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『元旦の弥山』
  明けまして、おめでとうございます。旧年中のご厚情を深く感謝すると共に、2011年が皆さまにとって、ますます幸多き年であることを心より祈念いたします。
  すでにご存知の方も多いと思いますが、私は世界遺産・宮島の対岸にあるマンションで、家族と一緒に暮らしています。家族といっても、長男・来稀は和太鼓グループの鬼太鼓座の一員として国内外の公演に走り回っているので、妻・真知子と、アメリカから帰国したばかりの次男・玄と、私の三人だけですが、その玄も建築家の道を歩み出し、まもなく家を出る予定です。一説によると、愚息らには私の遺伝子が一滴も入ってないそうですが、「家を出る」という遺伝子だけは、十四歳で家出をした父から、しっかりと受け継がれているようです。
 私もほとんど旅の身空なので、自宅にいる時間が極めて少ないのですが、家内に言わせれば、私は回遊魚みたいなもので、止まれば死ぬそうです。そして、ほとんど家を離れることのない彼女は、自分のことを「深海の真珠」に譬えていますが、私にしてみれば、針だらけの「深海のオコゼ」にしか思えません。
 それにしても、世界各地を旅してきた私も、わが家からの眺めを世界一の景観と、少し自惚れた感想を抱いています。何しろ目の前はすぐ海で、リビングルームから見えるのは、瀬戸内に点在する島影だけです。富士山に登らなくとも毎朝、見事なご来光を仰ぐことができます。
 まず朝起きると、浴室で水垢離をしてから、ベランダに出て、厳島神社に向かい、柏手を打ちます。この神社のご神体は背後にある弥山(みせん)ですが、山の稜線に沿って、額、眼、鼻、口、顎がはっきりと見え、まるで観音様の横顔そっくりなのです。私の一日は、その観音様の横顔に向かって般若心経をあげることから始まります。
 弥山の頂上には、御山(みやま)神社といって、巨石の上に立つ小さな祠があります。そこは、三柱の女神を祀る厳島神社の奥津城であり、じつに清らかな気の漂うご神域です。宮島には毎日、おびただしい数の観光客がやってきますが、ここまで足を伸ばす人は少なく、私はその静寂が大好きです。
 しかも、その眺望も絶景で、眼下には白砂青松の浜、眼前には太陽の光が波間に踊る瀬戸内の海を見渡すことができます。元旦には、家族で弥山を徒歩で登り、御山神社に初詣するのが恒例になっているのですが、参拝後、巨石の上に坐って、お供えしたお神酒とお握りで直会(なおらい)をします。
 ところで、私は自分の人生を「大小の奇跡の連続」というふうに感じていますが、愚かな自分を守ってくれているのは、眼に見えない「観音力」にほかならないと信じています。京都生まれの私が流れ流れて、この地に行きついたのも、「観音力」の導きかもしれません。
 さて還暦を迎えた現在、残された時間に自分の天分を全うしたいと考えています。そのためにも白髪と皺が増えないように、ますます体を鍛えて英気を養わなければなりません。そして赤フンドシを締め直して、いよいよエネルギッシュに、対立と紛争を繰り返す世界の平和と和解に、真に貢献したいというのが、私の最終的な夢です。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。(2011・1・1)

「めでたし、めでたし!」