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『龍がやって来た』
  年末の「折々の言葉」に「龍がやって来る!」と書いたばかりですが、驚いたことに、それが現実になったのです。正月二日、ミロクの里の永照院で太鼓を打ちながら、観音経をあげていたら、観音様と曼荼羅にお供えした二本の蝋燭が燃えながら、同時にロウを垂らしはじめたのです。
 読経後に覗いてみたら、両方の蝋燭のまわりに、なんとまるで龍の鱗みたいな形をしたロウが残っていたのです。しかも頭部に当たる箇所には、はっきりと二本の角と、何本かのヒゲが生えていたのです。残念ながら、少し置いておくうちに熱で溶けてしまったので、その部分は写真には撮れていません。尾の部分は、丸い玉を抱えているようにも見えます。
 拙著『観音の光に包まれて』(春秋社)に登場される姫路の庵主さまのお寺にある龍神堂でも同じ現象が時々起きるのは知っていましたが、まさか自分の目の前でもそれが起きるとは、想像もしませんでした。こういうことも、現実にあるものなのですね。
 奇しくも今年は、辰年です。なにか意味があって起きた現象なのでしょう。昔、私がまだ十代の小僧の時、大徳寺龍光院住職だった師匠から「龍には潜龍、地龍、そして飛龍があるのだ」と聞かされました。その時、「宗鳳、お前はまだまだ潜龍みたいなものだから、当分の間は地下深く潜んでいよ」とも言われました。その「当分の間」が、実に半世紀にも及んで、六十一歳になった今も、蝉の幼虫みたいに地面の中でじっとしている私です。
 それにしても、二本の蝋燭が授けてくれた奇跡の龍は、私に何を伝えようとしているのでしょうか。今年は、もっともっと龍の口から出てくる炎のように、私なりの本音を吐きだして、少しは頭角を現せということでしょうか。ちなみに、このロウの龍は永照院にお祀りしていますので、興味のある方はどうぞ「風の集い」の日にでもお越しください。
 ところで、正月にもう一つの吉兆がありました。それは京都駅忘れ物センターから、「はるか号の中で、お忘れのバッグが見つかりました」と、元旦早々に連絡があったことです。この二、三年、私は電車内、駅構内、レストランで、どれほど忘れ物をしたか、数えきれないほどです。そのすべてが、手元に戻っています。忘れ物に関してはじつに「全戦全勝」である幸運を喜ぶべきか、いよいよ認知症が近づいていることを悲しむべきか、自分でも判断しかねております。(2012・1・10)


「ロウソクの演出」