【更新は不定期。】

『三陸海岸から』
  いま私は、もっとも大きな津波被害があった岩手県から宮城県にかけての三陸海岸を旅しています。山も海も自然の風景は息を呑むほど美しいのですが、被災地の風景は、ただただ唖然とさせられるものです。とくに岩手県の山田町や大槌町の状況は、津波と火災が同時発生して、まるで大空襲でも受けたかのように惨憺たるものです。
 それでも、歯を喰いしばって会社や店を再開しようとしている地元住民の姿には頭が下がります。現地の人々の心意気は、現地でしか分からないものがあります。
 私は、五月に福島県北部と宮城県南部を訪問したので、今回の旅で被災地のおおよそ全域を訪ねたことになります。『ニッポンの底力』(講談社)で、東日本大震災を「折り返し点」とする日本再生を予言した人間としては、被災現場を訪れるのは当然のことだと考えています。
 各市町村の避難所や仮設住宅を訪れ、被災者たちの生々しい体験談を聞かせて頂いています。現場に来るまでは被災者がどこまで心を開いてくださるか一抹の不安がありましたが、今までお会いした方は、どなたも気さくにお話してくださいました。
 数歩のところで津波から逃れた人もいれば、津波に呑まれながらもフェンスに必死につかまりながら命を拾った人もいます。港から全速力で漁船を沖合まで出して助かった人もいれば、一瞬の遅れで船ごと波に呑まれていった人もいます。粉々になった寺院もあれば、奇跡的に無傷で残った神社もあります。
 いずれにせよ、誰も予想もしなかった大津波が、家族も仕事場も漁船も一気に奪っていったのです。立派なお屋敷に住んでいた人も、「ひと波で、ぜ〜んぶ持っでかれた」と言います。
 心の奥底にどういう思いを抱えておられるか伺い知ることは分かりませんが、どなたにお会いしても共通しているのは、実ににこやかに話してくださることです。そして不思議にも、何人かの方が震災前に地震や津波の夢を繰り返し見ていたと告白されるのです。
 お会いして話を伺った方には、ある篤志家の方からと「風の集い」参加者双方からお預かりした貴重な資金を無記名の茶封筒に入れ、義捐金としてお渡ししました。一回のガソリン代ぶんくらいにしかならない金額でしたが、どなたにも大変喜んで頂けました。応援をして下さった皆様には、心よりお礼を申し上げます。
 話は変わりますが、ソニーCDクラブから『法然と明恵』に次いで二枚目のCDとなる『死と再生の原郷・熊野』が出ました。東日本大震災の一カ月後に吹き込んだCDですが、「追放と復活」のモチーフを中心に、熊野信仰のもつ現代的な意味について語っています。ご興味のある方は、ぜひ一度、聞いてみてください。
 (2011・8・1)
 

「消防車も焼けた!」