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『ぐうたら息子の話』
 私に出来の悪い息子が二人いることを、すでにご存知の方も多くおられるかと思いますが、今さらながらに、その出来の悪さに呆れております。とくに長男・来稀(ライキ)の出来が悪く、電話をしても、メールを送っても、ほとんどナシノツブテで、ときどき生存の可能性すら怪しくなってきます。
 このあいだ、東京の知人からいきなり「先生の息子さん、引っ越されるのですね」と言われたのですが、私にとって、まさに寝耳に水。たしか2年前にアメリカの大学を卒業してから、向こうの大学病院で肝硬変の研究をしていたらしいことと、それからなぜか急に、それまで一度も暮らしたことのない日本に戻り、茨城県の山間部にある小中高で英語の巡回教師をしているようなことまでは、私も小耳に挟んでおりました。
 同じ大学を出た友達には、「初任給で20万ドル以上もらう奴らが多い」と言っていましたから、私も「お前も、スネを齧ったぶんぐらい、俺に返せ」と言ってやりたかったのですが、本人からは、ぜんぜん稼ぐ気配が感じられませんでした。
 それで話は戻りますが、いったいどこへ引っ越すのだろうと思っていたら、何週間か経って、「富士山麓にある鬼太鼓座(おんでこざ)に入団」ということが判明。本人に確かめたら、「そうだよ」の一言。こういう父親をコケにするような息子に育て上げたのは、ひとえに母親のせいだと思います。
 たしかシンガポールの高校時代に、ネパールにボランティア活動に行ったことがきっかで、「僕は将来、無医村地区の医者になる」という志で大学に行ったはずなのに、いよいよ我が家から「太鼓打ちの芸人」を出す羽目になるとは、このぐうたら親父の私でさえ、想像するところではありませんでした。
 そして一週間ほど前になって、いきなり「四月一日から、台湾とヨーロッパに公演に出かけて来るけど、帰国は年末だと思う。連絡は、当分つかないかも」という携帯メール。我が家が正真正銘の「離散家族」であることは、以前から認識していましたが、ここまでヒドイとは思いませんでした。
 息子が消息不明になってから、中学校の教え子とおぼしき子供たちから、「ライキ君、大好き!愛してる!忘れないで!もっとバスケを教えて!」みたいな言葉が、ぎっしりと書き込まれたバスケットボールが、宅急便で送られてきました。それを見た家内は、「この遊び人的遺伝子は、ぜんぶあんたから」と言っています。
 決してそんなことはありません。私の生真面目な遺伝子は、今宵もほとんど不眠不休で建築学研究に邁進する次男坊に、ちゃんと引き継がれています。ただコイツは、建築家として、それなりの才能があるかもしれませんが、どうしようもない偏屈者です。その次男坊も、まもなく卒業して、日本に帰ってくるそうです。
 結局、我が家にはまっとうな人間が一人もいないということになりますが、にもかかわらず、それぞれが好き勝手に、幸せに生かせてもらっているというのは、神仏の恩寵と言わざるを得ません。ぐうたら息子であろうが、ぐうたら親父であろうが、楽しく生きる奴が、いちばん賢いのです。(2010・4・1)