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『夢が物質化する時間』
 物事が「実現する」というのを、英語でマテリアライズ(materialize)と言います。マテリアルというのは、「物質」のことですから、マテリアライズというのは、「物質化する」という意味になります。
 では、何が物質化するのかと言えば、夢にほかなりません。夢というのは、姿形のない漠然としたものですが、それがいつか実現することをマテリアライズと言います。しかし、夢という霧のような気体が、現実世界の現象という個体になるためには、それなりの時間がかかります。
 時間がかかっても夢は必ず実現するのが、この世の法則です。コツは、それを中途で放棄しないことだと思います。氷点下60度、極寒の南極でオスの皇帝ペンギンが120日間も飲まず食わずで、立ったまま卵を抱き続けるような、そういう辛抱強さが必要なのです。(そう、オスはいつも辛いんだよ!)
 現代日本は、若者が夢を持ちにくい時代と言われていますが、それは時代のせいではなく、彼らの想像力不足に原因があります。想像力が脆弱になるような生活環境に育ってしまったという意味では、少し気の毒に思います。
 想像力を逞しくすれば、夢なんていくらでも描けるのです。ただ、何と言っても現実は厳しいですから、夢を抱き続けるのは容易ではありません。そこで個人差が出てくるわけです。格差社会と言われていますが、どこに格差があるかと言えば、収入額なんかではなく、夢を孵化させる能力にあります。現代でも、見事に自分の夢を花咲かせている人は、たいてい相当に個性的な人物です。
 私は小学生の頃、一人遊びが好きだったので、いつか一人で世界を旅したいと夢見ていました。その夢に反して、まるで囚人同然に、三十過ぎまで禅寺の土塀の外に、ほとんど解放されることがなかったのですが、今では旅行代理店の添乗員並に、諸外国を忙しく渡り歩いています。
 中学生になると、英語が話せるようになって、アメリカに留学するのが夢でした。ところが大学受験に失敗し、高卒のまま肉体労働に明け暮れし、請負人夫のような生活が10年以上も続きました。しかしそのうちに、夢でも見ないような夢みたいな話が、現実となったのです。アメリカ人でさえ望んでも入れないような大学の大学院に、しかも全額奨学金付きで入学することになりました。
 そして高校生の頃は、鈴木大拙みたいな国際的な宗教学者になることを夢見ました。それから紆余曲折はあったものの、その夢がゆっくりと実現しつつあります。鈴木大拙のスケールの大きさを想えば、いまだその足元にも及びませんが、方向性だけは間違っていないようです。
 女性とはまったく無縁の雲水だった時も、いつかは美しくて優しい女性と結婚したいと思っていました。ところが、これだけは儚くも夢が破れてしまいました。なぜなら、きつくて怖い奥さんが来てしまったからです。でも考えてみれば、これも師匠が急死したために修行を中途で諦めざるを得なかった私に、生涯厳しい修行を続けよという仏さまのご慈悲だったのかもしれません。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。
 今から25年前、ボストン郊外で留学生活を始めました。新聞広告で家賃が最低の屋根裏部屋を見つけ出したのですが、床が歪んでテーブルの上のものが、よく転げ落ちました。それでも家賃が払えなかった私は、あちこち家族を引きずり回し、他人の家の地下室に住まわせてもらったこともあります。でも、いつかは森の中の家で静かに暮らしたいと思っていました。
 そしてその10年後、鹿の群れが戯れる美しい森の中で、光が燦々と降り注ぐ、一千坪もある家に暮らすようになりました。金もなし、頭もなし。そういう人間がアメリカン・ドリームを実現したのです。
 落第すれすれの劣等生だった私が、そのうちアメリカの大学の先生になりたいという厚かましい夢を持ち始めました。卒業後、優秀な同級生たちは全米に散らばり、地方大学の先生になったりしたのに、もっとも出来の悪かった私がプリンストン大学に就職し、かつてアインシュタインが使っていた部屋の隣に、大きな研究室を与えられました。現実は小説よりも、奇なりです。
 8年前に10数年ぶりに帰国し、東京で粗末な官舎住まいを始めましたが、いつかは海の見える家がほしいと思っていました。結婚以来、12回も引っ越して、呆れた家内に見下り半を渡される直前の13回目に、いつも静かな波音が聞こえ、カモメが窓の外を飛ぶ家に暮らすようになりました。
 このように私の人生においては、ほとんどの夢がマテリアライズしたのです。かといって、私に才能があるわけでも、人徳があるわけでもありません。摩訶不思議な力を感じるだけです。だからこそ私は、神仏におのずと手が合わさる人間になったのです。
 未来に向って開かれた、温かい信仰こそが夢を物質化させる最高の触媒であるというのが、私の実感です。反対に、伝統に凝り固まった形式主義の、冷たい信仰は夢を壊します。
 ところで万年青二才の私には、もっと大きな夢があります。その夢は自分だけの秘密ですが、それがマテリアライズするまで、卵を抱く皇帝ペンギンのように、じっとガマンしようと思っています。その夢の物質化が先に来るか、棺桶が先に来るか私には分りませんが、実はそんなことは、どうでもいいのです。夢を抱けるだけでも、幸せな人生ですから。(2009・12・1)

「汚れなき魂:アイルランドで出会った少女」
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