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『日本と韓国』
 2010年最初の海外旅行は、韓国の釜山が幕開けとなりました。今回は、町田ゼミの学生7名と共に、釜山大学を訪れ、向こうの学生さんたちと、「韓国と日本は、どうすれば真に仲良くなれるか」というテーマで、ディスカッションすることが目的でした。
 予想以上に多くの学生が集まってくれ、忌憚のない意見を述べてくれました。外交官や学者間の会議では建前ばかりが先行して、なかなか情の通った話ができないものですが、若者同士なら、そうではないという目論みが、私にあったのです。
 結論から言えば、韓国人はアジア近代史に起きた悲劇について、日本人の歴史的無知を嘆き、政府レベルの形だけの謝罪ではなく、国民レベルの真摯な反省を求めているということです。近代日本の軍国主義について、小学生の時から有無を言わせず刷り込まれてきた韓国人学生も、たいていは日本大好きというのが本音なのですが、どうしても、そのことが喉に引っ掛かった魚の骨みたいに、納得出来ないでいるのです。
 私は右翼でも左翼でもありませんが、彼らの意見におおかた賛同します。日本人と中国人は、いろんな意味で本質的に異なりますが、日本人と韓国人は、あらゆる意味で兄弟関係にあります。日本人は、古代から現代までの正確な歴史認識を背景に、韓国人と諸分野において、深く協働していくべきです。そこにアジアの希望があり、世界の希望があります。
 私は東京外国語大学時代に、そのようなことをどこかの講演会で言ったために、右翼から二度にわたって、全学に脅迫めいたブラックメールをばら撒かれたことがあります。私に個人的なクレームをつけてから、そういう行動に出るのならまだしも、いきなり全学に二度も同じ内容の書状をばら撒くのは、「正義」の御旗を振りかざす右翼にしては、卑劣極まりないと思い、その親玉に面談を求めたのですが、ナシのツブテでした。
 ほんとうに日本という国家のことを思うなら、歴史の客観的評価をし、その上で国家百年の大計を考えていくべきです。自分一個の生涯を顧みても、人に言えないような恥辱の記憶が、誰にでもあるはずです。ましてや国家の歴史的過失となれば、まさに死屍累々と言ったほうがいいでしょう。それを素直に認め、明日に向って、志を新たにするからこそ、個人も国家も、真の成長があるのです。
 町田家のルーツは古代朝鮮の高句麗にあると、若い時から自分勝手に思い込んでいる私は、日本と韓国にほんとうに仲良くなってほしいと願っています。そうすれば、北朝鮮問題も自動的に解決します。
 早い話が、私は大和朝廷以来の、在日朝鮮人の末裔なのです。そういう意味では、皇室も含めて、日本国民の少なくとも八割は、私と似たような系譜に生きる人々です。そのことを理解すれば、日韓関係がいかに重要なものであるか、納得して頂けるはずです。
 三十年前から幾度となく韓国を訪れてきた私も、今回ばかりは若い学生たちとの無邪気で、楽しい釜山旅行を楽しみましたが、それにつけても私の歴史的思い込みは、ますます強まるばかりでした。(2010・1・10)

「釜山・梵魚寺にて」
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