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『新幹線物語』
   私は毎週のように飛行機と新幹線に、それぞれ少なくとも二回乗ります。ついでに言えば、自宅に少なくとも二晩泊めて(頂きます)。そういう私が、毎週のように感動することがあります。
 たまに帰る私の衣服をちゃんと洗濯して、アイロンをかけてくれる奥さんにも、少しぐらいは感動しますが、二十五年以上も連れ添っていると、ご多聞に漏れず、ぜんぜん感動しない時間のほうが多いわけです。
 では飛行機に乗って、スッチーの磨き上げられた美貌に感動するのかと言えば、そうでもないのです。むしろ彼女たちの、わざとらしい作り笑いを見るのは、あまり心地よいものではありません。世界にあまたある航空会社で、あそこまで徹底して、乗務員に不自然な作り笑いを教え込むのは、日航と全日空だけだと思います。そういう愚かなマニュアル作法を忠実に、(そして無反省に)守ろうとしている彼女たちが気の毒でならず、飛行機を降りる頃には、私の心はすっかり滅入ってしまうのです。
 では、何に感動するかと言えば、新幹線の乗務員です。でも、それは車掌さんでも、カートを押してくる販売嬢でもありません。私が真に感動するのは、ときどき二人一組でゴミを集めに来るクリーン・ガールという若い娘さんたちです。彼女たちは、どんなゴミを乗客から渡されても「ありがとうございます」と言って、両手で丁寧に受け取ります。
 乗客の中には、ずいぶん不遜な態度を見せる人もいますが、それでも「ありがとう」。これは、素晴らしいことです。どれだけバカにされても、すべての人に合掌礼拝し続けるという常不軽菩薩の仏教説話がありますが、彼女たちは現代の常不軽菩薩です。
 他人からゴミをもらって、「ありがとう」という心境になれるのなら、私たちも人生の達人です。中傷誹謗というゴミ、裏切りというゴミ、蔑視というゴミ、いろいろありますが、ぜんぶ両手で受け取って、「ありがとう」。
 新幹線のエピソードが、もう一つあります。先日、岡山の料理屋で知人と美酒を呷り過ぎ、酩酊のあまり広島駅で降りるはずの新幹線を、うっかり新山口駅まで乗り過ごしたのです。翌朝、授業があるので、慌てて広島行きの新幹線に乗ろうとしたら、もう最終列車は出発済み。
 自分の情けなさに項垂れながら、改札口の駅員さんに「乗り過ごしてしまいました」と言ったら、「そうですか。駅前にホテルがあります。そこでお泊りになって、明朝いちばんののぞみ号に乗って、お帰りください」と、懇切丁寧な対応。
 とはいえ、すっかり乗り越し料金を取られると思って、財布を取り出したら、あにはからんや、「お名前は何と仰いますか。お名前さえ言って頂ければ、改札を通れるようにしておきましょう」と二人の駅員が相談しながら、乗り越し証明のようなものを書いてくれたのです。これには、一瞬で酔いが醒めるほど、深く感動しました。
 それから私は、まるで喫煙現場で捕まって、お回りさんに懇々と諭された高校生のような恭順な気持ちで、ホテルにとぼとぼと歩いて行きました。「ホテル代だけは、とんだ失費だったなあ」と思いながら、フロントの人に「空室がありますか」と尋ねてみましした。
 空室がなかったら、朝まで駅のベンチで過ごすことを覚悟していたのですが、フロント嬢は、にっこり笑って、「お客様、お部屋はご用意できます。それと勝手ながら、こちらのほうでインターネット予約をされたことにしておきますので、お部屋代は三割引にさせて頂きます」と言われて、すっかり酔いが覚めてしまいました。
 翌朝、せめてコーヒーでも飲んでから出ようと、ロビーに降りていくと、なんと「ふぐ粥」の無料サービス。思いがけずに、今年初のふぐ料理に舌鼓を打つことが出来ました。私は世界を旅して来た男ですが、誓って、こんな国はどこにもありません。
 この日本的サービス精神こそ、世界に冠たるものです。これが日本の国際競争力の正体です。「日本人よ、もっと親切に!」な〜んて、酔っ払いに叫ぶ資格はありませんが。(2009・11・1)