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『小説を書くということ』
 今、私は小説を書いています。テーマは「法然」です。テレビで法然さんのことを語っていることが機縁で、ある大手出版社から原稿依頼がありました。今まで法然さんについては、英語で一冊、日本語で四冊も本を出していますが、小説というのは初めてです。
 三十冊近い本を書いてきた私には、ふつうの本なら眼をつぶっても書けるぐらいですが、小説となれば、まったくの素人です。ですから、どういう文体で書けばいいのか分らず、苦しんでいます。
 右利き人間に左手で料理をしろと言われたようなものです。あるいは、右バッターが左バッターボックスに入れと言われたような感じです。誰も箸を伸ばそうとしない料理か、ピッチャーゴロ程度の小説になったら困るので、何度も読み直しながら書いています。
 書いているうちに気づいたのですが、確実に左脳ではなく、右脳が動き出した感じです。それはフィクションを書くためには、私の想像力を駆使しなくてはならないからです。出来上がった小説が売れなくても、少なくとも私の脳体操になっていると思います。
 それと、もう一つ気づいたのは、法然さんという人物が平面的ではなく、立体的に見え始めたということです。司馬遼太郎の時代小説などが面白いのは、彼が歴史を立体的に再現する卓越した能力を持ち合わせていたからです。
 司馬遼太郎でも、藤沢周平でもない私は、どうすればいいのか。そういう深い溜息を漏らしながら、コツコツと書き進めています。どの本でもそうですが、私は一度、執筆に意識を置き始めると、日常のことがあまり眼に入らなくなります。
 ですから、これから数ヶ月間、私に声をかけて頂いて、返事をしないことがあったとしても、私が無礼なことをしたと怒らず、心が夢遊病状態なのだと、憐れんでやってください。だいたい私は、平生から半ば精神的夢遊病状態であり、自宅でも家内に言われたことの一割ぐらいしか覚えていないので、ひどく叱られます。最近、彼女が認知症老人の傾聴ボランティアを始めたのも、どうやら私に原因があるようです。
 私の夢の一つは、学者を廃業して、小説家として自立することです。それには、大きな賞でも取らなくてはいけないのでしょうけど、このまえ、国会議員の臓器移植改正法研究会で、作家の渡辺淳一氏と隣席し、彼の意見に異議を唱えて以来、私の芥川賞・直木賞獲得の夢は、あえなく潰えました。彼が両賞の審査委員だからです。「この際、ノーベル文学賞でも狙うか。敵は、村上春樹だ!」
 どうやら、私の右脳が過剰に反応しているようです。(2009・12・10)

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