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『本音八分、建前二分』
 現代日本人が息を詰まらせているのは、社会に建前が多すぎるからだと思います。この恵まれた国・日本で、精神的・肉体的疾患が増える一方なのは、本音を抑圧することから来るストレス、つまり建前症候群だと思います。
 政治も建前ばかり言っているから、少しも前進しません。国をほんとうに良くしようとすれば、本音で国民に呼びかけ、多少の反対があっても、押し切らなくてはならない政策もあるはずです。大衆迎合の建前政治をやっているうちに、国が滅ぶということもあり得ます。
 建前の弊害がもっとも顕著なのは、教育現場です。学校の先生ほど、建前の多い人種も珍しいと思います。自分が少しも人間らしく生きていないくせに、生徒にウソ八百の建前ばかり押しつけようとします。
 今もし、私が中学生や高校生なら、不登校になっているかもしれません。実際に自分が高校生だった時も、先生の建前論が鼻について、サボりたくなったことは再々ありました。(寺にいれば掃除しかなかったので、嫌でも登校しましたが。)
 建前では、動物的な嗅覚をもっている若者の教育はできません。学力など、どうでもいいのです。若者の魂を喜ばせてやれば、放っておいても勉強するようになります。彼らの魂が喜ぶような教育内容を提供できないのは、文科省や教育委員会が本音で語り得ない組織となっているからです。
 何らかの理由で電車が遅れたりすると、JRの駅や車内で、少しも最新の状況に触れずに、テープレコーダーのように同じ情報を繰り返す駅員や車掌がいますが、ああいうことが平気できるのは、自分の判断力を停止させているからです。絶望的マニュアル人間は、どの職種にもいますが、つくづく建前教育の犠牲者だなと感じます。
 坊さんも牧師も建前ばかり、偉そうに喋るから、どんどん人が寺や教会から離れていくのです。少し考えれば分かることですが、建前で人が救えるはずもないじゃないですか。仏典や聖書に「そう書いてあるから、こうなんだ」と信者に押しつけて平然としているのも、宗教家が思考停止をしているからです。
 二千年以上も前に、仏陀やイエスが言ったか言ってないか分からないことを、頑迷に死守しようとする神経を疑います。宗教は自分で体験して、自分の言葉で語るものです。それでこそ、人は救われていくのです。
 私は、このごろ講演に出かけると、できるだけ本音をぶつけようという覚悟で臨んでいます。相手が学者であろうが、経営者であろうが、お構いなしです。建前が氾濫している社会で、建前の上塗りをするような講演をして、お金をもらうのは、罪な話です。
 もちろん、人間が本音だけで生きていけるわけではありません。社会生活を営むには、最小限の建前が必要です。クルマのエンジンは本音で回転していますが、クルマの運転には交通法規がいるようなものです。
 今の日本は、交通法規でクルマを動かそうとするような愚を犯しています。だから、みんな人生の途上で、エンストを起こしてしまうのです。大事なのは、本音というエンジンの馬力です。本音を全開するような政治、教育、ビジネスをやっていけば、日本は必ず生まれ変わります。「本音八分、建前二分」というサジ加減が、社会にとっても、個人にとっても、ちょうどいいのではと思っています。(2010・7・1)
 

「ケルトの渦巻き」