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『『法然の涙』の読み方』
  おかげさまで、2月14日バレンタインデーに『法然の涙』が増刷されることになりました。日本中の恋する乙女たちが、チョコレートの代わりに、この本を愛する人にプレゼントしてくれたら、きっとその恋は成就するのに、と勝手なことを考えています。
  今年は、いよいよ法然上人八百年大遠忌を迎え、春には国立京都博物館(3月26日-5月8日)で、秋には国立東京博物館(10月25日-12月4日)で「法然展」、また京都市美術館(3月17日-5月29日)でも「親鸞展」が開催されますが、そのいずれの会場でも拙著が販売されると聞いています。ありがたいことです。
 『法然の涙』は、私が書いたことには間違いありませんが、じつは「私が書いた」という感覚がほとんどありません。では、誰が書いたのか、ということになりますが、あえて言えば、法然さんが書かれたのです。
 あの本は執筆当初から、「法然さん、どうぞあなたのお気持ちを、私の手を通じて表現してください」という祈りの中で書いたものです。事あるごとに知恩院の霊廟に足を運んで、念仏をあげました。わが家の仏壇にも、法然上人のお位牌を置いて、毎日お経をあげました。
 ですから、あの本には法然さんの魂が入っているのです。私が書いて、私が書いていないのです。考えてもみてください。いくら私が今まで沢山の本を書いてきたと言っても、容易に素人に小説など書けるものではありません。
 つねに国内外を飛び回って超多忙の私が、約600枚の原稿を一気に書き上げたのです。時代考証だけは綿密にしましたが、ストーリーの展開は自分のひらめきだけを頼りに書きました。私は、そんな文才のある人間ではありません。書いたのではなく、書かされたのです。
 『法然の涙』は、単なる文芸作品ではありません。あれは、何度も読み返して頂く本です。読めば読むほど、魂が清まる仕掛けになっています。おこがましい言い方ですが、少し聖書みたいな働きがあります。
 プロの小説家の作品と比べれば拙い文章ですが、そんなことは関係ないのです。お部屋の清潔な場所に置かれ、気が向いた時に断片的にでも読んでください。それだけで、心が清まることになります。いいお香でも炊きながら読んで頂けると、なおよいと思います。
 ご家族や友人にも、ぜひお勧めください。相手が読んでくれるだけで、あなたとの関係が一層深まることになるでしょう。そんな不思議な力をもっているのが、『法然の涙』なのです。
 『法然の涙』は、決して「念仏の勧め」本ではありません。「いかなる時代に生きようとも、自分の人生は自分で創れ。お前はお前でいいのだ。人に頼るな」という法然のメッセージを体ごと感じる本です。
 いま静かに映画化の話も進んでいますが、法然上人が「映画という現代的媒体を通じて、一人でも多くの人に自分の思いを伝えたい」と思われたら、きっと素晴らしい映像が、遠からず私たちの目の前に現れてくることになるでしょう。(2011・2・13)

「不思議な本」