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『靴磨き一筋、六十年』
  すっかり台湾という国に入れ込んで、この一、二年で数回訪れています。あまたの国を訪れている私ですが、同じ国にこれほど足繁く訪れたくなるというのは、まことに珍しいことです。最初、台湾に行った時は、都市景観が少しも美しくないので、「詰まらない国だなあ」と思ったのですが、そのうちに台湾人の人情に触れるようになり、ほんとうにこの国が好きになりました。
  道を聞いても、口で説明するだけでなく、途中まで一緒に歩いてくれたり、食堂で食事している時に、見ず知らずの人に「これもここの名物で、おいしいよ」と、一皿プレゼントされたりします。経済力では、お隣の中国にとっくの昔に追い抜かれてしまったように思いますが、あの温かい人情だけは、中国人が真似ることのできない美徳として守られています。今回は、痛く感動させられた一人の台湾人の話をご紹介します。
 在来線の台中駅は日本統治時代に建てられたボロ駅舎ですが、私は予定の列車が来るまで時間があったので、たまたまそこにいた靴磨き老人に、旅で汚れた靴を磨いてもらうことにしました。その爺さんに、時間をかけて丁寧に靴を磨いてもらっているうちに、仰天するような話を聞かされたのです。
 彼の名は黄(ファン)さんといい、その古びた駅舎の一角で、十二歳の時から六十年も靴を磨き続けているというのです。そもそも一つの職業を一生涯、続けるだけでも、大したことだと思うのですが、その駅舎で、彼は日本統治時代直後の混乱や旅立つ人間の愛憎ドラマをいやほど目撃して来たはずです。客の中には代金も払わず、立ち去った人間もいたかもしれません。
 そういう状況で、なんと黄さんは靴磨きをしながら、六人も子供を育て上げたというのです。台湾と比べれば、かなり所得水準の高い日本でも、子供六人というのは大変なことです。それを一回三百円ぐらいの靴磨き代で、黄さんは大家族を養ってきたのです。
 驚きは、それだけではありません。子供たちが自立して以来、生活に必要以上の金は身に付けないという信念から、稼ぎの大半を孤児院に寄付しているというのです。一度や二度の寄付なら誰にでも出来ることですが、それを何十年も続けるというのは、只事ではありません。現に黄さんの徳行は、広く人に知られることになり、国からも表彰されています。「貧者の一灯」という言葉がありますが、黄さんは貧者ではなく、まちがいなく「心の長者さん」です。
 ついでに言えば、黄さんが仕事中に履いている靴は、ピカピカに光っているのですが、同じ靴を二十数年間、履き続けているそうです。やはり徳のある人は、モノも大切にするのです。モノを疎かにする人は、徳をドブに捨てているようなものです。
 拙著『愚者の知恵』(講談社+α新書)にも、弱き者に次々と情けをかける靴職人の話が出てきますが、ああいう職業に就く人は、黙々と人の足元を磨くうちに、深遠なる哲学を獲得するのでしょうか。日本にも半世紀にわたって便器を黙々と磨き続けている鍵山秀三郎という哲人が存在しますが、黄さんと鍵山さんに共通しているのは、上ではなく、いつも下を向いて、自分の手を使いながら、他人が汚したものを美しくすることにあります。下座行というのは、決して精神論ではなく、具体的な身体運動だったのです。
 政治家や経営者にかぎらず、日本国民の誰もが、そのような覚悟を持った時、日本という国は、ほんとうの意味で復活するのではないでしょうか。(2011・2・26)

「100年目を迎えた台中駅舎」