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『日本の折り返し点』
  東日本大震災は、日本が破壊から創造へと向かう歴史の「折り返し点」です。戦後経済復興の中で、私たちは過去からの貴重な精神遺産と、美しい自然風土を破壊してきました。
  知らず知らずのうちに、国民全体の生活が奢侈に流れ、電気も水道もガソリンも使い放題に使ってきました。日常生活に、どうしても必要な分量だけ使うならまだしも、その何十倍もの分量を無駄遣いしてきました。
 とくに東京はじめ、大都市は浪費生活が「沸騰」していました。必要以上に町を煌々と照らし、一分毎に電車を走らせ、人々は美食を腹いっぱい詰め込んでいました。計画停電は、そのムダに気づくための、最高に効果的なレッスンです。東京以外の大都市でも毎週、実行してほしいぐらいです。
 原発は事故が起きなくても、微量の放射能を海水に垂れ流しており、それで日本列島を囲む海洋が汚染されているのです。ウランは、地中深くに眠っていてこそ意味のある資源であり、それを掘り起こしてはいけなかったのです。
 地震も津波も大地の叫び声です。「もう、これ以上、水も空気も土も汚してほしくない」という大自然の叫び声に、全人類が耳を傾けなくてはなりません。広島と長崎に原爆が投下され、人類は核兵器の恐ろしさを学びました。そして今回、福島原発で事故が起き、たとえ平和利用の名目でも原子力に依存してはいけないことを知らされました。そういう意味で、日本は選ばれた国です。これからは、水と太陽と風が与えてくれるエネルギーの容量内で、自分たちのライフスタイルに改めていけばいいのです。
 日本国民が、そのことに気づき、実践すれば、日本は真の意味で人類文明の先端を行く先進国として復活します。大震災という大きな痛みは、そのことを学ぶ最高のチャンスだったのです。何も悲観することは、ありません。
 私は今、自分が十年以上も前に書いた『エロスの国・熊野』を読み直しています。これは当時、米国在住中の私が、日本語を懐かしみながら書いた本ですが、図らずも今回の出来事を予言しています。
 拙著で言及している記紀神話の「神武東征伝」、「スサノオ神話」、説教節「小栗判官」のすべてが、追放と復活というモチーフから構成されています。神武天皇は幾度も戦いに敗れた挙句、熊野で力を蓄え、大和に朝廷を築きます。スサノオは雨の中を誰も相手にされず彷徨い、黄泉の国に堕ちていきますが、出雲の国に復活し、ヤマタノオロチを退治して、大英雄になります。あまたの女性と浮名を馳せた小栗は、毒殺されて地獄に堕ち、真っ黒な骸となりますが、湯の峰温泉に浸かってから、逞しい武将に復活し、一国の主となります。そして彼らの復活譚の陰には、つねに目覚めた女性の力があります。これからの日本は、女性の力を活用すべきことを示唆しています。
 試練の後には、栄光が待っています。それが日本という国が太古の昔から繰り返してきた運命の「型」なのです。ですから、日本国民は、どんな事があっても、自分たちに与えられている復活の力を信じてほしいのです。
 この震災を折り返し点として、日本がエコテクノロジーを駆使し、大量消費に頼らない経済システムを開発すれば、世界に冠たる国になります。そして、国民も今よりはるかに充足感のある生活を送れるようになります。国家存亡の危機が、国家再生の好機でもあるのです。
 大震災の被災者のために、宗教や民族の違いを越えて、世界中の心ある人々が祈ってくれています。そして目に見えない世界で、誰よりも真剣な祈りを捧げているのは、日本の神々です。今いちばん慎むべきことは、神々の祈りを踏みにじるような浪費生活を国民が続けることです。その時こそ、私たちは国家を失い、流浪の民となります。(2011・3・20、ニュージーランドにて)

「聖なる水を汚すなかれ」(タウポのフカフォール、ニュージーランド)