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『「ありがとう念仏」が引き寄せる人々』
  毎回、各地で風の集いを開いていて、私が深く感心することが一つあります。それは、主宰者の私が「よくぞ来てくださった」と思うような人たちが、わざわざ参加してくださることです。それは何も著名人であるといった意味ではなくて、恐ろしいほど濃厚な人生を力強く歩んでこられた方たちのことです。
 本来なら、私がそういう人たちに頭を下げて、教えを乞わなくてはならない立場にあるにもかかわらず、参加者のお一人として静かに坐っておられる、そのお姿に尊いものを感じるのです。
 ごく一例をあげると、先日の永照院の風の集いに、以前も「折々の言葉」で紹介したことがある87歳のSさんが、はるばる広島市から来てくださいました。足を患っておられるのにもかかわらず、杖をつきながら、お寺のある山を登って来てくださったのです。
 Sさんは戦中、ご家族と共に満州におられたのですが、敗戦と同時に、ロシア兵が一気に侵攻してきたそうです。占領された町や村では、男たちは追い立てられ、あるいは殺され、残された女性たちが容赦なく凌辱されたと言います。
 当時、二十歳の生娘だったSさんも、ロシア兵二人に囲まれ、同じ道をたどるはずでした。しかし、彼女は犯されるぐらいなら殺してほしいと思い、「殺して!」と叫び続けたそうです。そんな日本語も分からないロシア兵が迫って来た絶体絶命の瞬間に、Sさんは思わず大声で、「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と称え続けたそうです。
 すると、信じられないことが起きたのです。ロシア兵たちは、彼女を襲う代わりに、銃弾二発を彼女の膝先5センチのところに打ちこんだだけで、すごすごと去っていったそうです。念仏の真髄、ここに極まれり。これぞ、本物の本願力です。こんなことは、やたらと説教好きな真宗僧侶でも体験できないことです。
 満州から引き揚げてくるだけでも、私なんかに想像もできないご苦労があったと思いますが、なんとそのSさんが拙著『人類は「宗教」に勝てるか』(NHKブックス)を愛読してくださっていて、眠る時は枕元に置かれていると聞きました。
 ありがたいことです。もったいないことです。風の集いは、「町田宗鳳を慕う会」ではありません。そこは、「ありがとう」の声が埋もれていた魂を呼び覚ましてくれる場所にほかなりません。でなければ、Sさんのように人生の辛酸を嘗め尽くした方が、わざわざ足を運んでくださるはずもありません。
 今さら改めて言うまでもなく、私自身はまことに「徳」の薄い人間ですが、「ありがとう念仏」のおかげで、多くの優れた魂との出会いに恵まれることを、ほんとうに嬉しく思っています。(2011・10・3)
 

「カリフォルニア・ソノマバレーのぶどう畑」