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『ライになって良かった』
   「ライになって良かった。」この壮絶な言葉を吐いたのは、去年十二月、草津の国立ハンセン病療養所栗生楽泉園で八十七歳の天命をまっとうした桜井哲夫さんです。桜井さんは、十七歳でハンセン病を発症し、青森のリンゴ農家から草津に送り込まれたのです。
 母親から「すぐに帰れるよ」と言われて家を出た桜井さんは、結局、七十年を療養所内で過ごすことになりました。そこでは、外部の人間には伺い知ることのできない地獄図が繰り広げられたはずです。
 草津の深い山中にある楽泉園には、日本の療養所で唯一、重監房というものがあります。逃亡を試みた者が、監禁される場所です。厳冬の草津でコンクリート床の独房に閉じ込められるというのは、まさに極寒地獄だったと思われます。
 桜井さんは若い時、療養所内で真佐子さんという女性と結婚し、六年目に子供をもうけています。当時のらい予防法により、ハンセン病患者は断種手術が義務づけられていましたが、それが成功せず、妻が妊娠した場合、堕胎を強要されたのです。
 しかも医師の命令で、桜井さんは妻の堕胎を手伝わされています。どんな思いで、その仕事をされたのでしょう。その二年後、真佐子さんも二十六歳で亡くなっておられます。亡くなった娘に、詩人でもあった桜井さんは「真理子」と名付け、その後、多くの詩を詠んでおられます。
 実は、2001年の熊本地裁のハンセン病訴訟で発覚したことですが、妊娠した患者が生んだ多くの胎児が研究目的という名目でホルマリン漬けにされ、診療所の一角に放置されていたのです。
 ハンセン病は極めて感染性の低い皮膚病だったにもかかわらず、そして戦時中にアメリカで開発されていた特効薬が使用されることもなく、日本の患者は九十年にわたる隔離政策のもと、ひどい差別と偏見に晒されてきたのです。絶望のあまり、自ら命を絶った人も少なくありません。国家が犯した大罪の一つです。
 じつは、「風の集い」は、桜井さんとご縁が深いのです。十年前に「風の集い」を初めて開かせて頂いたのは、池上の実相寺ですが、そのお寺と縁を結んで下さったのが、金正美という在日の女性でした。彼女が桜井さんにとって無二の親友かつ心の娘として、学生時代から十数年の間、彼に寄り添い、ともに旅をし、最期も看取っています。正美さんの協力を得、一度、不自由な身を押して、桜井哲夫さんにも草津から、わざわざ「風の集い」にお越し頂き、お話を聞かせて頂いたこともあります。
 驚くべきことですが、桜井さんは生前、「らいになって良かった」と言っておられました。らいにならなかったら、多くの人々との素晴らしい出会いがなかったはずだから、と言うのがその理由です。カトリックだった彼は、八十二歳の時、ローマ法王にも謁見しています。
 お亡くなりになってから強く感じるのは、桜井さんは菩薩であり、天使だったということです。ハンセン病のひどい後遺症のため、思わず目をそむけたくなるお顔をしておられましたが、そういう姿になって、固く閉ざされた人の心を開いていかれたのです。
 今回、桜井さんのことを急に思い出したのは、最近、卒業を迎えた町田ゼミの学生さんたちと共に、岡山長島のハンセン病療養所光明園を訪れる機会があったからです。これで三回目の訪問ですが、どん底に落とされても人間としての尊厳を失わず、その過酷な運命を背負って生き抜いた人たちの強い魂に、いつも励まされるのです。(2012・3・16)



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