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『結婚って何だろう』(教え子・佐伯美保さんの結婚を祝して)』
 私と妻の真知子は二十六年前、雪が降りしきる京都・大原の里で結ばれました。
 当時の私は、お金も学歴もない一介の修行僧でした。
 私は宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」に出てくるデクノボーのように、一杯の味噌汁と少しの豆腐と玄米を食べ、毎日一人でただ黙々と、比叡山を借景にする庭の木の葉を掃いていました。
 ある日、可憐な一人の女性が急にどこからか現われ、あっという間に私の妻となりました。
 でも一つ屋根の下に暮らし始めると、彼女が「右と言えば、左。左と言えば、右」を行くような天の邪鬼で、気が強い女性であることを私は、すぐに思い知らされました。
 それまで私は、知らなかったのです、結婚こそが真の仏道修行であることを。迂闊なことでした。
 そのうちに、狐にでも騙されたように私がアメリカの大学に招かれて行くと、「右と言えば、左。左と言えば、右」を行くはずの彼女も、とぼとぼと私の後ろからついて来ました。
 というわけで、ボストン郊外のスラム街にある屋根裏部屋で始まった新婚生活ですが、わずかばかりの食パンとミルクを口にするだけの貧乏にも、彼女は耐えてくれました。 チャールズ河が厚く凍るような冬も石油ストーブ一つで辛抱するうちに、二人の可愛い男の子が生まれました。そして、ろくに英語も話せない妻は子育てをし、近所づき合いをし、子供の宿題を見てくれました。
 私は仕事と勉強に追われながら、地を這うような生活をしていましたが、彼女はいつもぼろアパートを清潔にし、手作りしたもので美しく飾ってくれました。
 「右と言えば、左。左と言えば、右」を行くような女性を妻に娶った世にも不運な男も、やがて大学の先生となり、森の中の真っ白な家を買うことになりました。 家の中も真っ白な絨毯を敷き詰めたその家には、いつも天窓から燦々と光が差し込んでいました。
 千坪もある家の裏庭には野生の鹿が戯れ、それと同じように子供たちが声を上げながら転げ回っていました。
 ある日突然、そんな幸せな家庭を壊されるような他人の悪意に晒されたこともありましたが、妻は相変わらず「右と言えば、左。左と言えば、右」を行くという性格のまま、私を信じ、そして支えてくれました。
 あれから十年経ち、二十年経ち、子供たちがそれぞれに活躍し、私は世界を飛び回るような生活をするようになりました。
 結婚以来、十三回目の引っ越しで、ようやく眼の前に世界遺産の宮島が見える家に暮らすようになっても、どこへも行こうとせず、わが家を清潔にし、そして美しく飾ってくれる妻は、今朝も「右と言えば、左。左と言えば、右」と言いながら、私を送り出してくれたのです。
 夫婦って、素晴らしいものです。二人が我儘ではなく、耐えるということを学びさえすれば。
 夫婦って、深いものです。二人が惚れるのではなく、愛するということを学びさえすれば。
 夫婦って、楽しいものです。二人が怒るのではなく、笑うということを学びさえすれば。
                             (2010年5月16日)
 

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