【更新は不定期。】

『恐るべし、女の底力』
(『日本の出番がやって来た』
(7月20日講談社から刊行予定)より抜粋)
  第一章で、日本の「文化の祖型」を論じるために、熊野に展開する三つの復活潭を紹介しました。そして、スサノオにはクシナダヒメ、神武天皇にはホトタタラヒメ、小栗判官には照手姫というように、英雄の復活譚の陰には、つねに強い意志力と直観力をもった女性がいたことを説明しました。
  伊勢神宮の主神にアマテラスを仰ぐ日本人にとって、本来、神は女性であることを意味しました。縄文時代の土偶も、信仰の対象となっていたはずですが、すべて女性です。「文化の祖型」に、女性が君臨していると言っても過言ではありません。
 神道は、東南アジアの山岳地帯に源を発する民俗信仰ですが、その古い形が今も沖縄に残っています。御嶽(うたき)には、ご神殿などなく、小さな石がご神体として祀られているだけです。あるのは、掘立小屋のような拝殿だけです。今、私たちが見るような立派な社殿が神社にできるようになったのは、平安時代以降です。
 イザイホーなど、沖縄ではほとんどの宗教儀礼において、女性が中心となっています。女人禁制どころか、男子禁制が当たり前です。それが母系制社会のまっとうな宗教の在り方です。
 その名残が神道にも残っています。伊勢神宮では、宮司よりも皇女である斎宮が高い地位を与えられています。女性が、神の憑代となるからです。京都の賀茂神社でも斎院が同じ役割を持っていました。『旧約聖書』に「呪術を使う女はこれを生かしておいてはならない」(二十二章十八節)と書かれているように、一神教の世界では霊的な女性が魔女扱いされてきたのとは、大変な違いです。
 地方の民俗信仰においても、沖縄のユタ、恐山のイタコのように、シャーマンの大多数が女性です。神社で働く巫女も、本来は憑代としての役割がありました。鈴を振りながら、神楽を舞ううちにトランスに入り、意味不明の異言を口にする。それを神官が書き留めて、解釈をほどこすという役割分担が成立していました。霊的世界とコミュニケーションを取るには、理屈を振り回す男性では駄目で、女性的な軟らかい感性が必要とされていたのです。
 人間だけではありません。日本の神々も女性が活躍しています。拙著『山の霊力』(講談社選書メチエ)に登場する日本全国の霊山でも、山の神はたいてい女性です。女人禁制という慣習も、山の神の嫉妬心を煽り立てないために生まれました。単身で狩猟に出ていたマタギは、山に入る前は、妻との性的交渉を絶ち、髭を剃って身だしなみを整えました。そして、男根の形に似たオコゼを和紙に包んでお守りとしていたし、道に迷ったり、物を失ったりした時は、一物を山の頂上のほうに向けてから、祈りました。
 そういう慣習を愚かな迷信と一蹴するのは、近代人の傲慢です。彼らは、山の豊穣と脅威の双方を何百年という時間の中で学習し、その結果、身の安全を守るためには、そういう儀礼が欠かせないという結論に達したのです。伝承される民話や儀礼には、底知れない民族の智恵があることを謙虚に学び取るべきです。
 現代の家庭でも「山の神」に逆らうと、とんでもないことが起きるのは、世の亭主なら誰でも身をもって体験していることですが、山で生活していた人々も、経験則からいろんな掟を守っていたのです。
 歴史的にも、最初の王国である邪馬台国の首長が卑弥呼というシャーマンめいた女性だったわけだし、その後も光明皇后や北条政子に代表されるように、国家権力の中枢で大きな役割を果たした女性たちがいました。二十一世紀の日本にも、遠からず女性首相が登場することになるでしょう。
 私は、平成日本が今まで曲りなりにも平和と繁栄を極めてきた背景に、美智子皇后の力が大きいと考えています。国民から「美智子さん」と呼ばれるほど親近感を抱かれている皇后は、若い時にキリスト教的な教育を受けて来た人ですが、皇室の存在価値が「祈り」にあることを看破している稀代の皇后だと思います。
 『歩み――皇后陛下お言葉集』(海竜社)に次のような言葉が見つかります。
 
