【原則、毎月1日・10日・20日に更新します。】

『事実だけど、問題ではない』
 生きるというのは、ほとほと大変です。家庭問題、経済問題、社会問題などなど、まさに苦悩と苦痛の連続です。こんなんだったら、死んだがましだ、と思っている人もいるかもしれません。
 確かに家庭や経済や社会に、いろんな出来事があるという事実は、認めます。しかし、それが問題であるかどうか、となれば再考の余地があります。問題だと思っているのは、自分であって、自分が問題じゃないと思えば、事実はあるけど、苦痛や苦悩の原因とはなりません。
 たとえば、このごろ私には、耳鳴りがあります。過労、幼少期の中耳炎の後遺症、飛行機の乗り過ぎ、などいくつかの要因がありますが、医者にかかっても原因不明なので、対策を講じることができないでいます。
 しかし、たしかに耳鳴りという事実は存在し、それを否定はできないのですが、そのことで悩むかどうかは、自分次第です。そのうち耳鳴りが治ればいいとは思っていますが、悩んではいません。
 その事実が不愉快なものなら、その原因となっている要因を取り除けばいいのです。もし、それが除去できない状況にあるのなら、その事実を甘受するよりほかありません。そして、悩む必要はないのです。
 もし、どこかで財布を落としてしまったなら、それは大変な事実ですが、決して問題ではありません。財布に入っていたクレジットカードを止めるなり何なり、対策を取れるものは取るべきです。しかし、現金が無くなったという事実は、どうしようもないので、諦めるしかありません。諦めるという作業が必要ですが、それは苦悩ではないのです。
 どうしても馬が合わない人間としてのDさんがいるとします。Dさんという人間が存在するのは事実ですが、Dさんと馬が合わないと思っているのは、自分です。自分が変われば、DさんはDさんのままです。それだけの話です。
 このように、すべて物事は事実であって、問題ではありません。問題ではないものを問題視して、取り越し苦労している人が多過ぎます。そういう人は、たいてい自我意識が強すぎるか、人生体験が乏し過ぎるか、のいづれかです。
 Aという事実をBと見たり、Cと見るのも、我見我慢の所産です。AはAであって、それ以上でも以下でもありません。もっと困るのは、何の事実もないのに、問題を作ってしまう人です。こういうタイプの人が、圧倒的に多いような気がします。
 物事を真っ直ぐに、素直に見る練習を積み重ねていけば、悩みは徐々に減少してきます。事実をそのまま見ることができない自分を反省せず、いくら人に相談しても、問題解決にならないのです。問題がないのに、問題視するその思考癖が問題なのですが、自分がそういう思考癖をもつという事実を認めれば、悩むことではありません。要するに、事実はあっても、問題はないのです。(2010・5・1)