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『神言を聞く』
 神言(しんごん)というのは、神の言葉のことですが、ふつう宗教学では、トランス状態に入ったシャーマンが口ごもる神秘的な言葉とされています。神秘的ということは、別な言い方をすれば、意味不明瞭ということですから、それを聞いた神官がそれなりの解釈を施さないことには、一般信者にはメッセージが伝わらないことになります。
 神社で、巫女が鈴を振りながら神楽を舞うのも、本来はトランスに入るためであり、そのとき彼女が口にする言葉を書き留めて、解釈するのが神官の仕事でした。伊勢神宮の斎宮(いつきのみや)と宮司、諏訪大社の八巫女(やおとめ)と神長官などが、その具体例です。世界各地の先住民文化でも、シャーマンと部族の長老の間に、そのような分業が成立しています。
 ところで最近、私もこの神言を聞いたのです。ただ、シャーマンから聞いたのではなく、半ば認知症の老女から聞いたのです。その老女が誰かと言えば、今は亡き師匠の奥さんのことです。私には小僧時代と雲水時代に二人の師匠がいましたが、前者は妻帯していました。
 私は今でも、年に二度ほど大徳寺にある師匠の墓参に出かけますが、その時、必ず寺の裏書院で独居している未亡人を見舞います。もう八十半ばなので、少し認知症が出ており、行くたびにトンチンカンな会話を交わすことになります。
 「あれ、アメリカから帰ってきたの?」
 「いやいや、アメリカから帰ってきたのは十年前で、今は広島にいるよ」
 「ああ、そうだったの。きのう、NHKの番組で見たよ」
 「いや、NHKに出ていたのは、半年前の話です」
 といった具合です。
 先日、訪問した時は、座敷の隅っこで、襖に体を添わせるように、布団も敷かず、畳の上に仰向けに寝ていました。一瞬、「ついに死んだか」と思いましたが、生きていました。その時、たまたま一人の友人を連れ立っていたのですが、そのことに気づくと、彼女はすくっと起き上がって、いきなり言いました。
 「宗鳳さんは、いつもフラフラしていて、とても危ない男です」
 「えっー!」
 「でも、この人は心の性根が正直な人で、大事な仕事をする人です。これからも、支えになってあげてください」
 彼女は、私が四角四面のマジメな小僧生活を送っていた七年間のことしか知らないはずです。なのに、私が「いつもフラフラしていて、とても危ない男」であることを見抜いていたのです。私は、腰を抜かすほど驚きました。彼女の言葉は、明らかに神言です。
 その昔、彼女と私は犬猿の仲だったので、よく師匠の前で大喧嘩しました。でも、今では「宗鳳さんが、いちばん信頼できる」とまで言ってくれます。人生とは、長生きしてみないと、どうなるか分からないものです。
 今年は、帰国してちょうど十年目になります。家族を海外に残して、東京で一人暮らしを始めた頃は、友人らしい友人もいませんでした。なのに、今月とうとう還暦・『法然の涙』出版記念パーティーを開いてもらえることになったのは、私にとって大きな驚きであり、喜びでもあります。ご都合のつく方は、お一人でも多くご参加くだされば、まことに光栄に存じます。(2010・10・1)
 
  

 

「日月潭(台湾)の神韻」