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『ワシントン会議』
   久しぶりに、アメリカに出かけて来ました。あれだけ長くアメリカに住んでいたくせに、このところヨーロッパや中東にばかり出かけて、ほとんど古巣に足を運ぶことがなかったのが、不思議なくらいです。
 日米の学術振興会共催の『科学と核廃絶』と銘打った会議で講演の依頼を受けたからです。学生時代に通訳として何度か出かけたワシントンで、自分が講演するようになるとは、夢にも思いませんでした。
 会場を訪れてみると、核開発に直接関わる物理学者や軍縮担当の外交官ばかりで、なぜ自分がこんなところに呼ばれたのかと戸惑いました。歴代の大統領側近をしていた人たちもいました。
 パンフレットを見てみると、私のことが「ヒロシマの哲学者」と紹介されているのを知り、その時、やっと自分の役割に気づいたという呑気な話です。しかし、ノーベル賞学者を含めて、各界の要人ばかりが集まる大切な会議に、せっかく招かれたわけですから、なんとか自分なりの使命を果たしたいと思いました。
 科学や外交の専門家は、軍縮にかかわる極めて緻密な話をしたので、その分野の素人の私は、人間の心に焦点を当てた話をすることにしました。
 壊滅的破壊力をもつ核兵器を開発しようとする国家戦略の核心には、他者への不信感や憎悪を抱く人間の根源的な否定的記憶があるのであり、そのことを直視することなく、技術的あるいは政治的側面からのみ核廃絶を唱えたところで、机上の空論に過ぎないと指摘しました。
 近代政治の根幹にあるキリスト教思想には、サタンを自己の外に置く排他的思考があるが、じつはサタンは自己に内在するものであるという自覚をもたずして、他者への真の共感など抱きえないとも言いました。
 インテリばかりの聴衆を納得させるために、心理学・神学・仏教学の概念を駆使し、私なりの考えを訴えました。講演は45分間も与えられていたのですが、皆が耳を澄ませて聞いてくれていたので、私は調子に乗って予定外のことも話してしまいました。
 地上でもっとも汚いものは、核兵器と人間のウンコである。他人のウンコがついたトイレを掃除する勇気もないのに、核廃絶など出来ようもないではないか。あなたたち超エリートがトイレ掃除のような下座行をしてこそ、世界平和は現実のものとなる。
 だいたい自分の心の中に、深刻なトラウマを抱えている人間に限って権力志向に走る。そして自分のカタルシスのために、国民の否定的記憶を煽り立てて、戦争を始めるのだ。そういう意味で、スターリンも毛沢東もポルポトも、同じ心情の持ち主ではなかったか。
 ここまで来ると、やぶれかぶれで話していた感がありますが、講演直後の休憩時間には、多くの人たちから握手を求められました。頭を掻きながら「場違いな話をしてすみません」と言ったら、「たしかに今回の会議で、もっとも場違いで、もっとも本質的な話だった」とコメントしてくれた科学者もいました。
 もっと驚いたのは、会議後に主催者が参加者に送った礼状の中で、私の講演が何度も引用されていたことです。やぶれかぶれの話にも、それなりの意義があったのだと、ほっと胸をなでおろしています。
 ところで、ワシントンへのフライトの機内で見た「ハナミズキ」、「オカンの嫁入り」、「涙そうそう」、「瞬」という四本の邦画は、とても美しく、味わい深いものでした。めったと映画を見ない私ですが、美しいスッチーに注がれた美酒に酔っていたせいか、号泣してしまいました。
 ところで、ありがたいことに拙著『法然の涙』の感想が、多くの方から寄せられています。そこで再度お願いあるのですが、ホームページやブログをお持ちの方は、ぜひ感想を載せて頂けないでしょうか。そういう小さな努力が大きな稔りをもたらしてくれると信じます。
 ちなみに現在、東京財団のホームページに私のエッセイ「祭りの創生」(英文)が掲載されています。 「http://www.tokyofoundation.org/en/articles/2010/resurrecting-the-spirit-of-matsuri」
(2010・11・20)
   

カナダ北部のオーロラ