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『気持ちよく、生きるということ』
  私たちにとって大切なことは、毎日を気持ちよく生きるということです。そのためには、健康管理も必要だし、それなりに安定した収入があることも重要な要素です。体の調子がすぐれなかったり、その日の生活にも困ったりするようなことがあれば、なかなか気持ちよく生きるというわけにはいきません。ですから、適度な運動と正しい食生活に努め、真面目にコツコツと働いて収入を得るという努力は、人間として最小限果たすべき責任であるのです。
 その上で、気持ちよく生きるために、何が大切かと言えば、今この瞬間に、どういう想いを抱いているかということです。誰かに対して、あるいは何かに対して、不満や怒りの感情を抱いていることは、決して気持ちのよいことではありません。たとえ、それが正しい意見に基づく批判精神であったしても、それがあなたの心を穏やかならぬものにしているとしたら、今この瞬間にも、そういう想いから自分を解き放つべきです。
 そもそも何が正しくて、何が間違っているのか、そういう判断基準も当てにならないものです。人間の目には正しく映っていても、神さまの目から間違っているというようなことは、いくらでもあるはずです。そういう当てにならない道徳の物差しで、自分や他人の生き方を云々することは、貴重な人生の時間をムダにしてしまいます。
 私たちが、刻一刻問われているのは、今までどういう生き方をして来たのか、ということよりも、今どういう想いでいるかということです。そのことのみが、私たちのこれからの人生を決めると言っても過言ではありません。
 その一方で、気持ちよく生きるためには、自分の想いだけではなく、人の恨みや怒りを買うような生き方も慎まなくてはなりません。自分の想いと他者の想いが、複雑に絡み合って、目の前の現実を作っているからです。世間一般の道徳の奴隷になってもいけないが、その道徳を無視していいわけでもありません。それが、唐代の禅僧・百丈が言った「因果をくらまさず」という言葉の意味なのです。
 それにしても、私たちは自分の生い立ちや社会環境の中で、特定の思考パターンを形成しています。それが一つの制約となって、さまざまな思い込みや決めつけを、自分たちの心の中にもたらしています。しかも、それを客観的に自覚することは、ほぼ不可能に近いと言えます。それは、自分の体臭に気づくのが困難であるのと同じです。
 自分を自分という制約から解放するのに、最上の手段が「ありがとう」の声の力です。機械的にでもいいですから、それを発声することにより、いつの間にか自分の魂を広い宇宙に解放できます。私が実践している感謝念仏や夢実現念仏には、そういう深い意味があるのです。「ありがとう」の言葉には、過去のしがらみや想い癖から自分を解放して、新しい現実を造っていく力があります。
 愚者・町田宗鳳は、今年も皆さんにいろいろとご迷惑をおかけしましたが、どうぞ「ありがとう」の言葉の中で、この愚かな人間を許してやってください。今年一年のご厚情に心より感謝申し上げ、来る年がますます皆様にとって、素晴らしき年であることを切にお祈り申し上げます。
 (2011・12・24)


「龍がやって来る!」