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『無財の七施』
 2010年の新春をお喜び申し上げます。旧年中は、皆様のご厚情に浴することが出来ましたこと、深く感謝いたします。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。今年は寅年。張り子の虎に過ぎない五黄寅年生まれの私も、せめて獅子吼の真似ごとぐらいはしてみたいと思っています。
 さて今や日本は、国家も個人も金詰まり状態です。ここでジタバタするよりも、身の丈にあった慎ましい生活をするのが賢明のように思います。国家についても、同じことが言えます。かつて圧倒的な経済力や軍事力を背景に、世界を制覇したオランダやスペインが国際社会に静かに納まっているように、日本もむやみと背伸びせず、国家の権勢よりも、国民の精神的充足に軸足を置き換えるべきでしょう。
 こういう景気の悪い時代でも、心がけ次第では、いくらでも幸せに暮らすことができるはずです。悲観することは、何もありません。お金をかけずに、いいこと、楽しいことをする絶好のチャンスです。
 仏教には、財施・法施・無畏施という三つの布施行があります。これは、地位や財産を「持てる者」が実践すべき布施行です。ところが、そのどちらも「持たざる者」に、たちまち実践できる布施行があります。それが、「無財の七施」と呼ばれているものです。
 一つ目が 眼施。優しい眼差しで人を見るだけでいいのです。先日、女子大生に「町田先生は、どうしてそんなに眼力(めぢから)があるのですか」と言われたので、「いや、君があまりに若くて美しいので見つめていただけだよ」と答えました。そういうのは色目であって、眼施ではありません。
 二つ目が、和顔施。にこやかな顔で人に接するだけで、人を幸せにできます。私はどれだけ立派なことを口にするような人物でも、眉間に皺を寄せていれば信用しないことにしています。「イワンの馬鹿」には、笑顔がふさわしいのです。
 三つ目が、愛語施。愛のある言葉は、人を癒し、元気にします。道元禅師も「愛語、よく廻天の力あり」と言っています。ですから、言葉は選んで使うべきです。辛辣な表現を使いがちな私も、愛語施ができるようになれば、もっと友人が増えるでしょう。
 四つ目が、身施。お金がなければ、体で奉仕すればいいのです。ご近所のゴミ拾いをするだけでも、十分。お年寄りや妊婦の荷物を持ってあげてもいいでしょう。この布施行は、みずからの健康増進という形で報われます。
 五つ目が、心施。これは、喜びも悲しみも他者と共感することです。心が冷たいと、できることではありません。ギスギスした世の中の潤滑油は、何気ない思いやりです。愛は、人に与えるほど湧き出てきます。いつでもどこでも「ありがとう」。これも、心施のうちです。
 六つ目が、牀座施。これは、他者に席を譲ることです。電車で老人に席を譲るのも、会社で後輩に地位を譲るのも、徳行の一つです。私は、家庭で主人の座を完全に妻に譲り渡すという、ちょっと変わった牀座施を実践しています。
 七つ目が、房舎施。人に、一宿一飯を施すことです。雨に濡れる人を傘に入れてあげるのも、捨て犬や捨て猫を飼ってあげるのも、立派な房舎施です。遠い道を歩く人をクルマに乗せてあげるのも、現代的房舎施です。
 金欠病の今年は、この「無財の七施」に楽しく励んで、せいぜい天に貯金しましょう。天界の利息は、人間界の相場よりも遙かにいいので、楽しみにしていてください。(2010・1・1)

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