 人の一生と同じく、国の歴史にも喜びの時、苦しみの時があり、そのいずれの時にも国民とともにあることが、陛下の御旨であると思います。陛下が、こうした起伏のある国の過去と現在をお身に負われ、象徴としての日々を生きていらっしゃること、その日々の中で、絶えずご自身の在り方を顧みつつ、国民の叡智がよき判断を下し、国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていらっしゃることが、皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます。
 
 宮中三殿では、どんなことがあっても、毎朝欠かさず、天皇が神官装束に着替え、宮中八神に拝礼する「日供の儀」(にっくのぎ)が営まれています。近代合理主義の時代に、そんなことをして何の意味があるのかと考えるのは早計です。
 なぜなら、皇霊祭、神殿祭、新嘗祭に代表される天皇の祈りの行事も日本文化の祖型の一つだからです。政治に直接介入しなくても、天皇が国民生活に、もっとも効果的に貢献し得る方法として、長い歴史を通じて祈りの様式が確立されてきたのです。
 果たして英国王室も、特別な日にキリスト教会のミサに出席することはあっても、毎日欠かさず、国民のために祈りの時間を設けているのでしょうか。そのことを思えば、愛国主義者でもない私でさえ、日本の皇室に伝わる文化の深さに畏敬の念を覚えざるを得ません。
 京都に本部をもつ「大本」では、教主が畑を耕し、機を織り、陶芸を楽しむことが重要視されています。それは、神に仕える者が日本文化の祖型を守ることによって、世の泰平が守られるという思想から来ています。天皇にも、それと同様な役割があり、それを陰から支えるのが皇后という「女の力」なのです。
 明治維新で「文明開化」のスローガンを打ち上げて以来、欧米の制度を導入することに躍起となり、男性優位の社会構造を作ってきました。しかし、日本はどこまでも母系制社会なのですから、「女の力」を活かしてこそ、この国は栄えるのではないでしょうか。
 日本は、家父長制社会と言われてきました。家督が長男に相続されるという慣習が、長く続いて来たわけですから、社会学的には当然そういうことになります。しかし、平安時代までは、嫡子ではなく、娘たちに土地が与えられていました。だから夫のほうから妻の家に通い婚をしたのです。家父長制と言っても、そのルーツはせいぜい鎌倉時代にまでしか遡れないのです。
 古来、日本社会では男性の役割が、それほど高く評価されていなかったことは、神話や民話からも伺い知れます。なぜなら、神話学でいう「ドラゴン・ファイト(龍との戦い)」というモチーフが、きわめて希薄だからです。
 「ドラゴン・ファイト」とは、うっかり「見るなの座敷(Forbidden Chamber)」を覗き込んでしまったために、苦境に陥った美しい姫を危機一髪のところで救い出す白馬の王子とドラゴンの戦いのことです。か弱き女性を救う男の見せ場です。そこに西洋の民話のクライマックスがありますが、そういう意味の「花」は、日本の民話からは欠落しています。
 これは、心理学者の河合隼雄が『母性社会日本の病理』(中央公論社)などで早くから指摘していたことですが、「鶴の恩返し」などを典型とするように、日本の物語では「見るなの座敷」を覗くのは、たいてい男であり、覗かれた女は静かに消えていくだけです。母系制社会では、大して男の見せ場がないのが、健全な姿なのかもしれません。
 いってみれば日本社会における家父長制は、メッキ塗装みたいなものであり、それを剥がしてみれば、恐ろしいほどの「女の底力」を見せつけられることになりそうです。男性原理で突っ走って来た近代化の道ですが、フクシマを「折り返し点」として、そろそろ女性原理と二人三脚で前進することにしては、どうでしょう。野郎同士が競争するのではなく、異性と共にゆっくりと旅するほうが、よほど楽しいに決まっています。(2011・4・27)

「祈りの女性」