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『教師冥利』
  私はちょうど四十歳の時にプリンストン大学に採用され、初めて教師という職業に就きました。以来、アメリカ・シンガポール・日本の三カ国で二十年あまりも教壇に立っているわけですが、冷静に自己評価してみるのなら、あまりいい先生ではないと思います。
 いつか『ブルータス』という雑誌が、私を「授業を受けてみたい大学教授二十人」の一人に選んでくれたことがありますが、あれはウソです。プロの教師として給料をもらっているわけですから、決して手抜きをするわけではありませんが、授業の準備もしっかりしないまま、ぶっつけ本番で教室に向かうことが多いからです。
 そもそも私の学問のスタイルが緻密に文献を読み、その解釈をするというようなものでなく、ほとんど直観的に思想の流れをとらえることにあるので、マジメくさった授業には向いていません。もし私が学生に伝授できるものがあるとすれば、特殊な専門的知識ではなく、学問の流儀です。
 それにしても驚かされるのは、そのようなナンチャッテ先生の私をいつまでも忘れずにいてくれる殊勝な学生たちが、あちこちにいてくれることです。すでに卒業から何年も経っているのに、ときどきメールで消息を知らせてくれる者もいれば、実際に会って食事をする者もいます。
 中でもプリンストン時代のM君は、忘れ難い学生の一人です。フットボールの選手でもあった彼は、ハーバード大学ロースクールに進学し、その後、マンハッタンの花形弁護士として高収入を得ていました。ところが二年ほど前に、いきなり弁護士を廃業し、さっさとオーストラリアに移住してしまいました。その時も、わざわざ東京まで私に会いに来てくれたのですが、来月も再び会いたいと連絡してきました。こんな有能で律儀な教え子を持てた私は、とても幸せ者です。
 もう一つ愉快なエピソードがあります。私が東大の併任教授として教えていた時のK君は、在学中から挙動不審でしたが、講義後、よく一緒に飲みに行ってました。アダルトビデオの撮影助手というのが彼のアルバイトでしたが、いつか渋谷の交差点でばったり会った時は、なんとキャバクラで働く女の子を物色していたのです。
 その時は思わず、「もう少しまっとうな生き方をしてくれない?」と言ってしまったのですが、その後、数年、音沙汰がありませんでした。てっきり風俗産業の元締めぐらいになっているかと思っていたところ、先日、急に連絡があり、なんと司法試験に合格したというではありませんか。これには驚きました。
 こちらが「おめでとう」と言い終わらないうちに、彼は「成り行きでこうなっただけで、弁護士なんかなりたくないんです。先生、どうしたらいいですか」という相談を持ちかけてきたのです。唖然とする私は「自分で考えて」とぐらいしか言えませんでしたが、ああいう破天荒な学生が私のクラスから巣立っていってくれたことを、とても嬉しく思います。
 こんな個性的な学生たちに囲まれている私は、教師冥利に尽きると思いながら、今日もまた、どこかの教室でナンチャッテ先生をやっているのかもしれません。
(2011・11・1、*本日、ありがとう断食の受付を開始しました!)
 

「プリンストン大学のキャンパス」