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『自分の価値を高める』
 私の友人に一人の投資家がいるのですが、なぜか彼は富豪のくせに、ほとんど物を買わないのです。あり余るほどの資力があっても、簡単に財布の紐を弛めることはありません。しかし、よく見ていると、彼が物を買うときは、ほんとうにいい物しか買わないのです。まったく世間的評価には惑わされずに、それが物として、ほんとうに価値のあるものかどうかを判断しています。つねに彼の頭にあるのは、物そのものの「価値」の一語に尽きるため、不動産や株に投資をするときも、判断を間違わないのでしょう。
 そこからヒントを得て語るのですが、では私たちは、どうすれば自分の「価値」を高めることができるのでしょうか。社会的地位などではなく、自分の「価値」そのものを高めるとなれば容易ではありません。しかし、それなりの方法論はあります。
 その一つは、教養を高めることです。教養を高めることと、学歴とは何の関係もありません。大学の教員である私が言うのも変ですが、自分の知識の枠組みを広めるためには、必ずしも学校へ行く必要はないのです。自分で興味を抱いたことについて、どんどん本を読んでいけばいいのです。正しい知識は、魂の栄養になります。
 その点、日本人は中高年を中心に、とても勉強熱心だと思います。カルチャーセンターなど行っても、多くの人々が向学心に燃えて、新しいことに挑戦している姿に出会います。問題は、携帯メールばかりして、本を読まなくなった若者です。電車の中などでも、文庫本を読んでいる若者は稀です。昨今の大学生は、新書版すら読まなくなったと言われています。これでは、日本の将来が危ぶまれます。新しい世界観を切り開いていくためには、知識はとても重要なカギになるからです。
 自分の価値を高める二つ目の方法は、人生体験を肥やすことです。人間として肉体を授かったからには、いろんなことを体験したほうがいいのではないでしょうか。井の中の蛙では、いけないと思います。自分の眼で、地獄も極楽も見て来たほうがいいのです。じっくりと旅をするのも、魂の栄養の一つとなります。
 時には、ある程度のリスクをとって、みずから冒険をすることも必要です。それでこそ人間の幅が広がっていきます。人生体験が乏しいと、自分と異なった立場の人を理解することもできず、狭量な人間になってしまいます。他者に対して批判がましいのは、たいていみずからの人生体験が貧弱であることに起因しています。
 三つ目の方法は、徳を高めることです。これが、いちばん難しい。というのは、どうすれば徳を高めることができるのか、一概に定義づけができないからです。どれだけ立派なことをしても、強い自意識があれば、それは徳になりません。
 反対に、「こんにちは」と明るい声で挨拶するだけでも、他者の心を明るくするわけですから、その人の徳になったりします。陰徳行は、つねに「空」の境地でなされなくてはなりません。
 徳の積み方については、各自の判断に任せるとして、反対に自分の値打ちを下げる方法は、明確に定義づけることができます。
 それは、どういう形でも他者を貶(おとし)めることです。これほど、自分の値打ちを下げることはありません。人を悪く言う人は、自分を安売りしているようなものです。毀誉褒貶というのは、不徳の最たるものです。また、そういう「心の雑音」が多い人を友とすることも、自分の値打ちを下げることになりますから、要注意です。
 ところで、遊び半分ですが、以下のような人間方程式を作ってみました。
 
 知識 + 体験 + 徳 = 自分の価値
 
 さて、この方程式に当てはめてみれば、あなたの価値は、百点満点中、何点でしょうか。そういう私も、どうやら及第点は取れそうにもないのですが。(2009・10・20)
 
 
 
 

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