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『平凡な私と、非凡な感謝念仏』
 今年は、NHKに出演していることが機縁になって、「風の集い」に来て下さる方が増え、ありがたいことだと思っています。八年前に池上實相寺をお借りして、細々と始めた「風の集い」が全国六ヶ所に広がり、毎月大勢の方が参加してくださるようになるなどとは、想像もしなかったことです。
 だからこそ言うのですが、「風の集い」は「町田宗鳳の会」ではなく、「感謝念仏の会」であることを強く認識しておいてほしいと思います。参加者の中には、私のことをテレビで見た、本で読んだ、というだけで、ずいぶん買い被って来られる方がおられます。そういうのを偶像崇拝と言います。
 私は、相当愚かな面をもつ凡夫です。そして、ちょっとエッチな、ごく普通の中年男性です。そんな人間にわざわざ会いに来て頂く必要はありません。時間とお金の無駄です。おまけに私は相当な短気者ですので、不快なことがあれば、すぐに顔色が変わり、相手が誰であろうと、言下に批判します。これは子供の時からの困った性癖で、そのおかげで人をも自分をも傷つけ、ずいぶん辛い目に逢って来ました。それでも、改まらないのですから、まったく人間が出来ていない証拠です。
 「風の集い」とは、多くの人が「アリガト」を朗々と唱和し、その声の力によって、心と身体の病を癒し、元気になっていく場所です。感謝念仏は、純然と私のオリジナルな発想に基づくものですが、だからといって、私が賢いわけでも、偉いわけでもありません。
 そのへんを誤解なきようにお願いします。なぜ私が自分のことを過大評価される人を嫌うかと言えば、そういう人に限って、やがて私に対する感情を否定的なものに転換されてしまうことが多いからです。町田宗鳳は、町田宗鳳以上でも、以下でもありません。
 それにしても、感謝念仏は凄い実力をもつものです。私の説教などを必要とするものではなく、それは人間の思考を深め、感受性を豊にし、直観力を鋭くします。ですから、「風の集い」に来られるからには、それを真剣に唱えて頂きたいのです。
 「やってみたけれど、集中できなかった」という人は、感謝念仏の実力を疑っているからです。「アリガト」の言霊は人を幸せにしてやまないと思えば、きっと集中できるはずです。もし私が「20分間、一切雑念を交えず、アリガトの四音に自我を消すことが出来た人には、100万円差し上げます」と言ったら、その通りされる人があると思います。それほど真剣に取り組むに値するのが、感謝念仏です。
 そして、それを何度も唱えることの意義も、しっかりと自覚してほしいのです。深層心理にわだかまる否定的記憶の大掃除に効果がある感謝念仏は、魂を進化させることにこそ本来の目的がありますが、それと同時に「現世利益」的効果もあります。それぞれの切なる願いをきっと叶えてくれます。
 会場によっては懇親会がありますが、それは参加者が平等な立場で楽しく語らう場所です。ときどき懇親会場で、人にやたらと議論を吹きかけたり、得意になって講釈を始めたりする人がいますが、あれは止めて頂きたいと思います。酒がまずくなります。懇親会は、誰もが子供のように無邪気な「イワンの馬鹿」になる場所であって、どこかで借りて来た知識を披露するところではありません。
 ともかく町田宗鳳など、鰯の頭ほども信じる必要がない代わりに、感謝念仏の功徳をもっと強く信じて、足繁く「風の集い」にお越しください。どの会場にも、少なくとも30人ぐらいの人がコンスタントに集まってくれたほうが、「声の力」の効果が大きくなると考えていますので、ぜひご協力をお願い致します。(2009・11・20)

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