<狂い>と信仰
出版社:PHP新書081 価格:693円

 宗教をめぐる視点は今まさに混乱の極致である。暴力性が見られる新興宗教は、厳しく指弾されてしかるべきだが、一方でそうした闇の部分を「邪教」と決め付けるような概成の宗教は、文字通り毒にも薬にもならず、われわれの深部には届いてこない。その中で宗教はいかなる可能性が残されているのか。
 本書は、宗教の本質とは苦悩にあり、「狂い」という日常を逸脱した体験こそが宗教体験の根底に存在することを、古今東西の例示とともに説得的に示すことで行き詰まった宗教を、そして現代の閉塞状況を切り開こうという極めて意欲的な取り組みである。
 著者はまず宗教体験に着目し、そこで「悟り」と「狂い」は紙一重であることを書き出す。日常性にがんじがらめになった現代原則からは悟りは得られず、日常性の解脱からこそ宗教体験は生まれえるが、それ故、「解脱」と「魔境」は隣接する体験とならざるを得ない。なぜなら宗教体験は日常の理性を超えた、無意識に存在するマグマのような、生命感情にこそ、その根源を持つのであるからだ。
祭りの爆発的活力、踊り念仏の狂乱、シャーマンの恍惚を見よ。それは狂いでもあり、全体的人間の回復でもある。そして狂うのは人間のみでなく、神々もまた狂い、荒ぶるのだ。キリスト教のねたみの神、イスラム教の怒りの神、血なまぐさいヒンズーの神々、愚行を繰り返す日本神話の神々・・・。善と悪のせめぎ合い、暴力と救済の根源的なドラマこそが、世界の深層を照らし出すのだ。
善と悪がに、日常と非日常に、絶望と歓喜に引き裂かれる「狂い」の体験無しには、「救い」もまた存在しない。それどころか、「狂い」が排除された、そこの浅い「明るく」「理性的な」社会こそ、抑圧された「闇」が最も暴力的に噴出する社会ではないか。宗教論にしてその訴えかけは現代日本の総体に及ぶ。気力充実した、必読の一冊である。

書評者:東京工業大学教授 上田 紀行