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『アジアの宝石・ラオス』
  ほぼ十年ぶりに、ラオスに行ってきました。この国は、ベトナムやタイと比べて、経済開発が遅れているのですが、そのぶん工場もクルマも少なく、青々と澄んだ空がとても印象的でした。
  他の国には、貧困層が密集するスラムが無数にありますが、驚いたことにラオスにはそういうものがないのです。職のない貧しい人は、家族ごと山間部に入り、豊かな自然環境の中で、自活生活を始めるそうです。何よりも素晴らしいと思ったのは、路上で物乞いをする子供が一人もいなかったことです。他の途上国の実情を思えば、これは偉大なことです。
 対照的に、近代文明において繁栄の頂点にいるはずの超大国アメリカに、ホームレスが溢れているのは皮肉なことです。そしてその貧困が原因となって、犯罪が横行しています。
 治安上の問題も少ないラオス社会を観察するうちに、ほんとうに経済発展は良いことなのか、ということをつくづく考えさせられました。
 経済発展は、人々の物質生活を豊かにしますが、反対に貧富の差も生んでしまいます。多少の貧富の差なら致し方ないことですが、欧米先進国に見るような極端な収入格差には、犯罪に近いものがあります。
 人間というのは、そんなに裕福にならなくても、そこそこの生活が出来、美しい自然に囲まれて、人間的な絆を大切にして暮らすのが、いちばん幸せなのではないでしょうか。
 何よりもラオスでは、とても物価が安く、旅行者にとっては、これほどありがたいことはありません。たとえば一食百円ぐらいで十分ですし、おいしいラオ・ビールも一本百円で済みます。ラオスには薬草の温灸を使ったマッサージがあるのですが、そんな治療を一時間あまり受けても、千円ほどもかかからないのです。それにしても、比較の対象はラオスに限らないのですが、日本の物価は異様に高すぎます。
 それと、これは私の直観なのですが、人間が樹木を大切にして、樹木と共存するようなライフスタイルを営んでいるかぎり、平和が保たれ易いように思います。戦時には広大な森林が破壊されるものですが、樹木を切り倒したり、不自然な人工林を造成したりしているうちに、荒んでくるのは人間の心です。ラオスの山岳地帯を歩くうちに、「樹木と環境平和学」というような新しい研究テーマが見えてきました。
 ラオスは仏教国ですから、寺院もたくさんありますが、他の仏教国のそれと比べて、地味な感じがします。今回は巡礼の旅と言っていいほど、いろんなお寺でお経をあげ、感謝念仏を称えましたが、じつは私がそういうことをしたくなる寺院というのは、他の国ではあまり多くないのです。
 時には、仏前で瞑想に耽っていたオランダ人のカップルと一緒に感謝念仏をしたり、後ろで黙って聞いていたドイツ人女性が涙を浮かべながら胸に手をあてて、サンキューと言ってくれたりしました。
 やはり「ありがとう」の言霊は、人種や言語を超えて、人間の魂に浸透力をもつものであることを確信しました。ほんの数日間、ラオスのごく一部地域を垣間見ただけですが、今回の旅は、心と体が癒される旅でした。(2011・1・15)

「ジャングルで見つけた神の遊び場」