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『雑巾がけ』
  人生の林住期に入ったのか、このごろ私もミロクの里の永照院で過ごす時間が少しずつ増えています。山の中腹にあるため付近に民家もまったくなく、木々に包まれて、とても気持ちのよい空間です。朝には向かいの山からご来光が拝め、夜になると満天の星が輝きます。
 でも、悩みが一つあります。自宅にいる時は、近くのスポーツクラブに行って、水泳をするのが日課になっていたのですが、寺の近くには何もありません。ランニングするには、少し起伏があり過ぎます。つまり、運動不足になりがちなのです。私は体を動かすのが大好きで、それをしていないと思考も停止するようなところがあります。
 周囲の山道は、福山市在住のF氏がご奉仕で、いつもきれいに掃き清めてくださっていますので、何をしようかと考えました。そこで思いついたのは、毎朝の雑巾がけです。寺の廊下や畳は、結構広いので、いい運動になります。雑巾がけの後、水をかぶってから、読経をし、写経をするのが日課になりつつあります。
 思えば、寺の二十年間というのは、草むしりと雑巾がけばかりして過ごしていたようなものですから、還暦を過ぎて、出発点に戻ったようなものです。小僧の時は、師匠から「床は天井が映るぐらい磨くものだ」と言われ、必死になって磨きました。井戸から釣瓶で汲み上げた水で、雑巾を濯ぎ、長い廊下を何べんも端から端まで中腰で拭きぬけると、汗が垂れてきました。
 今は気楽にやっていますが、それでも雑巾がけは、気持ちがよいものです。私の心もずいぶん汚れていますので、毎朝、雑巾がけができると、すっきりすると思うのですが、それができない以上、せっせと床でも磨いたほうがよさそうです。
 鍵山秀三郎さんの『掃除が起こした「奇跡の力」』を読むと、掃除がいかに人心を清め、社会変革に有効なものであるか、実例をもって論じられています。日本国民が家の内外をせっせと掃除をするようになれば、今の閉塞感など一気に吹き飛ぶはずです。
 日本の家屋も洋風になって、立ったままモップなどで容易に掃除できるようになってから、日本人の足腰も、そして精神力も弱くなったのかもしれません。お掃除はお母さんの仕事などと決めずに、幼い時から子供たちにもやらせるべきです。掃除ができない子は、恐らく自分の頭の中も整理するのが、苦手だと思います。
 学校などでも、毎日、掃除にたっぷり時間を使って、ていねいに実践することを子供たちに教えれば、集中力が増したり、元気になったりすると思うのですが、そういう学校はまれでしょうね。(2012・2・1)
 


「百間廊下」