一五〜一七世紀の琉球王国の海港都市・那覇は交易国家の拠点として繁栄し、海域アジア世界から 様々な外来勢力が渡来し居留地を形成した。日本人や華人らは那覇に天妃宮・神社・禅宗寺院などの 宗教施設を建設し、やがてそれらは相互に影響し合い、土着信仰と融合するかたちで「琉球化」して いった。那覇は琉球随一の海港都市であり、ここを拠点として外来宗教・文化が琉球周辺地域に 波及し、琉球王府の儀礼にも影響を与えていったことを明らかにする。  堀井優氏は「近世初頭の東地中海−オスマン帝国とエジプト海港社会−」と題して報告を行う。 東地中海(レヴァント)は、三大陸をつなぐ東西交通の要衝として、またイスラーム勢力圏・ ヨーロッパ商業圏の大規模な接触の場として特徴づけられる。一六世紀のオスマン帝国の勢力拡大は、 エジプトの海港都市アレクサンドリアに大きな構造変容をもたらした。海港社会の内陸拡大、 多様化と複雑化、多宗教・多文化的な性格の強まりは、オスマン帝国の主導による広域的な秩序 形成の過程を反映し、それゆえ近世東地中海の全体的特徴の一端を示すと思われるのである。  広島史学研究会大会シンポジウムで、「海域世界のネットワーク」について本格的な議論を 行うのは初めての試みであり、会員諸氏の活発なる議論を期待するところである。